2020年12月28日月曜日

2020年5月~6月のその他出来事と、懐かしい写真について・・・


RX-8のフロントフェンダーに故意に傷をつけた人がいて・・・何とか犯人を突き止めた後に修理に出していました。


その間に今度はインプレッサのクーラント漏れが酷くなって、ある日エンジンルームから煙が上がった。


単純に噴き出したクーラントがエンジンに噴きかかって蒸発しただけでしたが、いよいよラジエターホースを総替えしないとならなくなり・・・



ラジエターホースをシリコンホースに交換!


ついでにラジエターキャップも純正と同じ1.1キロのプレッシャーにデチューン。


やはり1.3キロにして、早めにエンジンを冷却させるというのはターボ車のパワーアップには必要な機能ではあるけれど、圧力を上げる事でラジエターに対して余計なストレスを与え続けている事にもなるので・・・車を長持ちさせる為にはノーマルに戻した方が良い事もあります。



ラジエター本体は3年前に倉敷へサイクリングに行った帰りに完全にとどめを刺してしまったので、その際に銅製のラジエターへ交換済み。


純正ラジエターは真鍮製で耐久性も高く良く冷えるが重量が重たい。

逆によくチューニングで使われるアルミ製だと、熱伝導率が高過ぎる事がネックになって夏場の渋滞時にエンジンの熱でオーバーヒートに繋がる恐れがある。

そういう理由から僕は耐久性も高く真鍮より軽い銅製のラジエターを採用しています。

勿論よく冷えるので、水温も油温も常時80℃程度で安定しています。


ラジエターバンドを純正のままにしていますが、それもクーラントに余計な圧を掛けない考慮からです。



あとブレーキパッドも交換しました。中古車の怖い所は見えないところを粗悪品のまま売っている場合がある事です。


ローターが偏摩耗して錆びていたのですが、徐々に整って綺麗になってきました。


実はこの車両、サスペンションの味付けも僕の好みではないし、ブレーキバランスも合っていないと思っていました。


案の定安物のパッドが入っていたので、交換ついでにキャリパーのピストンもオーバーホール。


最近は僕好みのブレーキパッドがないので、とりあえずミニサーキットくらいまでは対応できる耐熱650℃のパッドで間に合わせています。


僕の大好きだったロッキードのZCは何年か前に廃番になってしまい、暇さえあれば在庫を持っている店が無いか探していますが、さすがにもう見つかりません。



更にカーナビも壊れてしまったので、少し古い型ですが・・・最新版のソフトをインストールしたカーナビを購入して交換しました。


アンテナ類を張り替えるのが面倒くさかったので、そのまま流用できてハードディスク付きのものにしたので、目下CDをインプットしまくっています!



これすごく美味しかったです!



癖になる味で毎日でも飲みたかったのですが、最近は見かけなくなりました。(涙)



傷を入れられたRX-8のフェンダーも綺麗になって帰って来たので・・・



1年以上前に購入していたフロントバンパーとヘッドライトにようやく交換しました!


やはりヘッドランプはイカリングの方が精悍に見えます!


ただこれは純正を改良した個人作品なので・・・光軸が少し怪しくてハイビームが使い物になりません!



同じくサイドステップも付けたので・・・


あとはカーボンボンネットとカナードを付ければエクステリアは完成です。


また作業をするモチベーションが湧いて来た時に頑張ります!



アルバムのほとんどは実家の納戸の奥深くに眠っていますが、一部は出てきました。


これは元々スプリンターだった僕が、無理矢理先輩の口車でヒルクライムの世界に引きずり込まれた記念すべき初参加の『つがいけサイクル』の写真です。


当時の愛車だった『三連勝カタナ』(Wレバーの7速)を持っているのが僕です。


6月上旬の北アルプスはまだまだ積雪も厚く、まるで雪の大谷を駆け抜けるような気持ちで走れました。


そしてここでヒルクライム界のレジェンドである村山利男氏の走りに圧倒され、尊敬し・・・ヒルクライムの世界にどっぷりとハマってしまうのでありました。


先輩からは「ここで1時間を切れば表彰台は勿論、実業団とも渡り合えるよ!」って言われ、何でも「どうせやるなら頂点を目指せ!」っていうのが僕の考え方でもあったので、「実業団?僕が目指しているのはプロですよ!」って啖呵を切って、土曜日の試走では中間地点まで余力を残して31分で走り、手応えは十分に感じていたのですが、翌日の本番では同じ組に後にシドニー五輪の代表選手になる鈴木雷太氏がいて、スタートから猛烈なスピードで棚田の激坂区間を駆け上って行った。


初めてのヒルクライムなので全体の様子を見ながら走ろうと2列目からスタートした僕はいきなり面喰い、遅れを取ってはいけないと食らいつくも、「こんなペースで走り続けられたら最後まで持たない!」と、ゴンドラ駅前を過ぎた第2駐車場付近で心が折れる。


その時点で先頭グループは8人いて、僕は最高で5番手を走っていたのですが、徐々に後続に追いつかれ・・・後半は脚が売り切れ栂の森までの区間は地獄でした。


結局1時間13分もかかって13位と不本意な結果になりましたが、それで尚更ヒルクライムに燃えてきた・・・そんなレースです。



これは『第8回ツール・ド・のと400』に参加した時の2日目。

輪島を出発する前の待機場所です。


3日で能登半島を1周420kmを走破する、センチュリーライドの王道の一つでもあります。


制限時間もあって簡単に完走なんてできないとか言われていましたが、「本気でプロを目指すのだったら、完走どころかトップでゴールしなければプロになるもなにもないだろ?」って思っていた僕は、「トップでゴールするから嘘だと思うなら金沢まで応援しに来てくれよ!」ってチームメイトに啖呵を切って参加した。


そもそもセンチュリーライドはレースではないのだけど、琵琶湖一周サイクルマラソンのようにタイムと順位を計測する大会もあるので・・・


「3日間を誰のアシストも受けずに単独で平均時速42kmを守り切れたら、俺はヨーロッパでも通用できる!」そう信じてエントリーしたんですよね。


初日・・・参加人数が多い事もあって、金沢のスタート地点ではマスドスタートではなく、グループ分けをしての時間差スタートとなった。


僕は最初のスタートから1時間以上遅れてのスタートとなったが、「先頭を必ず捉えてやる!」って負けん気がモチベーションとなる。


内灘までは度々信号に捉まってヤキモキしたが、基本的に時速50kmを切る事が無い猛追で先頭を追う!


