岩岳スキー場前より再び長野県道433号線で栂池方面へ向かう。
落倉への上りで2人組みのロードに追いつくが、最近の僕は自転車でも車でも・・・
抜いた後にピッタリとついてこられたり、これ見よがしに抜き返されたりすると、スイッチが入ってしまうので、そんな自分が面倒臭いから、むやみに前を走る人を抜きたくないと思ってしまう。
心身ともに完全に病んでいるので、中途半端な速度で上られるのがものすごくストレスだったりもする。
仮にこれ見よがしに抜き返されて、スイッチが入ったところで、今度は身体が気持ちに応えてくれない現実をぶつけられると、たちまち自我が崩壊してしまう。
ねっ?ややこしいでしょ?面倒臭いでしょ?
そんな事は人に指摘されなくても、十分自覚はしています。
長年自転車に乗らなくなって失ったものは大きい。
自業自得かも知れないけど、ゼロどころか大きなマイナスからの再出発。
それが更にこの1~2年で余計に酷い現状になってしまったのだ。
自分が自分らしく走れない事、それに苦悩する自分すらも自分なのだと受け入れられない。この自分と向き合う事の辛さは半端ない。
どん底に落ちた経験の無い人には何を言っても響かない話かも知れないですが・・・
子供の頃から頼れる両親が存在しない。体裁ばかり気にして、肝心な時には知らん顔の大人ばかりに裏切られて育ち、気持ちを入れ替え社会人として新たな可能性を導き出して頑張るも、上司の都合に振り回されたり、派閥争いに巻き込まれて居場所を失い・・・。
それでも、どんなに追い詰められても、どんなピンチに立たされても、最終的に信じていたのは常に自分の力。
生まれもって自然と身についた力。
仕事もスポーツも誰にも負けないって言い切る力と自信、ピンチを切り抜ける執念。
それが強気に行動力として表れていたのは間違いありません。
そして有言実行である事も自分の誇りでした。
それが今となっては、何をやっても思うようにいかない自分が許せなくて、許せなくて、誰にも負けないくらい鍛えていた心肺能力も、持て余すほど有り余ったエネルギーも、今は人並み以下まで落ちており、唯一衰えていない筋力も、最近は筋持久力が低下した為か長く続かない。
自分の取り得だったものが無くなるって、これもどん底じゃないでしょうか?
自信の源を失ったら・・・人って、全てにおいてポジティブではなくなるものなんです。
僕が10代の頃掲げた目標は『生涯現役!』
即ち、死ぬまでチャレンジ精神を絶やさない事!です。
死ぬ時は自動車か自転車で限界まで速度を追い込んだ結果か、山で死ぬか・・・それとも人の命を救う為に死ぬか・・・
間違っても病院のベッドで死ぬようなのだけはごめんだ!って誓ったはずなのに、今何も頑張れていない自分が嫌で仕方ない。
生きている事自体が恥ずかしい、人の記憶から消えたいくらい恥だと思っています。
一度でも頂点や究極を目指したって過去は、何度も挫折とどん底を味わう事で、そういう心理状態になるんです。
今できない自分がどうしようもなく苦痛なんです。
「自分の現状を知って来年に向けて頑張る!」それって普通に考えたら前向きな考えじゃないですか?
しかし今の僕にとってはただの拷問なんですよ。
そこまで思い詰めてまで、わざわざ参加するべきだったのか?
確かに逃げるのは簡単だったけど・・・
だからといって、いつまでも現状と向き合う事を逃げていたのでは、きっと何も変わらない!
葛藤!常に葛藤!
