2020年12月28日月曜日

2020年5月~6月のその他出来事と、懐かしい写真について・・・


RX-8のフロントフェンダーに故意に傷をつけた人がいて・・・何とか犯人を突き止めた後に修理に出していました。


その間に今度はインプレッサのクーラント漏れが酷くなって、ある日エンジンルームから煙が上がった。


単純に噴き出したクーラントがエンジンに噴きかかって蒸発しただけでしたが、いよいよラジエターホースを総替えしないとならなくなり・・・



ラジエターホースをシリコンホースに交換!


ついでにラジエターキャップも純正と同じ1.1キロのプレッシャーにデチューン。


やはり1.3キロにして、早めにエンジンを冷却させるというのはターボ車のパワーアップには必要な機能ではあるけれど、圧力を上げる事でラジエターに対して余計なストレスを与え続けている事にもなるので・・・車を長持ちさせる為にはノーマルに戻した方が良い事もあります。



ラジエター本体は3年前に倉敷へサイクリングに行った帰りに完全にとどめを刺してしまったので、その際に銅製のラジエターへ交換済み。


純正ラジエターは真鍮製で耐久性も高く良く冷えるが重量が重たい。

逆によくチューニングで使われるアルミ製だと、熱伝導率が高過ぎる事がネックになって夏場の渋滞時にエンジンの熱でオーバーヒートに繋がる恐れがある。

そういう理由から僕は耐久性も高く真鍮より軽い銅製のラジエターを採用しています。

勿論よく冷えるので、水温も油温も常時80℃程度で安定しています。


ラジエターバンドを純正のままにしていますが、それもクーラントに余計な圧を掛けない考慮からです。



あとブレーキパッドも交換しました。中古車の怖い所は見えないところを粗悪品のまま売っている場合がある事です。


ローターが偏摩耗して錆びていたのですが、徐々に整って綺麗になってきました。


実はこの車両、サスペンションの味付けも僕の好みではないし、ブレーキバランスも合っていないと思っていました。


案の定安物のパッドが入っていたので、交換ついでにキャリパーのピストンもオーバーホール。


最近は僕好みのブレーキパッドがないので、とりあえずミニサーキットくらいまでは対応できる耐熱650℃のパッドで間に合わせています。


僕の大好きだったロッキードのZCは何年か前に廃番になってしまい、暇さえあれば在庫を持っている店が無いか探していますが、さすがにもう見つかりません。



更にカーナビも壊れてしまったので、少し古い型ですが・・・最新版のソフトをインストールしたカーナビを購入して交換しました。


アンテナ類を張り替えるのが面倒くさかったので、そのまま流用できてハードディスク付きのものにしたので、目下CDをインプットしまくっています!



これすごく美味しかったです!



癖になる味で毎日でも飲みたかったのですが、最近は見かけなくなりました。(涙)



傷を入れられたRX-8のフェンダーも綺麗になって帰って来たので・・・



1年以上前に購入していたフロントバンパーとヘッドライトにようやく交換しました!


やはりヘッドランプはイカリングの方が精悍に見えます!


ただこれは純正を改良した個人作品なので・・・光軸が少し怪しくてハイビームが使い物になりません!



同じくサイドステップも付けたので・・・


あとはカーボンボンネットとカナードを付ければエクステリアは完成です。


また作業をするモチベーションが湧いて来た時に頑張ります!



アルバムのほとんどは実家の納戸の奥深くに眠っていますが、一部は出てきました。


これは元々スプリンターだった僕が、無理矢理先輩の口車でヒルクライムの世界に引きずり込まれた記念すべき初参加の『つがいけサイクル』の写真です。


当時の愛車だった『三連勝カタナ』(Wレバーの7速)を持っているのが僕です。


6月上旬の北アルプスはまだまだ積雪も厚く、まるで雪の大谷を駆け抜けるような気持ちで走れました。


そしてここでヒルクライム界のレジェンドである村山利男氏の走りに圧倒され、尊敬し・・・ヒルクライムの世界にどっぷりとハマってしまうのでありました。


先輩からは「ここで1時間を切れば表彰台は勿論、実業団とも渡り合えるよ!」って言われ、何でも「どうせやるなら頂点を目指せ!」っていうのが僕の考え方でもあったので、「実業団?僕が目指しているのはプロですよ!」って啖呵を切って、土曜日の試走では中間地点まで余力を残して31分で走り、手応えは十分に感じていたのですが、翌日の本番では同じ組に後にシドニー五輪の代表選手になる鈴木雷太氏がいて、スタートから猛烈なスピードで棚田の激坂区間を駆け上って行った。