内灘からは信号に捉まる回数も減り、常時時速54~56km(所々集団を抜くために時速68kmくらいで走る)のペースを維持したまま、最初のエイドステーションであるナカヤマエッグ(羽咋の手前)に着くのと同時タイミングで早くも先頭を捉えた。


金沢市内を抜けるまでは38km程だった平均時速は、そこで42.8kmまで上がった。


想定外だった事はエイドステーションには強制的に入れられ、少なくとも15分程度の足止めを強いられる。

僕は平均時速を殺したくないから極力休憩なんてしたくないし走り続けたいのに、それが叶わない事・・・


そして極めつけ・・・先頭には自衛隊の先導車がいて、それを追い越す事は御法度!即失格退場になるというルールがある事を知らなかった。

因みに先導車の走行スピードは概ね時速30~32km程度である。


確かに並みのサイクリストであれば時速30km以上で巡行っていうだけでも敷居は高く感じるので、完走は難しい・・・なんて発想にもなるのだろうけど、当時の僕には「なんて邪魔くさいルールなんだ!せっかく稼いだ平均時速を無駄にさせる気か?」と完全にグロッキーな気持ちにさせられた。


しかしまあ『郷に入らずんば郷に従え』っていうもので、僕も気持ちを切り替えてそのルールに従う。


初日最後のエイドステーションである門前総合運動公園で動きが変わる。


初日のゴールは参加コースによって変わり、大半が輪島でゴールなのだが、宿泊施設のキャパの関係で一部は曽々木まで走る事になっている。


だからなのか先導車が早くも走って行った。


僕としてはありがたいので少し待ってからスタートする。


ところが思いのほか円山峠はしんどかった!


当時は意地でもインナーを使いたくない性格で、ヒルクライムレース以外はアウターで走り切る!って変なこだわりを持っていました。


しかもこの大会に向けてサンツアー・シュパーブプロの54Tを導入していました。


それだけにしんどくて、序盤の爆走もあってとうとう脚が攣る。


何人かに抜かれた悔しさで意地になって上り、そして下りで一気に抜き去る。


すると一人だけそのスピードについて来る選手がいて・・・現役の競輪選手でした。


そんな人も参加するなんて・・・と思いつつも、これで初日の最期が面白くなりました。

輪島ゴールまで残り10kmの地点から牽制し合って・・・抜かれたら抜き返す!


少なくとも当時の僕は他人に引かせて楽をさせてもらっておきながら、最後だけ頑張って走るなんて思考は皆無で、「ぶっちぎりで勝つ!」がモットーの単細胞レーサーでした。


残り4kmの看板からアタック!


スプリントはラストの400mが勝負ってよく言われるけど、ぶっちぎりで勝ちたい僕は4km手前からアタックし、時速64km前後を維持しながら相手が心折れるまで命の限り踏み続け、輪島ゴールにはぶっちぎりのトップでゴールし、キンキンに冷えたビールをもらって一気に飲み切った。

先導車の事や円山峠の上りもあって最終的な平均時速は33km程度と不本意な結果になったが、スプリントに競り勝った後のビールは格別な味だった!



これは2日目、僕に人生最高の走りを楽しませてくれた東京都中野区のYさんとの休憩中に撮った写真。


Yさんの自転車こそ94年ジロ・デ・イタリアのチャンピオンバイクである、ゲビスカラーのデローザ・チタニオなんです。


僕の憧れの自転車に乗って、そしてメチャクチャ速いYさんに出会えて、本当に幸せな時間でした。


この日も輪島を時間差スタート。


今回は比較的順番が早めにスタートできましたが、先頭は17km先の曽々木を同じ時間にスタートしています。


例え先導車が時速30~32km程度で走っているとはいえ、命を燃やして走らなければ簡単には追いつけない距離です。


そして木ノ浦の最初のエイドステーションまでが地獄でした。


丁度台風が接近していて能登半島をかすめていくタイミングだったのです!


海岸沿いのアップダウンを強烈な突風が吹き荒れる中、意地でも平均時速を落さないよう、2度も突風に煽られて対向車線を跨いだ壁に叩きつけられながらも、木ノ浦まで平均時速32kmをキープする。(実はエイドステーションに入る際に減速した瞬間31.9kmになって、思わずなんでやねん!って叫んでしまう)


そこでパンを2つ頂いて食べている時にYさんと出会う。


僕がヘルメットからシューズに至るまで、94年のゲビスチームのユニフォームだったので意気投合したのでした。(ヘルメットは95年モデル)


Yさんに僕のプロになりたい夢と、その為の武者修行的な気持ちでここに参加している旨を話したら、「一緒に先頭を追いましょう!僕も協力します!」っておっしゃって下さり・・・


とにかくYさんは速かった。


平地は基本的に僕が引いていましたが、半島の先端を曲がって風が穏やかになったところからずっと時速56km前後で僕が走り続けていても、絶対に離れることなくついてきて、突風で僕が苦しそうにしていたら今度は前に出て引いてくれる。


可能な限り時速50kmを下回る事の無いように全力でサポートしてくれました。


広域農道(現・農免道路)のダラダラと長い上りでも、アホみたいにアウターのまま走る僕が失速したら即座に前に出てペースを作ってくれ、上りも概ね時速34km以上のペースを維持して走り続けました。


笠師保の潟を走っている際などは、外海から迫って来る波に飲まれないよう、直線を時速70km近くまで加速したものの逃げきれず頭から波をかぶり・・・


和倉温泉から能登島大橋に差し掛かった瞬間土砂降りの雨に打たれ・・・


それでもペースを落とさずに走っていたら遠くに先導車と先頭グループが見えて、モチベーションが上がった僕とYさんは時速60km以上のスピードで追い上げ・・・


結局全員は抜けなかったものの7着と8着でゴール!(曖昧な記憶だが180km以上の距離を走った平均時速は38km台後半だったと思う)


あんなに苦しくてしんどかったのに、楽しくて楽しくてこのままいつまでも一緒に走り続けたいと思えたのは、僕の人生において後にも先にもこの時だけ。


そのくらい充実した2日目でした。


夜は宿で一緒になったオッチャンレーサーたちに可愛がってもらい、ビールやら日本酒やらたくさんご馳走になりました。


そして3日目はマスドスタートとなり、せっかくYさんとスタート地点で合流できたのに、能登島を抜け出すまでは超低速走行で思うように走れませんでした。


しかし石川県と富山県の県境にはちょっとした峠道がたくさんあって、それこそ15%越えの強烈な上りもあるので、先頭グループは20名ほどの猛者に絞られる。


尚、先導車は平地だけでなく、上り坂も時速30~32kmで走るので、激坂区間では先導車が先に行ってくれて・・・


そこで猛者たちとガチンコバトルを満喫でき、それなりにYさんと充実した走りを楽しめました。


金沢ではチームメイトたちの見守る中、先頭でゴールして約束を守りました。(と言ってもゴールスプリントは無く、あくまで峠三昧を共に走った20名ほどのメンバーでのパレード走行みたいなもの)



