2021年9月20日月曜日

後立山連峰縦走の旅7月27日(火) ~その4~ 死闘からの安堵


もう1kmは歩いただろうか?

振り向いたらもうオヤジさんが射程圏内まで追いついて来ている。

こうなると僕はペースを落とさざるを得ない。

➀・・・アイゼンを着けずに歩いている事実を伏せたい自分がいる。
②・・・目の前で僕が転倒なんてしたら、余計な心配をかけてしまう。
③・・・自分がルート上でもたついて進行妨害になりたくない。

そういった理由から、ある程度追いつかれた時点で僕はペイントされたルートから少し外れて立ち、先に行ってもらって十分な距離を作ってから再出発するようにしていた。

これが遅くなるもう一つの根拠。

ここでは落石の心配もあるから、じっとして観光組に電話するゆとりもなく・・・

そしてオヤジさんに追いつかれた。

彼は本当に歩き方が上手い。

アイゼンの使い方も慣れている。

そのオヤジさんに「どうしたの?アイゼン持って来なかったの?そりゃ慎重に歩かないといけないねぇ~。でも慎重に歩けば行けない事も無いから、とにかく気をつけて歩くんだよ。私なんて逆にヘルメットを忘れたもんだから急いでここを離脱しないとね。」って言われて・・・


「そうか・・・慎重に歩けば行けなくはない!か・・・。」


手練れのベテランにそうアドバイスされたら頑張るしかないよね?


とりあえずオヤジさんをある程度見送ってから僕も行動再開。


しばらくはオヤジさんをペースメーカーに頑張るがここでまた1度転倒してしまう。



今度は3人組のパーティーが徐々に追いついて来ているので少しでも距離を稼ごうと、僕も必死で進むが3度目の転倒!


今度はスライディングでしばらく凍結斜面を流されてしまった。


ウェアもドロドロに汚れるし、氷の上での転倒はダメージも大きく、全身が筋肉痛のようになっている。


本当に心が折れそうである。



まだ景色を撮影するモチベーションが残っているだけマシと思えるほど極限状態です。



オヤジさんとの距離も開いてしまいプチパニック。


ここからしばらくは一番傾斜が緩い区間なのでペースを上げる努力をする。


しかし今度は登って来るパーティーが3組あって、1組目を待っている間に後ろの3人組に追いつかれてしまう。


更に登って来る2組目のパーティーと、後ろから追い抜いた3人組が知り合い同士らしく、目の前で井戸端会議になって停滞する。


3組目の女性登山者はものすごく邪魔そうにして登って行った。


僕も痺れを切らしてペイントされていない斜面から迂回する形で井戸端会議を回避。


それで再び1人で誰にも邪魔されずに歩けるかと思ったら、先ほどの3人組が井戸端会議を終えてペースアップしてきたのだ。


全く・・・ペースを乱されてかなわない。


パーティーが抜き去るのをまたコースから外れた場所に立ち止まって待ち続ける。


3人のうち1人は片足しかアイゼンを装着していない。


それでも両足が無いよりは全然マシというか・・・


一度つまづいた後滑って止まらなくなった際に、後ろ向きに構えて片足のアイゼンでガリガリとブレーキして見せて「俺は上級者だから片足でもアイゼンがあったら問題なし!」って言っているのが聞こえて、それがまるで僕に対する当て付けみたいに思えてちょっと腹立たしく思えたり・・・


どうでもいいからとっとと行ってくれよ!って思いながら見送る。



そしてここからまた斜面は急勾配になる。


だが同時にゴール地点と思われる岩場が見えてきた!


オヤジさんがそこでアイゼンを外しているのが遠目に確認できて確信する。


ようやく僕にも無事に踏破できるかも知れないっていう勇気が湧いてきた。



振り返って辿って来たルートを見返す。


当然大雪渓のスタート地点はここからでは見えっこない。


そんなに時間は経過していないはずなのに延々と彷徨い続けた気分である。



9:50大雪渓を脱出!?