初めてのヒルクライムなので全体の様子を見ながら走ろうと2列目からスタートした僕はいきなり面喰い、遅れを取ってはいけないと食らいつくも、「こんなペースで走り続けられたら最後まで持たない!」と、ゴンドラ駅前を過ぎた第2駐車場付近で心が折れる。


その時点で先頭グループは8人いて、僕は最高で5番手を走っていたのですが、徐々に後続に追いつかれ・・・後半は脚が売り切れ栂の森までの区間は地獄でした。


結局1時間13分もかかって13位と不本意な結果になりましたが、それで尚更ヒルクライムに燃えてきた・・・そんなレースです。



これは『第8回ツール・ド・のと400』に参加した時の2日目。

輪島を出発する前の待機場所です。


3日で能登半島を1周420kmを走破する、センチュリーライドの王道の一つでもあります。


制限時間もあって簡単に完走なんてできないとか言われていましたが、「本気でプロを目指すのだったら、完走どころかトップでゴールしなければプロになるもなにもないだろ?」って思っていた僕は、「トップでゴールするから嘘だと思うなら金沢まで応援しに来てくれよ!」ってチームメイトに啖呵を切って参加した。


そもそもセンチュリーライドはレースではないのだけど、琵琶湖一周サイクルマラソンのようにタイムと順位を計測する大会もあるので・・・


「3日間を誰のアシストも受けずに単独で平均時速42kmを守り切れたら、俺はヨーロッパでも通用できる!」そう信じてエントリーしたんですよね。


初日・・・参加人数が多い事もあって、金沢のスタート地点ではマスドスタートではなく、グループ分けをしての時間差スタートとなった。


僕は最初のスタートから1時間以上遅れてのスタートとなったが、「先頭を必ず捉えてやる!」って負けん気がモチベーションとなる。


内灘までは度々信号に捉まってヤキモキしたが、基本的に時速50kmを切る事が無い猛追で先頭を追う!


内灘からは信号に捉まる回数も減り、常時時速54~56km(所々集団を抜くために時速68kmくらいで走る)のペースを維持したまま、最初のエイドステーションであるナカヤマエッグ(羽咋の手前)に着くのと同時タイミングで早くも先頭を捉えた。


金沢市内を抜けるまでは38km程だった平均時速は、そこで42.8kmまで上がった。


想定外だった事はエイドステーションには強制的に入れられ、少なくとも15分程度の足止めを強いられる。

僕は平均時速を殺したくないから極力休憩なんてしたくないし走り続けたいのに、それが叶わない事・・・


そして極めつけ・・・先頭には自衛隊の先導車がいて、それを追い越す事は御法度!即失格退場になるというルールがある事を知らなかった。

因みに先導車の走行スピードは概ね時速30~32km程度である。


確かに並みのサイクリストであれば時速30km以上で巡行っていうだけでも敷居は高く感じるので、完走は難しい・・・なんて発想にもなるのだろうけど、当時の僕には「なんて邪魔くさいルールなんだ!せっかく稼いだ平均時速を無駄にさせる気か?」と完全にグロッキーな気持ちにさせられた。


しかしまあ『郷に入らずんば郷に従え』っていうもので、僕も気持ちを切り替えてそのルールに従う。


初日最後のエイドステーションである門前総合運動公園で動きが変わる。


初日のゴールは参加コースによって変わり、大半が輪島でゴールなのだが、宿泊施設のキャパの関係で一部は曽々木まで走る事になっている。


だからなのか先導車が早くも走って行った。


僕としてはありがたいので少し待ってからスタートする。


ところが思いのほか円山峠はしんどかった!