 優勝の表彰状ではなくただの完走賞だけど、僕にとってはとても価値のあるものでした。


今はあの頃のように後先考えず、そして身体の限界が来ても根性とか気合とか・・・


燃え尽きるまで全力を振り絞って走るなんて芸当はもうできません。


でもYさんのように一緒に走るだけで力が湧いてくるような人となら、また全力で走り続けてみたいという願望はあります。


あの時は本当に楽しかった。


阿吽の呼吸とはこれの事に違いないという確信を持って走れた・・・そんな懐かしい思い出です。

2020年12月16日水曜日

希望を抱かせる自転車

 


撮影した場所の違和感はともかく・・・


アキラ君のエヴァディオ・ヴィーナスRSが最近活躍している。


彼の大学の友人たち数人に乗ってもらった時の話。

1人を除いて他は全員ロードバイクどころかクロスバイクも乗った事が無いという。

そんな友人がこのヴィーナスRSに乗った瞬間、「加速の伸びる感じが本当に判る!なにこれ?自転車に乗るってこんなに面白いものなの?」ってなったらしい。


ハッキリ言おう。

それはエヴァディオ・ヴィーナスRSだからです。


僕が初めて自分のロードバイクを手に入れて乗り始めてから、今まで25年の間に数えきれないくらいのロードバイクを乗ってきて、中には名車中の名車と呼べる素晴らしいロードバイクも数多くまたがってきましたが・・・


今まで乗ったロードバイクで本当に乗った瞬間、自分が覚醒したんじゃないか?って思えるくらいワクワクして、イメージ通りに速く走れたのは、後にも先にもエヴァディオの初代ヴィーナス(SLも含む)と、このヴィーナスRSだけ。


この自転車だけは異次元の走りが体感できる。


他の自転車と比較する事自体がもはや愚か。

そこまで言い切れる自転車だという事を知ってもらいたい。


ことさら日本人というものはブランドイメージに弱い人種で、エヴァディオなんて日本の新しい小さなメーカーだと思っている人の方が圧倒的に多いと思う。


初代ヴィーナスが誕生してからまだ12年だから無理もない。


自転車はとかくヨーロッパ発祥の乗り物であり、伝統的なスポーツである。


だからヨーロッパ一流ブランドのロードバイクに乗る事は、車で言うところのフェラーリやランボルギーニに乗る事と同じで、紛れもなくステータスだと本能的に感じているところも少なくはないと確信している。


僕も過去はそうでした。


しかし90年代までのロードバイクは、『メーカー対メーカー』『職人対職人』の維持と誇りと新しい技術のぶつかり合いでした。

世の中が良い自転車で溢れていた時代なんです!


だから伝統あるブランドの、職人の想いや魂をより感じる自転車を探して歩きました。


最終的には自分の予算との話し合いも含めて的を絞る事になるのだけど、当時の僕は今中大介さんの感性が自分の感性とかなり近いと感じていて、恐れ多くも直接ご本人にお電話でフレーム選びについて相談した事がある。


プロライダーの意見は当時の僕には神の声でしたので、本当に参考になりましたし、それによって多くの発見もありました。


それまで自分が考えていた理論とか哲学の裏付けまで確信を持てたというか・・・


なので有名ブランドにこだわるよりも、自分の求める純粋な速さに応えてくれる自転車を選ぼう!となってジタンに乗り換えたのが1998年でした。


また、僕のジタンはたまたまサイズの在庫が無く、プロ供給モデルをわざわざ空輸して頂いたのですが、市販モデルと違いフロントディレーラー台座がついていません。


それについてもクレームではありませんが、何故本来溶接されているはずの台座がついていないのかを今中さんに確認したところ、「プロ選手の中には台座の溶接個所がレース中に折れる事を嫌う選手もいるので、剛性も高く、破損しても替えの利くバンド台座を好む傾向があるので、チームに供給されているモデルは基本的に台座が溶接されていない場合が多いんですよ。」って答えが返ってきて「なるほど~!」って感動しました。


プロ選手やチームの生の声、意見が聴けたのも貴重な体験でした。


実際にあの頃がロードバイクの黄金時代だったと今でもそう思います。


しかし今は伝統やメーカー毎の個性やポリシーを守り、それらに基づいて新しい技術を取り込むはずの一流ブランドが軒並みビジネスに走っている事実を、一体どれほどのサイクリストが気付いている事だろう?


カーボンフレームが一般的になってその傾向が一段と強くなりました。


最近では自動車もプラットホームをシェアする傾向が強く、ポルシェとアウディとフォルクスワーゲンが同じフレームに似たようなエンジンと、サスペンションを載せてロゴとライト等、若干のエクステリアを変える程度で売っている時代ですから、自転車も然りなのかも知れません。


カーボンフレームなんて金型の製作にコストがかかるのであって、一度作ってしまえば量産するのは安くできるもの。


しかも金型は部分毎に分離及び結合ができるので、チューブの組み合わせを変えて全く違う自転車にする事もできる。


だから最上級グレードのフレームと同じ金型で、カーボンのグレードを落したりして、「同じ設計コンセプトで更にお求めやすい価格で最高の自転車を作りました!」的な売り文句で販売する阿漕な戦略を平気でするブランドもあるじゃないですか?


そしてこれがまたカーボンのグレードを落した方が、むしろ日本人・・・というより、アスリートではないホビーレーサーには扱いやすくて快適な自転車に仕上がる事が多いという偶然も重なりやすいので、「・・・・の自転車は乗りやすいし楽しいよ!」って口コミが拡がって、そこにメジャーツールでの活躍も重なると、信憑性までもが高まってくる。


更に言えば、それで満足したライダーは後にお金を貯めて「今度こそはフラッグシップモデルを手に入れるぞ!」と頑張る訳だが、ようやく念願叶って最高級バイクを購入して乗った時に爽快感を得る事は稀である。


なぜならプロスペックで売り出されている自転車は概ね数字上のスペックにおいての超一流なので、到底乗りこなせる代物ではないケースがある。


或いは変わらず乗りやすいので、満たされるのが所有欲だけに留まってしまう場合も少なくはない。


それを・・・

自分の感覚が鈍いからなのか?

初めてロードに乗った時の感動や感覚が風化してしまったのか?