緊張から解き放たれて5分以上動けなかった。


過去に初冠雪で凍結した滝谷で滑落しかけた際、僕の命を救ってくれた作業用ゴム手袋もこの通りドロドロである。



スライディングの際の汚れ。


濡れているように見えているのは雪にガイドの為につけた赤いペイントの影響。


子供の頃から相撲をしても絶対に膝を突かない!倒されない!圧倒的に対格差のある相手と組んで寄り切りで負ける事があっても、それ以外で土が付いた事が無い。


そのくらい重心バランスに絶対の自信を持っていた僕が4度も転倒。


こけそうになって反射的に手を突いた数も21回。


まさに死闘でした。


咄嗟の動きで21回も地に突いた手と腕は、緊張が抜けた瞬間激痛が走る。


完全に筋肉痛になってしまいました。


箸もまともに握れないくらいに握力が死んでます。


本来転倒する時は逆らわず自然の摂理に任せて転んでしまえ!とは自転車やスキーの指導でもよく言っている言葉です。


何故なら転ばないように逆らう動きが余計に大きなダメージに繋がるので、逆らうと確実に大怪我をします。(自転車は大破)


それを敢えて逆らって手を突いたのは、滑落を恐れて敢えて強制的にバランスを崩す為だったのですが、アイゼン無しで大雪渓を下るのは想像以上に難しかったという事です。



よくもまあこんな所をエスケープルートにしたものだと思う。


これはどう考えても不帰ノ嶮の方がマシだったろう?


そう思えてならないのでした。


さあ間も無く白馬尻なので、ゴールの猿倉荘目指してあと一頑張りです!



これは三合雪渓という雪渓らしく、ここを登っていけば白馬岳山頂に続きます。



「はあ?」


再出発するなりアイゼンで歩く音が聞こえて驚いたが、大雪渓は本来あそこがゴールのようである。


一瞬「マジで?」とか思ったものの、オヤジさんやさっきの3人組は確実にここでアイゼンを外して歩いていたはずなので行けるはず・・・



まあこんな感じでキワキワの所を歩くのですが、もう雪渓を歩かなくて済んだのでホッとしました。


ただし蛇紋岩には要注意です。


向こうにアイゼンの足音の主が登って行くのが見えています。



大岩に〇のペイントが入っていますが、あれだけだとこの先も雪渓を歩くのか、それともここから別ルートがあるのかが判断できませんね。


やはり白馬大雪渓ルートは初心者にはあまり優しくないような気がします。


ペイントやリボンに頼って歩いている事自体が甘えなのかも知れませんが・・・


そういう意味で僕はこれまで当たり前になりかけていた自分の感覚のズレに気付く事ができて良かったというか・・・



さり気なく振り返ってこの景色を思い出しました。


ここは若き日のGWに幼馴染と2人、積雪2.5m~3mある状況の中、ジーパンにスニーカーでラッセル登山をした(雪を掻き分けたり踏み固めながら登ってきた)場所でした。


その時はここも完全に雪で真っ白で、そんな中にカモシカの糞と足跡が残っていたのが印象的でした。


猿倉荘からラッセルでここまで1時間20分程で登って来ているので、今思えば尋常じゃないスピードだったと思います。


当時もアイゼンはおろかスノーシュー(かんじき)も装備せずに来て、ピッケルを持ったオッチャンに「こら~!お前ら雪山をなめとんのか~!」と怒鳴られた場所でもあります。


そもそも僕は防寒着どころか上半身裸になって走り回り、クレバスになった雪渓の亀裂も走って飛び越えるという傍若無人ぶりで、まさに若気の至りの極みでした。(笑)


結局僕はブーツカットの裾を少し濡らしただけで済んだのですが、幼馴染は靴の中にまで雪が入ってびしょびしょになってしまい、下山後ひどい霜焼けになり慌てて『おびなたの湯』(近くの温泉)に行って足を癒す事になる。