当時は意地でもインナーを使いたくない性格で、ヒルクライムレース以外はアウターで走り切る!って変なこだわりを持っていました。


しかもこの大会に向けてサンツアー・シュパーブプロの54Tを導入していました。


それだけにしんどくて、序盤の爆走もあってとうとう脚が攣る。


何人かに抜かれた悔しさで意地になって上り、そして下りで一気に抜き去る。


すると一人だけそのスピードについて来る選手がいて・・・現役の競輪選手でした。


そんな人も参加するなんて・・・と思いつつも、これで初日の最期が面白くなりました。

輪島ゴールまで残り10kmの地点から牽制し合って・・・抜かれたら抜き返す!


少なくとも当時の僕は他人に引かせて楽をさせてもらっておきながら、最後だけ頑張って走るなんて思考は皆無で、「ぶっちぎりで勝つ!」がモットーの単細胞レーサーでした。


残り4kmの看板からアタック!


スプリントはラストの400mが勝負ってよく言われるけど、ぶっちぎりで勝ちたい僕は4km手前からアタックし、時速64km前後を維持しながら相手が心折れるまで命の限り踏み続け、輪島ゴールにはぶっちぎりのトップでゴールし、キンキンに冷えたビールをもらって一気に飲み切った。

先導車の事や円山峠の上りもあって最終的な平均時速は33km程度と不本意な結果になったが、スプリントに競り勝った後のビールは格別な味だった!



これは2日目、僕に人生最高の走りを楽しませてくれた東京都中野区のYさんとの休憩中に撮った写真。


Yさんの自転車こそ94年ジロ・デ・イタリアのチャンピオンバイクである、ゲビスカラーのデローザ・チタニオなんです。


僕の憧れの自転車に乗って、そしてメチャクチャ速いYさんに出会えて、本当に幸せな時間でした。


この日も輪島を時間差スタート。


今回は比較的順番が早めにスタートできましたが、先頭は17km先の曽々木を同じ時間にスタートしています。


例え先導車が時速30~32km程度で走っているとはいえ、命を燃やして走らなければ簡単には追いつけない距離です。


そして木ノ浦の最初のエイドステーションまでが地獄でした。


丁度台風が接近していて能登半島をかすめていくタイミングだったのです!


海岸沿いのアップダウンを強烈な突風が吹き荒れる中、意地でも平均時速を落さないよう、2度も突風に煽られて対向車線を跨いだ壁に叩きつけられながらも、木ノ浦まで平均時速32kmをキープする。(実はエイドステーションに入る際に減速した瞬間31.9kmになって、思わずなんでやねん!って叫んでしまう)


そこでパンを2つ頂いて食べている時にYさんと出会う。


僕がヘルメットからシューズに至るまで、94年のゲビスチームのユニフォームだったので意気投合したのでした。(ヘルメットは95年モデル)


Yさんに僕のプロになりたい夢と、その為の武者修行的な気持ちでここに参加している旨を話したら、「一緒に先頭を追いましょう!僕も協力します!」っておっしゃって下さり・・・


とにかくYさんは速かった。


平地は基本的に僕が引いていましたが、半島の先端を曲がって風が穏やかになったところからずっと時速56km前後で僕が走り続けていても、絶対に離れることなくついてきて、突風で僕が苦しそうにしていたら今度は前に出て引いてくれる。


可能な限り時速50kmを下回る事の無いように全力でサポートしてくれました。


広域農道(現・農免道路)のダラダラと長い上りでも、アホみたいにアウターのまま走る僕が失速したら即座に前に出てペースを作ってくれ、上りも概ね時速34km以上のペースを維持して走り続けました。


笠師保の潟を走っている際などは、外海から迫って来る波に飲まれないよう、直線を時速70km近くまで加速したものの逃げきれず頭から波をかぶり・・・


和倉温泉から能登島大橋に差し掛かった瞬間土砂降りの雨に打たれ・・・


それでもペースを落とさずに走っていたら遠くに先導車と先頭グループが見えて、モチベーションが上がった僕とYさんは時速60km以上のスピードで追い上げ・・・


結局全員は抜けなかったものの7着と8着でゴール!(曖昧な記憶だが180km以上の距離を走った平均時速は38km台後半だったと思う)