と感動の薄い自分の感覚を疑ってしまう人もいるでしょう。


大半の人は困惑するし、困惑しない人は所有欲を満たした達成感が強過ぎて、結果的に乗り味はそれほど気にしていないのでしょう。


何だか良く解らないけれど・・・心から「うおーっ!すげぇ~!」となった人は一握りじゃないかと思う訳ですよ。


困惑した多くの人は高い買い物をしたのに「思っていた程良くなかった・・・。」とは恥ずかしくて言えないし、この自転車に乗っている事を自慢したかった思惑に反する事なので、尚更「きっとこれは勘違いに違いない!絶対に自転車は良くなったはずだから、前よりも走りが良くなったはずなんだ!あっ!そうだ!きっとプロスペックだから自分がまだ乗りこなせていないだけなんだ!」と自分への言い訳を考えて、必死に違和感を忘れようとするに違いありません。


そのうえ更に思う所として・・・


だいたいそんな高い自転車を買わされているのに、街中を走っているライダーを見ているとまともにポジションも出してもらっていない人が多いですよね?


よくそんなフォームで乗っているよね?って感じる事は割と多いです。


中には更に高いお金を出してフィッティングサービスを受けて、サイズを割り出して自転車を買っている真面目な方もいますが、「それ貴方の身体に合っていませんよ?」って言いたくなる人も本当に多いんですよ。


大体の人が規格外に大きなサイズのフレームを乗らされている。


在庫整理の為にウソ言って買わせたんじゃないか?って疑いたくなるくらい酷いです。


あのフィッティングサービスってどんな理論でやっているのか?

単純に担当者によって大きく誤差が生じるのか?


いずれにしてもポジショニングは徐々に変化するものなので、100%正解って言えるものが基本的にない訳で、わざわざそこまでお金をかけるサービスではないんですよ。


当然頼まれたら採寸したり計算する手間もかかるもので、料金は発生して当たり前なんですけど、限りなく100%に近いベストポジションを出せないようなら、そんなフィッティングほど無駄なものは無いと断言します。


大切なのは乗る人の感性なんです。


その自転車に乗ってあなたは五感を揺さぶられるような衝撃を受けましたか?って事なんです。


その感覚が生まれるのはその方のポテンシャルを引き出せる・・・ポジションが限りなく100%に近いレベルで出ている時だけなんです。


2005年頃より今日までカーボンフレーム全盛期・・・


最近では3D-CADで構造解析テストまでできる時代ですので、どう力を入力すれば、どこにどれほどの応力がかかるかも判るし、空気抵抗や乱気流の発生するポイントまでシミュレートできる訳だ。


中には風洞実験施設を使って開発しているメーカーもあるのですが・・・


例えば重量も軽くて剛性があって、空気抵抗も少なくて・・・非の打ちどころの無い究極のロードバイクの完成です!って言われたとして・・・


「ほんまかいな?」って話なんですよ実際のところ。


いやそれって誰が乗って証明したの?

どの自転車と比較したの?

プロ選手はスポンサー様から供給された自転車ですから、基本的には文句も言わずに乗りますよ?


数字上のスペックがいくら優れていても、生身の人間が乗る以上、そのエンジンの性能をどう活かすか?


或いはその自転車のポテンシャルを乗っている人間が、自分に必要と思えるレベルで引き出せるか?


それが良い自転車の条件なんじゃないの?って常々思う訳です。


要は乗ってみないと良いか悪いかも判断できないし、特徴も把握できないじゃないですか?


例えば空気抵抗ですが、自転車がどんなに空気抵抗を減らしても、乗る人間が一番大きな抵抗を作っているので、その人のフォームを限りなく空気抵抗の少ないものにしない限り、その自転車の性能なんて言うものは死んでしまいます。


だったらそんな微々たるスペックよりも、気持ちよく走れて、加速が伸びる躍動感を味わせてくれるバイクの方がよっぽど精神安定剤にならないか?って結論に至りますよね。


例えばなんですけど、同じ150万円するロードバイクを買うんだったら、カーボンバイクとチタンバイクとではどっちが良いか?


何処までも買う人の価値観なので、そこまでは僕も自分の価値観を押し付けるつもりはございませんが、無機質なカーボンフレームよりも、本物の職人が自分の為に溶接してくれたチタンバイクの方が生涯の宝物にならないかなぁ?と思う訳。


そんな話の結末にエヴァディオ・ヴィーナスRSを薦める理由は?と問われると・・・


100円以上する他社のプロスペック(高級車)などと乗り比べても異次元レベルで走りが違う。


すべて自分のイメージする走りに応えてくれて、むしろこう走った方が良い!と自転車からライダーに五感で感じさせてくれるところがこの自転車の凄さ。


ガンダムファンに解る表現をするならば、ウイングガンダムZEROに乗るような感じ。


潜在能力まで引き出してくれるような走りを実感できるので、その良さを説明するよりも実際に乗ってもらった方が早いかな。


「論より証拠」って話でね。


似たような走りをする自転車としてはビアンキのオルトレXR4とかスぺシャリッシマなんかが近い感じで、その反応性と加速感に僕も五感を刺激された覚えがあります。


しかしビアンキは乗り手を選びます。


あっという間に脚を持って行かれて売り切れます!(笑)


その点ヴィーナスRSは乗り手を選びません!


その人の体力に合ったベストの走りを引き出してくれるので、一切構える必要がないのです。


そしてカラーもデザインも限りなく自在にデザインできるので、見た目の満足度も走りの満足度も十分満たされるという訳で薦めたい究極のロードバイクと断言できるのです。


アキラ君も僕もかなり中二病満載のデザインをお願いしました。


アキラ君のヴィーナスRSは伊達政宗仕様になっていますし、僕のヴィーナスRSはカラーがスバルのソニックブルーマイカで、デザインは島左近仕様と、お互い好きな戦国武将をイメージして製作しています。


そして僕がまだヴィーナスRSを完成させていない理由は、ヴィーナスRSのお陰で速く走れても嬉しくないので、やはり自分がヴィーナスRSを乗りこなすに相応しい走りができるレベルに戻してからじゃないと乗りたくない!っていう想いからです。


最近はビクシズのパトスのお陰で久々に平地を楽しく走る感覚が蘇ってきました。



先日の走行会では5年ぶりにスプリントを楽しみましたが、これまでコーダーブルームのファーナSL2で時速52~3km程度しか出した事の無い(ファーナSL2はライダーを育てるバイクなので、粗削りな乗り方だと簡単には乗りこなせない)アキラ君が、ヴィーナスRSだといとも簡単に時速64km以上までスピードを引き出せたので、さすがエヴァディオ!と思いつつ、僕もビクシズ・パトスの加速の伸びを楽しく満喫できました。


これなら仕事中に眠くなるとか、後先考えずに走れば・・・まだ時速70km以上まで引っ張る事ができる!という実感も味わえたので、僕は僕でアキラ君のヴィーナスRSのお陰で楽しみが増えています。


そして昨夜は、ヴィーナスRSが本当に僕が言うほどの凄い自転車なのかを確かめたいって

お客様がご来店下さって、アキラ君のヴィーナスRSに試乗して『論より証拠』を体感して下さいました。


「凄すぎて言葉にならない!」という第一声。


単純ですがその一言が全てを物語っています。


エヴァディオの社長は全然ギラギラしていません!