そして靴を濡らさずに歩くという賭けに勝った僕は幼馴染から湯上りに冷たい缶コーヒーを御馳走になったという思い出。


若い時はとことんバカな事を、それも真剣にやっていたのが懐かしいです。


新穂高の川の近くでキャンプしていたら夜に突然豪雨になって、「何かお尻が冷たいなぁ~」って目が覚めたらテントごと雨で流されかけていて、慌てて幼馴染を叩き起こして荷物を車に運んでもらい、その間に僕がテントを畳んで撤収・・・


その後車で長野県入りし、松本電鉄の『新島々駅』の駅舎で常駐の駅員さんに許可を頂いて携帯を充電させてもらったり、濡れた服を乾かしたり、コンロで湯を沸かしてパスタを茹で、更にその茹で汁でクラムチャウダースープを作って・・・(今だったら絶対に許可してもらえないだろうなぁ)


まあそんな若き日の思い出を刻んだ場所を久々に・・・それも雪の無い時期に歩くなんて不思議な気分です。



そうそうこの辺でカモシカの痕跡を見つけたんだったなぁ~。



夏場はこんなにガレた歩きにくい道なんですねぇ~。


そして小雨がぱらつき始めてきた。



「おっ!なんだ?」


写真を撮影する頃には落ち葉の下に潜り込んで見えなくなってしまったが、何かの鳥のヒナが歩いていた。


珍しくて撮影しようとしていたら親鳥らしき鳴き声がずっと僕の上から聞こえていて・・・


「いやいや、ヒナを襲ったりしないからそんなに警戒しないでくれよ!」って苦笑い。



ものすごい轟音で流れているのは大雪渓の恵みともいうべき松川の源流。



いっそあの川に流されて白馬まで運んでもらえないものだろうか?と考えてしまう。



ここの林を抜けたら白馬尻小屋があるはず・・・


現在時間は10:19です。


どのくらい遅れるかな?


猿倉荘からはバスも出ていますが、道が極端に狭いうえに距離もあるので、1時間に1本あるかどうか・・・


場合によっては観光組に猿倉荘まで迎えにきてもらう?


いやいや、狭くて危険な一本道なので極力走らせたくない。


猿倉荘からおびなたの湯までどのくらいで歩けるだろうか?


そんな事を計算しながら歩いていました。


次回いよいよ下山です。


『一期一会』の奇跡とやらに出会います。


お楽しみに!

後立山連峰縦走の旅7月27日(火) ~その3~ 恐怖の白馬大雪渓

 

葱平(ネギダイラではなくネブカビラと読む)後半の下りはルートファインディングが定まらないので、意外に難易度は高め。


もっと〇×のペイントがあってもいいようなものだが・・・


逆にどこを歩いても大丈夫!って解釈でいいのかな?(汗)


向かうべき大雪渓は正面に見えているので大丈夫でしょ?って話だと不親切にも感じる。


大雪渓へのアプローチは雪渓の規模によって侵入ポイントが変わるので、春と夏、秋では全く異なる。


冷静に観察しないと安全なルートを見つけられない。



これは小雪渓の先端から湧いて来る雪解け水。


ここからはしばらく沢歩きになるので滑りやすい蛇紋岩には要注意!



振り向いたらようやく〇のペイントが施された岩を1つ発見!


今通って来たルートは正しかったという裏付けになる。



写真向こうに1段棚になった箇所に池が見える。


その左上にもう一つ池が太陽光に反射しているのが確認できるが、それが栂池自然園の展望湿原なので、前日に観光組が大雪渓を撮影した場所がそこである。


まさか自分があんな急斜面(後日観光組が撮影した写真を見て)を今歩いているなんて・・・全く自覚なし。


僕は緩やかなダラダラした道よりも、岩ゴツゴツの険しい道の方が水を得た魚になれる。



途中ぬかるんだ灌木帯も歩くのだが・・・



靴が汚れてかなわない!