あんなに苦しくてしんどかったのに、楽しくて楽しくてこのままいつまでも一緒に走り続けたいと思えたのは、僕の人生において後にも先にもこの時だけ。


そのくらい充実した2日目でした。


夜は宿で一緒になったオッチャンレーサーたちに可愛がってもらい、ビールやら日本酒やらたくさんご馳走になりました。


そして3日目はマスドスタートとなり、せっかくYさんとスタート地点で合流できたのに、能登島を抜け出すまでは超低速走行で思うように走れませんでした。


しかし石川県と富山県の県境にはちょっとした峠道がたくさんあって、それこそ15%越えの強烈な上りもあるので、先頭グループは20名ほどの猛者に絞られる。


尚、先導車は平地だけでなく、上り坂も時速30~32kmで走るので、激坂区間では先導車が先に行ってくれて・・・


そこで猛者たちとガチンコバトルを満喫でき、それなりにYさんと充実した走りを楽しめました。


金沢ではチームメイトたちの見守る中、先頭でゴールして約束を守りました。(と言ってもゴールスプリントは無く、あくまで峠三昧を共に走った20名ほどのメンバーでのパレード走行みたいなもの)



 優勝の表彰状ではなくただの完走賞だけど、僕にとってはとても価値のあるものでした。


今はあの頃のように後先考えず、そして身体の限界が来ても根性とか気合とか・・・


燃え尽きるまで全力を振り絞って走るなんて芸当はもうできません。


でもYさんのように一緒に走るだけで力が湧いてくるような人となら、また全力で走り続けてみたいという願望はあります。


あの時は本当に楽しかった。


阿吽の呼吸とはこれの事に違いないという確信を持って走れた・・・そんな懐かしい思い出です。

2020年12月16日水曜日

希望を抱かせる自転車

 


撮影した場所の違和感はともかく・・・


アキラ君のエヴァディオ・ヴィーナスRSが最近活躍している。


彼の大学の友人たち数人に乗ってもらった時の話。

1人を除いて他は全員ロードバイクどころかクロスバイクも乗った事が無いという。

そんな友人がこのヴィーナスRSに乗った瞬間、「加速の伸びる感じが本当に判る!なにこれ?自転車に乗るってこんなに面白いものなの?」ってなったらしい。


ハッキリ言おう。

それはエヴァディオ・ヴィーナスRSだからです。


僕が初めて自分のロードバイクを手に入れて乗り始めてから、今まで25年の間に数えきれないくらいのロードバイクを乗ってきて、中には名車中の名車と呼べる素晴らしいロードバイクも数多くまたがってきましたが・・・


今まで乗ったロードバイクで本当に乗った瞬間、自分が覚醒したんじゃないか?って思えるくらいワクワクして、イメージ通りに速く走れたのは、後にも先にもエヴァディオの初代ヴィーナス(SLも含む)と、このヴィーナスRSだけ。


この自転車だけは異次元の走りが体感できる。


他の自転車と比較する事自体がもはや愚か。

そこまで言い切れる自転車だという事を知ってもらいたい。


ことさら日本人というものはブランドイメージに弱い人種で、エヴァディオなんて日本の新しい小さなメーカーだと思っている人の方が圧倒的に多いと思う。


初代ヴィーナスが誕生してからまだ12年だから無理もない。


自転車はとかくヨーロッパ発祥の乗り物であり、伝統的なスポーツである。


だからヨーロッパ一流ブランドのロードバイクに乗る事は、車で言うところのフェラーリやランボルギーニに乗る事と同じで、紛れもなくステータスだと本能的に感じているところも少なくはないと確信している。


僕も過去はそうでした。


しかし90年代までのロードバイクは、『メーカー対メーカー』『職人対職人』の維持と誇りと新しい技術のぶつかり合いでした。

世の中が良い自転車で溢れていた時代なんです!