一見するととても『すごい自転車を作りたくて情熱を燃やしている』ようには見えません。


とても物腰柔らかくて温厚な紳士です。


それだけにどうやったらあんなにすごい自転車ばかりを開発できるのかが不思議でならないというのが僕の所感。(笑)


バッカスSLは現行モデルのアルミバイクの中では間違いなく世界一速い自転車ですし、乗り続ける事でライダーを育成してくれます。(雑に乗ると真価を発揮しない)


ペガサスは6AL4Vチタンに匹敵するくらい軽量に仕上がった3AL2.5Vチタンのロードバイクで、軽さと重心バランス、専用設計のカーボンフォークとの相性、耐久性、ライダーの心境や体調、体力レベルに合わせて乗り味が変化するカメレオンのような性質・・・そのバランスの高さは確実に世界一の贅沢を詰め込んだロードバイクだと言えます。


ヴィーナスRSはペガサスよりやや攻撃的で、ライダーの五感を刺激して120%の走りを引き出してくれる、誰が乗っても世界一速く走れると感じるロードバイクです。


そしてどの自転車も25万円~60万円程度の価格帯で、その世界一の走りを体感できるのでコストパフォーマンスは異常なほど高いです。


コーダーブルームは更に低コストでロードバイクの楽しさを判りやすく教えてくれるアルミバイクを作っていますが、最高速の伸びは時速60kmを超えた辺りで頭打ち傾向なので・・・


初心者には判りやすいコーダーブルームで・・・慣れて来て自分の限界を知りたくなった人とか、より高みを目指したくなった人にはエヴァディオ・・・いつまでもその質実剛健かつ気品ある走りと価値が失われる事の無い永遠の宝物が欲しい方にはビクシズを・・・


勿論他の自転車メーカーも魅力ある作品は少なからずあるので、良い物は良いという事で扱いはしたいのですが、20万円以下のロードバイクでコーダーブルーム程コストダウンの為に部品をケチる事も無く、ライダーの安全性を第一に考えてくれるメーカーは他にありませんし・・・


僕の自転車の方程式はしばらく変わらない方向性ですね。

2020年12月15日火曜日

コロナを吹き飛ばそう!~若狭支店の現状~

 昨日は12月14日は9月下旬以来の若狭出張でした。


10月~11月は神戸のお店も売上がピンチで、僕が店を空けたらたちまち・・・な状態だったので、ようやく落ち着いて若狭に出向きました。


周知の事実ですが、新規事業は頓挫したままです。


当然コロナショックで旅行業界も大荒れに荒れています。


どんなに画期的なイベントを考えようとも、コロナウイルスの脅威がくすぶっている以上、安全な旅行なんてものは存在しません。


僕がテナントをお借りするドライブインの『千鳥苑』さんも大打撃を受けて、いつ収まるかも判らない事態を乗り切るために日々苦労をされています。


カニやフグのシーズンに入って、本来なら若狭は今からが書き入れ時なのに、名古屋も大阪もバスがストップしてしまい、ほとんどの予約が白紙状態!


今はスタッフが一丸となって新体制を作り直さないと、この危機を乗り越えても・・・その先を勝ち抜く武器がありません。


その上、年末年始の『GoToトラベル』も停止になった今は見込みそのものが無い状態。


僕は3月に助成金のプロとも言うべき大先生に仕事をすっぽかされたダメージに続くコロナだったので、本当にモチベーションを崩してしまい、今は時間をかけて体制を立て直しています。


現状新店舗の看板作成を外注していますが、内装もぼちぼちと形にしていきたくて、昨日は工具類一式と、ツールワゴン、オフィスチェアーを持って行って組み立てました。



ホダカさんからボチボチと追加のレンタサイクルも届いていますので、追々また組み立てに来ないとなりません。


こちらは8月に組み直した車両たちです。


ツールワゴンを組み立てます。


工具一式と言ってもまだまだ自転車屋を営むには工具が不足しています。

足りない工具は徐々に買い足していきます。

うちみたいに何の権限も力もない個人商店は、どこぞのチェーン店や、立地に優れた店舗のように、「新店舗を立ち上げるから工具とか作業スタンドとか展示台を協賛してくれ!」等という偉そうな事を、口が裂けても言えませんので・・・慎ましく準備を進めています。


カウンターテーブルで使うオフィスチェアーを組み立てます。


ここのボルト穴の間隔が、本体とアームレスト側とで、3mm狂っていたので、強引に取り付けるのに苦労しました。

モノタロウクオリティですから文句は言えませんが・・・。(笑)


あっという間に完成!


半円のベンチは本館の物を一旦ここに置いているだけ・・・

でも使わせて頂けるなら・・・これはこれで面白いかも!

社長の骨董品コレクションがまだ残っているので、それも移設する予定です。

このフロアにどうカウンターを設置するか・・・

ズイフトが体験できるスペースも追々作りたいし・・・

サイクリングのマナーとか、若狭のプロモーション動画を流すモニターを設置したり。

昨日は常務にこの部屋のサイズを測り直して頂き、その平面図を頂戴しました。

これで配置図を作成し『千鳥苑』さんのOKが出れば、カウンター作成用の材木を発注できそうです。


午前中も既に舞鶴から先は大雨で、時々ミゾレ混じりだったのですが、16時以降は本格的に降ってきたので、17時頃・・・神戸に向けて撤退しました。


三方五湖SAでこんな感じですが、帰りは上中の区間で完全に雪で・・・ホワイトアウトとまではいかないものの、そこそこの悪天候になって・・・


何とか慎重に走って、無事に帰って来る事が出来ました。

2020年11月29日日曜日

2020年5月・・・久々の走行会

 学生たちはいよいよ通学開始が決定して、課題の仕上げに追われていた。


アキラ君も例外なく大学の授業開始でしたが、5月30日は一緒に走行会!


僕もH川様もまだまだリハビリが必要なので、ポタリングを兼ねてダラダラと走りました。


というよりもコロナ渦で実質的に車の交通量は増えています。

鉄道などの公共交通機関を使う事にリスクを感じる方が増えていて、それまでサンデードライバーだった人まで車通勤が増えて、平日及び週末に限らず、運転のおぼつかないドライバーが一気に増加。

平日はその為に意味もなく自然渋滞発生率が増え、トンネルではライトも点けずに走るドライバーが倍増し、車線変更や右左折でのウインカーも点けないか、点けても今更?な車が蔓延し、意味不明な交通事故も多くなりました。

土日祝日もレジャーに出かける家族が軒並み車で移動するもので、土日も早朝から交通量が増えています。

神戸市内の主な車道は何処も混沌としていました。(現在も全体の交通マナーは悪化の一途を辿っている感じはあります。)


そういった背景から以前よりも街中の車道が、自転車で走りにくくなっている事を本能的に感じていました。


走行会でイライラしながら危険と隣り合わせで大通りを走るくらいなら、交通量の少ない裏道をゆっくりでも止まらずに走り続けた方がストレスが少ない時もあるのです。


西側へ走りに行く場合、中央区を抜けるまでは臨海線で倉庫街を抜け、メリケン波止場からハーバーランドにかけては車道以外を走って港の風景を楽しみます。


川崎重工を過ぎてからは再びドック街(船舶の修理工場)や倉庫街を走って中の島(中央卸売市場)へ・・・


兵庫区より西であれば、少しずつルートを選んで走れるようになります。


この日は高松線を走って須磨まで行きました。



たまにはビーチを走るのも悪くないですね!