妥協するくらいなら死んだ方がマシ。
自分の中にまだ生きているプライドと闘争本能、それを押し殺すような絶望感。そして自分の中で思い描く男の美学・・・あらゆるものがぶつかりあって葛藤している。
そして葛藤しながら走った結果、少々オーバーペースになってしまったらしい。
僕とK田様だけが試走に行くわけではなく、さっきまで僕の運転だった事もあって、今回はミワさんが自分の運転で体育館まで走って道を覚える為に、その為の道案内を兼ねて走っていた事により、尚更脚を使ってしまいました。
しかも落倉~栂池間は体育館へ侵入しやすいルートと考えて、あえて新しい道ではなく松沢経由で走った為、上りを余分に走ったのも原因です。
レース当日は体育館の駐車場までトミーさん2号を連れて来て、当日受付を済ませてから・・・
ミワさんはそのまま応援の為に、ゴンドラ乗り場まで移動の段取りです。
そしてこの日はミワさんはカメラを構えて撮影場所をどこにするかを決める為に移動する。
K田様を引き連れてスタート地点まで下山した僕は、既に満身創痍で・・・
「久々の栂池・・・ワクワクするけど、昔のように走れないのは、今下ってきただけで判断できる。走るのが恐い。」
そんな自分を必死で押し殺してスタートする。
スタート地点は第8回の頃に変更して、500m程国道148号線寄りになっている。
それまでのスタート地点は目の前にいきなり棚田の区間があって、激坂で大混戦するものでした。
そうはいっても新しくスタート地点になった場所からの上りも、地味にしんどい上りである。
以前のスタート地点だった川内神社の鳥居前までで、ポジション争いに加わったりしたら、その後の棚田区間で一気にトドメを刺されてしまう。
僕は必死にペースを抑えて走っているが、既にゆとりが全く無い。
こんなんで翌日のレースでまともに走れるのか?
以前なら余力を残して8分足らずで上っていた栂池高原の石碑のカーブ(2.3km地点)まで14分以上もかかってしまった。
そこからの緩い下りとフラットな区間では、ある程度回復してスピードが上げれるようになったけど・・・
まさかのそこで1人の参加者に抜かれて、すぐに抜き返せそうなシチュエーションになったものの、「またここでムキになって脚を使ったら明日走れなくなる。」って思って断念。
せっかくスピードに乗せて、惰力を最大限活かしてゴンドラ駅前のストレートの急坂を上りたかったのに、その人と新たに前方に現れた2人組が進路を塞いだ為、完全に失速するしかなかった。
車の往来も多かったので致し方ないが、失速した状態で上るにはペンション街の上りはダラダラと身に沁みる。
K田様は余裕で走っていますが、僕はペースを乱されてイライラ・・・
カメラ目線はいいから早く退いてくれ~って感じでした。
撮影しているミワさんも4人組か5人組の人だと思ったら、そこに僕とK田様がいてビックリしたとかで・・・
以前なら10~11分で通過していた第2駐車場前を20分で通過。
ゲート前の直線で別の参加選手に抜かれて、そのペースが自分のリズムに合っていたので、少しペースを持ち直したけど・・・
結局ゲートまで28分50秒もかかってしまった。
全盛期のタイムからは想像もつかないようなタイム。
そしてここで10年以上走りに来ていなかった事で、自分の記憶も曖昧になってきている事が判明。
ゲートまで5.6kmだと思っていたけど、実際には5.3kmで、ゲートからの残りが11.8kmが正しい距離でした。
というように、一部記憶がちぐはぐになっている箇所があって、栂の森を越えてから残り5km地点があったように記憶していたのが、実は残り4kmの前後が最後の踏ん張りどころで、それを抜けたところが栂の森。
栂の森を抜けてから残り3kmの看板が見えて・・・
やはり10年走らないと断片的な記憶ばかりなので、点と点が繋がらなくなってしまっていました。
当然記憶にあるのは当時の感覚なので、ゲートを抜けてからは楽に走れたイメージのままでしたが、これも間違いで・・・
ゲートを抜けてからの1.5kmほどの区間は、初めて走った時も地味に苦しかったはずなのに、その頃の記憶が無くなって、ある程度走れるようになってからの記憶しかなかったせいで、K田様やトミーさん2号を困惑させてしまう結果になってしまう事は、この時点ではまだ想像もしていませんでした。
とりあえずゲートまで平均時速11kmっていう時点で、後半脚がたれる事を計算に入れると、1時間40分くらいかかる計算になる。
今回の目標タイムでK田様の1時間10分は不可能ではないけど、決して簡単には1時間10分の壁は越えられないって事は、経験者として僕が一番解かっています。
それでもK田様のスピードなら1時間15分前後は確実に狙えると確信していましたので、あくまで目標として1時間10分・・・
トミーさん2号は1時間25分くらいなら確実に狙えそうなので、目標を1時間20分に・・・
僕は1時間30分切れるかどうか・・・なので1時間25分を目標にしました。
平均時速12.1kmをキープすれば可能なタイムです。
あとは当日の体調とペースのマネジメント次第でどうにかできるかな・・・。
そう考えていたので、いくらペンションから栂池高原までの道中で脚を使ったからといって、このタイムは無いだろう?