だから伝統あるブランドの、職人の想いや魂をより感じる自転車を探して歩きました。


最終的には自分の予算との話し合いも含めて的を絞る事になるのだけど、当時の僕は今中大介さんの感性が自分の感性とかなり近いと感じていて、恐れ多くも直接ご本人にお電話でフレーム選びについて相談した事がある。


プロライダーの意見は当時の僕には神の声でしたので、本当に参考になりましたし、それによって多くの発見もありました。


それまで自分が考えていた理論とか哲学の裏付けまで確信を持てたというか・・・


なので有名ブランドにこだわるよりも、自分の求める純粋な速さに応えてくれる自転車を選ぼう!となってジタンに乗り換えたのが1998年でした。


また、僕のジタンはたまたまサイズの在庫が無く、プロ供給モデルをわざわざ空輸して頂いたのですが、市販モデルと違いフロントディレーラー台座がついていません。


それについてもクレームではありませんが、何故本来溶接されているはずの台座がついていないのかを今中さんに確認したところ、「プロ選手の中には台座の溶接個所がレース中に折れる事を嫌う選手もいるので、剛性も高く、破損しても替えの利くバンド台座を好む傾向があるので、チームに供給されているモデルは基本的に台座が溶接されていない場合が多いんですよ。」って答えが返ってきて「なるほど~!」って感動しました。


プロ選手やチームの生の声、意見が聴けたのも貴重な体験でした。


実際にあの頃がロードバイクの黄金時代だったと今でもそう思います。


しかし今は伝統やメーカー毎の個性やポリシーを守り、それらに基づいて新しい技術を取り込むはずの一流ブランドが軒並みビジネスに走っている事実を、一体どれほどのサイクリストが気付いている事だろう?


カーボンフレームが一般的になってその傾向が一段と強くなりました。


最近では自動車もプラットホームをシェアする傾向が強く、ポルシェとアウディとフォルクスワーゲンが同じフレームに似たようなエンジンと、サスペンションを載せてロゴとライト等、若干のエクステリアを変える程度で売っている時代ですから、自転車も然りなのかも知れません。


カーボンフレームなんて金型の製作にコストがかかるのであって、一度作ってしまえば量産するのは安くできるもの。


しかも金型は部分毎に分離及び結合ができるので、チューブの組み合わせを変えて全く違う自転車にする事もできる。


だから最上級グレードのフレームと同じ金型で、カーボンのグレードを落したりして、「同じ設計コンセプトで更にお求めやすい価格で最高の自転車を作りました!」的な売り文句で販売する阿漕な戦略を平気でするブランドもあるじゃないですか?


そしてこれがまたカーボンのグレードを落した方が、むしろ日本人・・・というより、アスリートではないホビーレーサーには扱いやすくて快適な自転車に仕上がる事が多いという偶然も重なりやすいので、「・・・・の自転車は乗りやすいし楽しいよ!」って口コミが拡がって、そこにメジャーツールでの活躍も重なると、信憑性までもが高まってくる。


更に言えば、それで満足したライダーは後にお金を貯めて「今度こそはフラッグシップモデルを手に入れるぞ!」と頑張る訳だが、ようやく念願叶って最高級バイクを購入して乗った時に爽快感を得る事は稀である。


なぜならプロスペックで売り出されている自転車は概ね数字上のスペックにおいての超一流なので、到底乗りこなせる代物ではないケースがある。


或いは変わらず乗りやすいので、満たされるのが所有欲だけに留まってしまう場合も少なくはない。


それを・・・

自分の感覚が鈍いからなのか?

初めてロードに乗った時の感動や感覚が風化してしまったのか?

と感動の薄い自分の感覚を疑ってしまう人もいるでしょう。


大半の人は困惑するし、困惑しない人は所有欲を満たした達成感が強過ぎて、結果的に乗り味はそれほど気にしていないのでしょう。


何だか良く解らないけれど・・・心から「うおーっ!すげぇ~!」となった人は一握りじゃないかと思う訳ですよ。


困惑した多くの人は高い買い物をしたのに「思っていた程良くなかった・・・。」とは恥ずかしくて言えないし、この自転車に乗っている事を自慢したかった思惑に反する事なので、尚更「きっとこれは勘違いに違いない!絶対に自転車は良くなったはずだから、前よりも走りが良くなったはずなんだ!あっ!そうだ!きっとプロスペックだから自分がまだ乗りこなせていないだけなんだ!」と自分への言い訳を考えて、必死に違和感を忘れようとするに違いありません。


そのうえ更に思う所として・・・


だいたいそんな高い自転車を買わされているのに、街中を走っているライダーを見ているとまともにポジションも出してもらっていない人が多いですよね?