心なしか須磨の海水の透明度が綺麗になったような気がします。


開かずの踏切に随分と捕まってしまいました。

このあと塩屋から多井畑方面へ北上。


コンビニで休憩をしていたら珍しい三輪車が!


ダイハツのオート三輪ですが、この近くの車の整備工場の車の様でした。


やはり三輪でバランスがシビアなのか、緩い坂道で左折してスロープを上がるのは難しいらしく、独特なライン取りで侵入していました。


横転しても簡単に起こせるんでしょうけど・・・昭和ロマンとはいえ、この車で峠道とかは走りたくないですね。(汗)


しかし久々にイイモノを見る事が出来ました!


この日はこの後、妙法寺から鵯越方面へ抜けて山麓沿いに帰ってきました。

2020年11月27日金曜日

2020年5月は山三昧!・・・その⑥『感傷に浸った摩耶上野道』

5月23日は店前スタートで摩耶山を目指す。 


当然いつもは灘丸山公園まで車で行ってからのスタートだから上まで登れるのであって、店前からスタートとなると上まで登っていたのでは、開店時間までに戻って来れません。


それにまだ尺取虫のシーズンが終わったかどうかの確認もできていないので、ある意味下見を兼ねて五鬼城展望公園くらいまで登れたらいいかな?って考えでスタートしました。


灘駅を抜けて、王子公園内を登って行く。


神戸高校の東側の住宅街から摩耶ケーブル駅方面まで登って休憩。



そこから上野道へ登って行く。


もう尺取虫のカーテンは随分と減っていたが、それでも油断していたら頭や背中に降ってきて、這いつくばっていたりする。(笑)



展望公園からの景色。

この日はMちゃんと登ったのだけど、「こういう景色も良いけど、店長みたいに山の上から綺麗な星空を見てみたい!」と言われまして・・・

これはやはり我が登山部(!?)に入部させなければいけないなぁ~等と思うのでした。



別の日になっちゃんとも摩耶ケーブルまで登ったのですが・・・

彼女も進路や、バレエの事で色々と悩んで葛藤している模様。

何かしら新しい事を始めて視野を広げるなら、高校生のうちにやらないと・・・

大人になってからだと新しい事を始める勇気が湧かなくなったり、自分自身に対する自信の喪失とか、コンプレックスに負けてしまう気がするので、若いうちにあれこれトライしてもらえたらいいな。と思いつつ話を聞いていました。



やはり歩くなら土の上の方が気持ち良いですね。


アスファルトの上は結構疲れます。


そういえばこの日は神戸高校側に下山したのですが、途中ですれ違った人に見覚えが・・・


大学時代に勤めていたフィットネスクラブの会員さんのグループでした。


確かランニングクラブに所属していた方々ですが、20年以上も仲良く活動されているなんて羨ましいというか・・・素晴らしいですね。


僕は20年前までのチームでは、一人だけヨーロッパ行きを目指して必死で、中には練習が厳しいからサボりたいってメンバーも数人いて温度差が激しく、僕の練習不在中にチーム内でサボり癖を蔓延させたメンバーに怒った僕が、「これは連帯責任や!」と、メンバー全員へ怒りのメールを一斉送信した事をきっかけとして、絆に亀裂が生じ解散した経緯があります。


メールだと感情が伝わらないから仕方ありませんが、高校卒業時から学業とバイトを両立しながらチームを運営し、7年かけて自分の成績だけではなく、メンバー全員の成績アップを目指してトレーニングの指導や自転車のメンテナンスをしてきたという僕の気持ちを、当時のメンバーたちには考慮してもらいたかった。


当時はひたすら悔しくて悲しくて、もう二度と自転車になんて乗りたくない!って思えるほど落ち込んで・・・それからせっかく就職した仕事を辞めて1年間、命懸けのストリートレース漬けで、いつ死んでも構わないって気持ちで自暴自棄な放浪生活をしていた経緯があります。


そのくらい当時は自分の人生のすべてを自転車に懸けていたんです。


ものすごくショックでした。




そんな僕がいつしか自転車店を始めて、またチームを作って同じ目標を持って走れる同志を増やしたい!って思ったものの・・・


結局集まってくる人の中には、ブランクが長く落ち目になった僕を上りで負かして自己満足に浸りたいってチャレンジしてくる人も何人かいて・・・


そういうのって言葉の端々でも感じるし、中にはネットで誹謗中傷を書く人までいて、そりゃ僕じゃなくたって良い気なんてしませんよね?


もちろん楽しくみんなで走りたいって人の方が多かったのですが、中には僕の考えるメニューとか(個人ではなく全体のレベルアップを)意図して考えているプランとか、そういうのを一切無視して自己満足の為に走る人もいて・・・。


指摘したら店に来なくなって、他所の店で僕の誹謗中傷をしているって噂も耳に入ってきて・・・


そういうのでどんどん疑心暗鬼になってモチベーションが崩れて・・・更には怪我や体調不良とかよりも、昔みたいに走れなくなった自分自身の(走れていた頃の)幻影に苛立ちを感じながら、それを追って走る事に疲れと絶望を感じて・・・


でもそんな僕の心情なんて誰も知る由もないでしょうから、単純に僕のサボり癖が酷くなったと感じたメンバーもいたみたいで、いつの間にかまた分裂したなぁ~って。


だから20年以上続いているあの人たちを見て、素直に羨ましいって感じました。


僕ももっと腹を割って付き合える人を増やしたいですよ。

店主とお客様としてだけではなく、自転車を通した戦友とか同志って関係を使い分けてくれる仲間を・・・。


だからどんな状況になっても信じて来てくれるお客様やメンバーさんを、僕は感謝していますし、これからも大切にしていきたいと思っています。


とまぁ・・・ちょっと傷心に浸りながら下山したのでした。

2020年5月は山三昧!・・・その⑤『しばらくは山以外でウォーキング!』

 