いくら途中でペースを狂わされたからって、せいぜい1~2分の問題じゃないか。
そうなると後半に向けて余力を残しても、26分程で上らないと叶わないタイムになる。
あと最低でも2分半タイムを縮めて、更に余力を残す?できるのか?
K田様と談笑しながら下るも、頭の中はパニックでした。
この日はもう1本上るとか、そんな気分になれなかったので、このまま宿へ戻って身体の疲れを抜く事に全力を尽くす事にしました。
温泉・・・
残念ながら宿の方に聞いたところ、岩岳の湯は営業期間が決まっていて、倉下の湯は地震で温泉の出る位置がずれてしまったらしくて現在休業中との事。
栂池にも温泉はあるし、昔はチームメイトと白馬乗鞍にある若栗温泉まで通っていました。
八方尾根にも温泉はいくつもある・・・
しかし、もう外に出かけて温泉とか行く元気がない。
「色々疲れてもう無理・・・。」
そう思って部屋のお風呂でしばらく寝てました。
その間ミワさんはペンション内や外の花々を一眼レフで撮影していたそうです。
インテリアとかも可愛らしい宿なので、どこを撮影しても絵になるのだそうで・・・
ちなみに自転車は宿の方が中に入れてもいいですよ!って了解を頂き、廊下に立てかけています。
そして夕食の時間がやってきました。
僕はそれすらも部屋を出て階段を下りるのがダルいと感じつつ・・・でもここの食事は楽しみにしていたので・・・(笑)
席に着きました。
前菜にピザです。
冷製ビシソワーズは大好物です。
メインはポトフでしたが、どの料理も食材の旨みを活かした調理がされていて、とにかく幸せな気分にさせてもらえました。
K田様は葺き味噌が相当気に入ったみたいで、ご飯を大盛りで3杯もお代わりしていました!(笑)
杏のソースも美味しかったけど、意外にも気に入ったのが、菩提樹のハーブティー。
身体の疲れを癒すリラックス効果があるらしくて、これまたお代わり自由。
なるほど『リンデンバウム』(菩提樹)という宿の名前は伊達じゃないですね。
食後翌日のドリンク類を準備する為に買い出しに行き、帰ってからはK田様のシューズのクリートを交換し、自分のシューズもクリートを交換してセッティングを見直し。
それから作戦会議。
マップを見直して栂の森からゴールまでの距離を思い出した僕は、ゲート前と、栂の森の通過タイムを改めて設定しなおして、K田様の目標区間タイムを伝える。
それが終わってからはトミーさん2号が到着するまで、もう一度お風呂に入って・・・それからひたすらベッドの上でストレッチ。
トミーさんの到着は23~0時頃を予想していましたが、思いの他早くて・・・
22時半過ぎに到着!
マフラーの排気音で到着が判ってしまうあたり、非常に便利だと思えてしまう。
しかし土砂降りの中、大町付近でセンターラインのポールを引っ掛けてしまったそうで、「フロントバンパーを割ってしまった!」と到着したはいいけど、ショックで嘆くトミーさん・・・
「明日は本当に晴れるかなぁ?」
せっかくトミーさん2号が早く到着したので、改めて作戦会議を追加して・・・
0時過ぎに就寝。
朝食は6:30なので、6時間寝れると思えば睡眠は十分です。
何とかレース当日はベストコンディションで走れますように!
そう願いつつ寝るのでした。
それではまた次回!
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