よくそんなフォームで乗っているよね?って感じる事は割と多いです。


中には更に高いお金を出してフィッティングサービスを受けて、サイズを割り出して自転車を買っている真面目な方もいますが、「それ貴方の身体に合っていませんよ?」って言いたくなる人も本当に多いんですよ。


大体の人が規格外に大きなサイズのフレームを乗らされている。


在庫整理の為にウソ言って買わせたんじゃないか?って疑いたくなるくらい酷いです。


あのフィッティングサービスってどんな理論でやっているのか?

単純に担当者によって大きく誤差が生じるのか?


いずれにしてもポジショニングは徐々に変化するものなので、100%正解って言えるものが基本的にない訳で、わざわざそこまでお金をかけるサービスではないんですよ。


当然頼まれたら採寸したり計算する手間もかかるもので、料金は発生して当たり前なんですけど、限りなく100%に近いベストポジションを出せないようなら、そんなフィッティングほど無駄なものは無いと断言します。


大切なのは乗る人の感性なんです。


その自転車に乗ってあなたは五感を揺さぶられるような衝撃を受けましたか?って事なんです。


その感覚が生まれるのはその方のポテンシャルを引き出せる・・・ポジションが限りなく100%に近いレベルで出ている時だけなんです。


2005年頃より今日までカーボンフレーム全盛期・・・


最近では3D-CADで構造解析テストまでできる時代ですので、どう力を入力すれば、どこにどれほどの応力がかかるかも判るし、空気抵抗や乱気流の発生するポイントまでシミュレートできる訳だ。


中には風洞実験施設を使って開発しているメーカーもあるのですが・・・


例えば重量も軽くて剛性があって、空気抵抗も少なくて・・・非の打ちどころの無い究極のロードバイクの完成です!って言われたとして・・・


「ほんまかいな?」って話なんですよ実際のところ。


いやそれって誰が乗って証明したの?

どの自転車と比較したの?

プロ選手はスポンサー様から供給された自転車ですから、基本的には文句も言わずに乗りますよ?


数字上のスペックがいくら優れていても、生身の人間が乗る以上、そのエンジンの性能をどう活かすか?


或いはその自転車のポテンシャルを乗っている人間が、自分に必要と思えるレベルで引き出せるか?


それが良い自転車の条件なんじゃないの?って常々思う訳です。


要は乗ってみないと良いか悪いかも判断できないし、特徴も把握できないじゃないですか?


例えば空気抵抗ですが、自転車がどんなに空気抵抗を減らしても、乗る人間が一番大きな抵抗を作っているので、その人のフォームを限りなく空気抵抗の少ないものにしない限り、その自転車の性能なんて言うものは死んでしまいます。


だったらそんな微々たるスペックよりも、気持ちよく走れて、加速が伸びる躍動感を味わせてくれるバイクの方がよっぽど精神安定剤にならないか?って結論に至りますよね。


例えばなんですけど、同じ150万円するロードバイクを買うんだったら、カーボンバイクとチタンバイクとではどっちが良いか?


何処までも買う人の価値観なので、そこまでは僕も自分の価値観を押し付けるつもりはございませんが、無機質なカーボンフレームよりも、本物の職人が自分の為に溶接してくれたチタンバイクの方が生涯の宝物にならないかなぁ?と思う訳。


そんな話の結末にエヴァディオ・ヴィーナスRSを薦める理由は?と問われると・・・


100円以上する他社のプロスペック(高級車)などと乗り比べても異次元レベルで走りが違う。


すべて自分のイメージする走りに応えてくれて、むしろこう走った方が良い!と自転車からライダーに五感で感じさせてくれるところがこの自転車の凄さ。


ガンダムファンに解る表現をするならば、ウイングガンダムZEROに乗るような感じ。


潜在能力まで引き出してくれるような走りを実感できるので、その良さを説明するよりも実際に乗ってもらった方が早いかな。


「論より証拠」って話でね。


似たような走りをする自転車としてはビアンキのオルトレXR4とかスぺシャリッシマなんかが近い感じで、その反応性と加速感に僕も五感を刺激された覚えがあります。


しかしビアンキは乗り手を選びます。


あっという間に脚を持って行かれて売り切れます!(笑)


その点ヴィーナスRSは乗り手を選びません!