僕には子供の頃から変な習性があって、どんな険しい道を歩いたとしても靴や服を必要以上に汚さない事に美学を感じているところがある。


これは・・・自分的にはアウトだ。


自分の登山靴に申し訳ない気持ちで歩く。



よく見たら大雪渓に他人の歩いた踏み跡や赤いペイントが見えている。


それに単独の登山者や数名のパーティーが歩いているのもここから確認できる。



この角度で写真を撮ったら今自分がどのくらいの急斜面を下っているのかが判断できる。



この辺は相変わらずペイントが少ない。


薄くなった矢印が2方向に向けられているが、あれはその先の灌木帯をどちらから巻いてもいいよ!って意味である。



高山植物も大半が終わりを迎える時期ですね。


8月はニッコウキスゲがあるから鮮やかだけど、9月にはマツムシソウくらいで、言っているうちにナナカマドの実が赤みを帯びて少し早い秋が訪れる。


旅行会社でバスツアーを作っていた頃、霧ヶ峰のコースを紹介するにあたってパンフレットの色彩を気にする余り、よく(鮮やかな)花の種類が少ないと愚痴っていたのが懐かしい。



いよいよ葱平も大詰め。


このほぼ垂直の九十九折りを下って左の沢にかかった板橋を渡り、あの左の斜面から大雪渓にアプローチと判断できる。


それにしても大雪渓への落石の多さが気になる。


もちろん僕は既にヘルメットを装備しています。



大雪渓のアプローチは元々この正面からなのが赤いペイントの跡でも確認できる。


しかし上部が見ての通り雪渓が溶けてスノーブリッジ化してしまっているので、下手に歩いたら踏み抜いてさようならになる可能性が高い。


なので写真左中央付近のガレ場から新たなペイントが設けられているのが見える。


ようするにあそこへ行けという訳だ。



落石危険!と言いながらその沢を渡らせるとか・・・(笑)



渡った後はこんな落石しそうな場所を歩きます。



このまま岸へ降りて行く感じかな?って思わせといて・・・



そうきたか!


なぜわざわざ左へ巻くんだろう?



そしてわざわざこんな所を下らせる意味って何?(笑)



うわっ!オヤジさんが追い付いてきた!


見える距離に来ないうちに大雪渓に侵入したかったのに参ったなぁ~。



アプローチポイントはもう目と鼻の先。



緩やかに見えるここでさえこの斜度なので、アイゼン無しで歩くのはかなり無謀である。



何より恐怖なのは落石。



常時杓子岳の尾根からガラガラゴロゴロと無数の落石が落ちて来るのが現在進行形で見える。


なかなか洒落になってない怖さである。


これを観た瞬間、先ほど天狗菱を見て軽々しく登ってみたいと思った事を反省。


僕がよく行く穂高連峰でも涸沢カールでは4月下旬の開山後から7月にかけては、こういった大雪渓を登って行くのだが、アイゼンを装着していても刺さりが浅い事が原因で滑落し、そのまま下まで雪崩れ落ちて行く事故が度々起こるらしい。


新雪やシャーベット状の場合は歩きやすい代わりに雪崩の心配が必要だが、一旦表面が溶けてから夜間の間に凍った夏の雪渓はとにかく滑る。


大抵の場合はピッケルを使ったり、背中から落ちてもザックがブレーキの役割をしてくれて大事に至らないケースが多いのだけど、時に止まらずに滑り落ちて、最悪の場合他の登山者を巻き沿いにして両者死亡なんて事例もある。


重力加速度がついて加速したまま大岩に激突したり、或いは落石が直撃なんて事になったら人の頭は簡単に割れて姿形も無くなってしまうのだ。


槍穂高の山々に関わるようになってからそんな話を聞くようになった僕としたら、今一番緊張の瞬間だったりする。



何とかここまでは転ぶ事なく下ってきたが、追手の姿も見えてきたので気持ち焦る。(笑)


薄っすらと赤い色が付いているのがガイドのペイントである。


概ねこれに沿ったコースを歩く事が安全とされている。



ずっとガラガラと落石が転がり落ちて来る。


大きな落石でも来ようものなら、アイゼンも無く敏捷性を欠いた僕に逃げ場はない。


その場合は一か八かの決死のダイブを試みて大雪渓の急斜面を滑り落ちるしかないか・・・


とてもリスキーな状況で落ち着きません。



ゴールが見えません!