5月13日以降しばらく、山は尺取虫が久々に大量発生しているので避けよう!って話で、普通に街中をウォーキングする事になりました。


それにMちゃんもなっちゃんも、そろそろ緊急事態宣言中に与えられた学校からの課題を提出しないとならない期限も近付いており、歩く頻度を少し減らす事にしました。


ところで上の写真は中央卸売市場近くで撮った写真ですが、カニが2匹(こんな小さいサイズでも2杯とするべきか?)紛れて写っています。


発見できましたか?(笑)


なっちゃんにしてもMちゃんにしても、HAT神戸以外をほとんど知らずに育っています。


アキラ君もそうです。


両親が共働きだったり、習い事で忙しかったり、理由や環境は様々ですが、家族でゆっくり旅行に行ったり、友達とだったり一人旅だったりの経験がまだないので、本当に何も知らない事が多いです。


アキラ君の場合、家族旅行は毎年しているらしいのですが、だいたいお決まりのコースで馴染みの宿に泊まるパターンらしく、新しく行った事のない所へプランを立てて行くって習慣が無いそうなんです。


だから地元神戸の事ですらHAT神戸を出たら知らない事だらけ。


最近はそういうお子さんが多いみたいです。


僕は幼稚園から一人で片道1時間20分かけて電車通いしていたり、祖母の買い物に付き合って難波や梅田、京都に出歩く事も多かったし、父親とは東北地方と東京を1週間以上かけて旅をした事もありますし、祖父母とは頻繁に旅行に行きました。


親戚のいる北海道にも青森から青函連絡船で函館に渡ったり・・・(小学生の時点で一人で行けと言われても、平気で寝台車で青森まで行き、連絡船に乗り継ぎ・・・更に函館から札幌まで出てから、小樽の親戚の家にも、芽室に住む親戚の家にも、旭川の親戚の家であっても、迷わずに特急に乗って行けていました。)


だから尚更最近の若い子を見ていると、あちこちに連れて行ってあれもこれも教えてあげたくなります。


地元神戸でさえ、平安時代から震災前までの様々な歴史や、街の栄枯盛衰の経緯やその理由など、辿って行けば面白い話がそこら中に転がっています。


中央卸売市場周辺だけでも平安時代からのネタが詰まっていますし、映画のロケになった場所だったり、旧兵庫県庁跡地があったり・・・そこに初代兵庫県知事にして初代総理大臣であった伊藤博文が通っていたなんて事を想像してみただけで、何だか不思議な気持ちになったりもするものだ。



これは2号線沿いのポスト・・・


近くまで行くと兵庫大仏のイラストが描いてある。


この兵庫大仏も、奈良と鎌倉に次ぐ日本3大仏の一つであり、その大仏のある能福寺は天台宗の最澄が建立した日本で最初の密教寺と伝わっていますし、平清盛が出家した際に断髪した場所だとも云われています。


そして昭和の風景が所々残っている兵庫区は、昭和生まれの僕世代にはたまらなく懐かしい場所なんです。


それはもう新開地周辺の昭和初期に建てられたビルとか、ほとんど無くなりましたけれど、それでもまだ昭和のまま残っているお店とかも多いですし・・・


我が地元ながら歩いていて飽きる事がありません。


ここからハーバーランドまで戻った瞬間、平成以降の神戸(現実)に戻ってきたような気分にさせられます。


この日はなっちゃんに昭和から平成、阪神淡路大震災を経て変わった街の変化について語りながらウォーキングを楽しみました。


後日、今度は兵庫運河を中心に和田岬や苅藻、尻池の方をMちゃんと歩きました。


改めて思うのは神戸市の都市開発には個性が無いという事。


世界中を見回せば、どんなに最先端の技術や企業が密集した都会でさえ、歴史的建造物などをみだりに壊したりはしていない。


住宅街でさえその街並みを保存しようという傾向が強い。


神戸にも歴史的な背景や、明治以降の日本で海外から入って来た最先端の文化を発信していた街である由緒がある。


その情緒がどんどん失われている事に寂しさしかない。


中央区の海岸通りなどは昭和初期のビルと最新の建築がコラボした状態で保存されているビルもあって、僕はすごく好きなのですが・・・


全くの新しい建築に建て替わっていく事には賛同できない。


せめて三宮の阪急会館ビルのように復刻させようという意図が含まれていると嬉しいのですが・・・。


やはり自分の生まれ育った街なので、いつまでも愛着を持っていたいし、世界に誇れる街であって欲しいと願う訳。


僕が子供の頃・・・神戸市は世界的レジャーと観光の街だったはずなんですよ。


そう思うと『時代の移り変わり=便利な世の中=情緒もくそも無い』の図式が出来上がってしまう。


知事の公用車にセンチュリーなんて買っていないで、県も市も街の景観を保存して神戸らしさを無くさない努力を費やしてもらいたい・・・と庶民は願っているのである。

2020年11月23日月曜日

2020年5月は山三昧!・・・その④『須磨アルプスの馬の背へ!』


5月9日は妙法寺からスタートし、横尾団地を抜けて栂尾山から須磨アルプスを逆時計回りに歩く事にしたのですが・・・。

この指標にはちょっと困惑した。

これは横尾団地から啓明学院脇を登ってきた左手の公園奥から栂尾山への階段に向かう登山口の指標であるが、これから向かう方向が高倉台とある。

確かにこの先で六甲山系全山縦走路と合流するのだが、左へ登れば栂尾山で、離宮道に沿ってまっすぐ進めば右手に高倉台へ渡る歩道橋がある。

だから決して間違いではない。

しかし高倉台へはこの公園の前を通る車道沿いに橋を渡った方が早いので、ここの指標には書いて欲しくない。

『縦走路合流まで50m』とかに書き換えてもらえないだろうか?


階段を登り始めると高倉台~高倉山~鉄拐山~旗振山越しに淡路島と明石海峡大橋が見えてくる。

六甲山系全山縦走は塩屋からのスタートが旧来のルートらしいが、住宅街を大勢の参加者が歩く訳に行かないので、須磨浦公園の駅西側の展望公園で受付を済ませてから、まず鉢伏山を一気に登るところからスタートするのが公式である。

スタート直後は時間も早朝5時で真っ暗の中、ヘッドランプを付けた集団で渋滞するので、敢えてヘッドランプなしで旗振山まで全力疾走で駆け上がるのが基本。

ヘッドランプを点けない理由は「ハイスピードで迫られたら、ゆっくり歩きたい参加者に余計なプレッシャーを与えてしまう。」っていうのが一つと、「同じような考えを持った参加者に自分の居場所を教えてしまうので、ペースメーカーにされたくない!」っていうのが一番の理由です。