その人の体力に合ったベストの走りを引き出してくれるので、一切構える必要がないのです。


そしてカラーもデザインも限りなく自在にデザインできるので、見た目の満足度も走りの満足度も十分満たされるという訳で薦めたい究極のロードバイクと断言できるのです。


アキラ君も僕もかなり中二病満載のデザインをお願いしました。


アキラ君のヴィーナスRSは伊達政宗仕様になっていますし、僕のヴィーナスRSはカラーがスバルのソニックブルーマイカで、デザインは島左近仕様と、お互い好きな戦国武将をイメージして製作しています。


そして僕がまだヴィーナスRSを完成させていない理由は、ヴィーナスRSのお陰で速く走れても嬉しくないので、やはり自分がヴィーナスRSを乗りこなすに相応しい走りができるレベルに戻してからじゃないと乗りたくない!っていう想いからです。


最近はビクシズのパトスのお陰で久々に平地を楽しく走る感覚が蘇ってきました。



先日の走行会では5年ぶりにスプリントを楽しみましたが、これまでコーダーブルームのファーナSL2で時速52~3km程度しか出した事の無い(ファーナSL2はライダーを育てるバイクなので、粗削りな乗り方だと簡単には乗りこなせない)アキラ君が、ヴィーナスRSだといとも簡単に時速64km以上までスピードを引き出せたので、さすがエヴァディオ!と思いつつ、僕もビクシズ・パトスの加速の伸びを楽しく満喫できました。


これなら仕事中に眠くなるとか、後先考えずに走れば・・・まだ時速70km以上まで引っ張る事ができる!という実感も味わえたので、僕は僕でアキラ君のヴィーナスRSのお陰で楽しみが増えています。


そして昨夜は、ヴィーナスRSが本当に僕が言うほどの凄い自転車なのかを確かめたいって

お客様がご来店下さって、アキラ君のヴィーナスRSに試乗して『論より証拠』を体感して下さいました。


「凄すぎて言葉にならない!」という第一声。


単純ですがその一言が全てを物語っています。


エヴァディオの社長は全然ギラギラしていません!


一見するととても『すごい自転車を作りたくて情熱を燃やしている』ようには見えません。


とても物腰柔らかくて温厚な紳士です。


それだけにどうやったらあんなにすごい自転車ばかりを開発できるのかが不思議でならないというのが僕の所感。(笑)


バッカスSLは現行モデルのアルミバイクの中では間違いなく世界一速い自転車ですし、乗り続ける事でライダーを育成してくれます。(雑に乗ると真価を発揮しない)


ペガサスは6AL4Vチタンに匹敵するくらい軽量に仕上がった3AL2.5Vチタンのロードバイクで、軽さと重心バランス、専用設計のカーボンフォークとの相性、耐久性、ライダーの心境や体調、体力レベルに合わせて乗り味が変化するカメレオンのような性質・・・そのバランスの高さは確実に世界一の贅沢を詰め込んだロードバイクだと言えます。


ヴィーナスRSはペガサスよりやや攻撃的で、ライダーの五感を刺激して120%の走りを引き出してくれる、誰が乗っても世界一速く走れると感じるロードバイクです。


そしてどの自転車も25万円~60万円程度の価格帯で、その世界一の走りを体感できるのでコストパフォーマンスは異常なほど高いです。


コーダーブルームは更に低コストでロードバイクの楽しさを判りやすく教えてくれるアルミバイクを作っていますが、最高速の伸びは時速60kmを超えた辺りで頭打ち傾向なので・・・


初心者には判りやすいコーダーブルームで・・・慣れて来て自分の限界を知りたくなった人とか、より高みを目指したくなった人にはエヴァディオ・・・いつまでもその質実剛健かつ気品ある走りと価値が失われる事の無い永遠の宝物が欲しい方にはビクシズを・・・


勿論他の自転車メーカーも魅力ある作品は少なからずあるので、良い物は良いという事で扱いはしたいのですが、20万円以下のロードバイクでコーダーブルーム程コストダウンの為に部品をケチる事も無く、ライダーの安全性を第一に考えてくれるメーカーは他にありませんし・・・


僕の自転車の方程式はしばらく変わらない方向性ですね。

2020年12月15日火曜日

コロナを吹き飛ばそう!~若狭支店の現状~

 昨日は12月14日は9月下旬以来の若狭出張でした。


10月~11月は神戸のお店も売上がピンチで、僕が店を空けたらたちまち・・・な状態だったので、ようやく落ち着いて若狭に出向きました。


周知の事実ですが、新規事業は頓挫したままです。


当然コロナショックで旅行業界も大荒れに荒れています。


どんなに画期的なイベントを考えようとも、コロナウイルスの脅威がくすぶっている以上、安全な旅行なんてものは存在しません。


僕がテナントをお借りするドライブインの『千鳥苑』さんも大打撃を受けて、いつ収まるかも判らない事態を乗り切るために日々苦労をされています。


カニやフグのシーズンに入って、本来なら若狭は今からが書き入れ時なのに、名古屋も大阪もバスがストップしてしまい、ほとんどの予約が白紙状態!


今はスタッフが一丸となって新体制を作り直さないと、この危機を乗り越えても・・・その先を勝ち抜く武器がありません。


その上、年末年始の『GoToトラベル』も停止になった今は見込みそのものが無い状態。


僕は3月に助成金のプロとも言うべき大先生に仕事をすっぽかされたダメージに続くコロナだったので、本当にモチベーションを崩してしまい、今は時間をかけて体制を立て直しています。


現状新店舗の看板作成を外注していますが、内装もぼちぼちと形にしていきたくて、昨日は工具類一式と、ツールワゴン、オフィスチェアーを持って行って組み立てました。



ホダカさんからボチボチと追加のレンタサイクルも届いていますので、追々また組み立てに来ないとなりません。


こちらは8月に組み直した車両たちです。


ツールワゴンを組み立てます。


工具一式と言ってもまだまだ自転車屋を営むには工具が不足しています。

足りない工具は徐々に買い足していきます。

うちみたいに何の権限も力もない個人商店は、どこぞのチェーン店や、立地に優れた店舗のように、「新店舗を立ち上げるから工具とか作業スタンドとか展示台を協賛してくれ!」等という偉そうな事を、口が裂けても言えませんので・・・慎ましく準備を進めています。


カウンターテーブルで使うオフィスチェアーを組み立てます。


ここのボルト穴の間隔が、本体とアームレスト側とで、3mm狂っていたので、強引に取り付けるのに苦労しました。

モノタロウクオリティですから文句は言えませんが・・・。(笑)


あっという間に完成!


半円のベンチは本館の物を一旦ここに置いているだけ・・・

でも使わせて頂けるなら・・・これはこれで面白いかも!

社長の骨董品コレクションがまだ残っているので、それも移設する予定です。

このフロアにどうカウンターを設置するか・・・

ズイフトが体験できるスペースも追々作りたいし・・・

サイクリングのマナーとか、若狭のプロモーション動画を流すモニターを設置したり。

昨日は常務にこの部屋のサイズを測り直して頂き、その平面図を頂戴しました。

これで配置図を作成し『千鳥苑』さんのOKが出れば、カウンター作成用の材木を発注できそうです。


午前中も既に舞鶴から先は大雨で、時々ミゾレ混じりだったのですが、16時以降は本格的に降ってきたので、17時頃・・・神戸に向けて撤退しました。


三方五湖SAでこんな感じですが、帰りは上中の区間で完全に雪で・・・ホワイトアウトとまではいかないものの、そこそこの悪天候になって・・・


何とか慎重に走って、無事に帰って来る事が出来ました。