なので、他の参加者には失礼のないよう、明るく元気に挨拶しながら、「あれ?今誰か抜いて行かなかった?」って抜かれた事すら幻影に思えるくらいのスピードで登ってしまうのが僕流の礼儀です。(笑)

でもそれで一度、真っ暗けの旗振山から鉄拐山の道中で、何度も歩いて絶対に間違えるはずのない道を間違えたらしく、いつの間にか一の谷へ迷い込んだ事がある。

僕は山の中で姿の見えない足音に迫られる体験を何度かしているのですが、この時も前と後ろから足音に迫られて左の脇道へ進み・・・するとまた前方から足音が接近してくるので、更に左の急斜面を全力の藪漕ぎで逃げたら、無事に本線に戻れたという体験をしている。

こんな海や住宅地の近くの山とはいえ、一の谷って場所柄も踏まえると油断のできないミステリースポットではあります。

という訳でその時はせっかくスタートが早くて、旗振山を先頭で通過したアドバンテージをそこで失ってしまい、その年は全山縦走のタイムを更新するモチベーションを序盤で崩してしまったという。


まあそんな感じで参加者の集団は高倉台に着く頃には大きくばらけているので、高倉台の住民にはそこまでご迷惑を掛けずに済んでいるのかな?

ただそこからのこの栂尾山への登りがとにかくヘビー!

高倉山のおらが茶屋までの階段も同じくらい強烈で、登るのも下るのも膝にダメージが蓄積されて大変なのだが、この日はここからが本格的な登りとあって、高校生二人はまだまだ元気でした。

何度見ても嫌になる階段です。


まだ少し登ります。


少し登ってからはやや緩やかになりますが、栂尾山の展望台まではもうしばらく林道を登ります。



このプレートの上をショートカットすれば展望台までは早いのですが、どうもなっちゃんが厚底スニーカーを履いている兼ね合いで山歩きに苦手意識を持ってしまったらしく・・・


それにバレリーナが足を捻ったら一大事なので、南側の斜面を大きく巻いて展望台へ登った。



栂尾山山頂にある櫓の上からの展望。



意外と夜景が綺麗だったりする場所ですが、初夏は虫だらけなのでお勧めできません。(笑)


この櫓の下ではスズメバチが警戒して飛び回っていました。



こども病院の跡地が寂しいですね。


あの病院前の交差点は離宮道の下り坂で、スピードが出やすいから意外と事故も多く・・・


僕が小学3~4年生の頃に同級生が名谷から板宿まで自転車で行こうとして事故をし、そのまま目の前にあるこども病院へ担ぎ込まれて入院したなんていう事もありましたし、僕が以前活動していた頃のサイクリングチームの練習中には、お調子者の大学生メンバーがバランスを崩してヒデさんに接触し、ヒデさんが大落車を起こす事故もありました。


色々とアクシデントの話ばかりですが、こうして山の上から見下ろすとなぜか感慨深いです。



二人もこの景色に登ってきた手応えみたいなものを感じたみたいです。



さあ、スズメバチに付き纏われないように次の横尾山を目指します!



こういう表記だと判りやすいですね!


横尾山の山頂です!

ここから下って行くといよいよ今回のメインルートである『馬の背』に近付きます!


Mちゃんは別に疲れている訳ではありません。

尺取虫まみれでうんざりしている図です。

時期的に尺取虫が増えてきているので、敢えて岩場の多い・・・でもなっちゃんに芦屋ロックガーデンはまだ早い!って事情で須磨アルプスを選んで来たのですが・・・。

まさかの虫の多さに僕もうんざりしてきました。

そしてなっちゃんは岩場の急斜面にどう歩いて良いのか戸惑っています。
 


馬の背の一部が見えてきました。

が実はここの時点で本線から外れています。

ここも随分歩き慣れたルートなんです。

確かになっちゃんの歩きやすいルートを選びながら巻き道を進んだりしたものの、まさか自分が本線を見失うとは思いもよりませんでした。(汗)


「あれ?こんな滑りやすい不安定なルートだったかな?」


とんでもない急斜面を木の枝や根を掴みながら下ってきて、どうにも道らしい踏み跡も少ないので一旦二人をここで待機させ、僕一人でこの先の急斜面を降りてみる。

すると先ほど我々を抜いて行ったトレイルのお姉さんが、慌てた顔で登り返してきた。

「ここから先は切れ落ちていて・・・行けない訳じゃなさそうですけど、ちょっと自信が無いので戻ります。」って。

ただでさえ崩れやすく滑りやすい岩質なので、まともに掴む場所もないこんな危険なルートが馬の背へのルートな訳が無いので、僕も引き返してもう一度ルートファインディングをする事にしました。


二人にはルートを確認するまではじっと動かないように伝えています。


馬の背の位置が判りました!

もっと手前に左手に下る道がありそうです。

どうやら巻き道を歩いたから分岐を見逃したみたいです。

それにしても最近僕のルート間違いが多いので、もう少し慎重に状況判断しないとなぁ~と思いつつ・・・いざ馬の背へ!



以前に比べたら怖さが緩和されていました。

鎖場も鉄階段も歩きやすくて・・・


少なくとも南側斜面は転げ落ちても大事には至らない感じ。

スキップで渡れそうな感じです。

指標の形から馬の背の中間から離脱できる道のある事が判断できます。

そこを右手に下ると水野町(離宮公園の東側)に下山できるみたいです。


久々に来た馬の背でしたが・・・奥穂高岳の馬の背とは比べ物にならないくらい歩きやすくて・・・しかも楽しいです。


それでもなっちゃんにしてみたら、これは間違いなく大冒険だった事だろう。


少しは怖がっているのかと思ったら・・・


やはり若者は慣れるのが早いなぁ~。(笑)

切れ落ちた北側斜面に身を乗り出して写真撮影とか・・・


最初は向かって左手のピークに見える所から、あの急斜面を下っていたのだ。

そりゃまともなルートじゃない訳ですよね。(苦笑)


でも岩場に自信のある人だったら・・・

スリリングで楽しめるルートかも知れませんね。

命の保証はできませんけど。

馬の背を通過した頃、先ほどのお姉さんも本線で渡っているのが確認できました。

やはり迷いやすくなっているのかも知れませんね。

判りやすい指標や看板が必要だと思います。


東山の山頂から横尾団地へ下山するルートの最中でまた蛇と遭遇しました。

蛇はガサガサとは言いません!

草や落ち葉の上をシュルシュル~っと這いずる音で判断できます。

まあまあ大きめのシマヘビでしたが、写真でも判断できないくらい自然色に同化しています。

そして尺取虫がたくさんぶら下がっている公園近くの登山口を走り抜けて無事ゴール。

それにしても疲れました。

意外と須磨アルプスはここだけ単体で歩いても歩きごたえがあるので、体力に自信の無い方はくれぐれも無理しないように歩いて下さい。