ただ徐々に傾斜がきつくなるって事くらいしか判断できません。


葱平から見ていた時はスキー板を持って来ればよかったなぁ~なんて思っていたけど、こんなガリガリのアイスバーン・・・しかも落石まみれの斜面なんて滑ったら板がボロボロになってしまいます。


白馬大雪渓の全長は約3km。


まだ500mも歩いていないから気が遠くなってしまいそう。



これが大雪渓の表面の写真。


半透明になっているところは完全な氷です。


白い所の面積が広い場所を選んで、爪先やかかとでほぐしながら踏んでいきます。


でもこの時点で既に一度大きく滑って尻もちをついています。


危うく手を突いて転倒を免れた回数も7回。


滑って180度身体の向きを変えて止まった回数も2回。


アイゼン無しで大雪渓を歩くのは想像以上に難しいです。


後悔先に立たずとはいえ、正直無謀なチャレンジをした自分に対する後悔しかありません。



土や枯れた植物の残骸、落石は滑り止めに有効なので、極力滑り止めに有効な場所を探りながら歩いていますが、それでも何回かに1回は当てが外れて滑ったりするので、気を緩める隙が全くありません。



もう歩きたくない!がこの時の本音。


無事にここを歩き切る自信がないというか、ペースも上がらないしすべてにおいてスマートじゃない。


辛酸を嘗めるとはまさにこの事を言うのだろう。


失策中の失策!


これだったら不帰ノ嶮に強行した方がマシだったんじゃないか?


こんなにカッコ悪くて情けない山行はない!


観光組には早ければ10時過ぎには猿倉荘に着くので、白馬まで歩いて下山したとしても11時~11時半くらいには到着予定かなぁ~って言ったものの、この時点でもう9時を回ってしまった。


果たして怪我無く無事に下山できるのでしょうか?


次回へ続く。

2021年9月19日日曜日

後立山連峰縦走の旅7月27日(火) ~その2~ エスケープルートの意味って・・・

 

とうとう杓子岳まで雲に覆われてしまいました。


これで先ほど見送った2組のパーティーは寒さに震えながら歩かないといけなくなった。


目の前の雲は積乱雲ではないけれど、台風が接近してきた時の雲の中は小さな嵐のように荒れ狂う場合がある。


僕は後ろ髪を引かれる思いで、名残惜しみながら大雪渓への下山ルートをゆっくり下り始めた。



こうやって見たら白馬岳のルートは本当に高山植物の宝庫なのが良く解る。


しばらくは緩やかな下りだが足元には油断禁物です。


雨に濡れた蛇紋岩で滑って転ばないように注意が必要な箇所が点々としています。



上に見えるのはさっきまで北アルプスの山々の様子を観察していた丸山です。


さっきまで雲に覆われていたのが再び晴れた模様。



しかし杓子岳の雲は徐々に厚くなり高度を下げてきている。

僕もあの雲に巻き込まれないうちに下山をしたいところ。


そして村営白馬岳頂上宿舎とはこれでお別れ。


山への未練たらたらで写真撮影しながら歩いているが・・・



初めての道なので明るいうちに歩かないとルートを見失う恐れがある!



道は整備されているものの、ガレていて足首にはダメージが大きい。



ヤバいヤバい!本当に雲の高度が下って来た。


冷たい冷気が風に運ばれてきて凍えそうになる。(下界は真夏なのに!)



ここからは葱平(ネブカビラ)と右手に小雪渓。



30分程歩いてようやく頂上宿舎から標高を200m下りました。


写真を撮ったり、途中で蛇紋岩で滑って転倒した方がいたので救助などしていたのでややのんびりペースです。


ゴールの猿倉荘までは残り1300mの標高差を下らないといけません。


まだまだ気が遠くなるような道程です。


それにしても・・・僕の雷鳥を小脇に抱えて持ち帰りたい願望を見透かしたような看板である。(笑)



まだ紫色の花をつけたウルップソウを発見!


良かった~っ!時期的には終わっているので諦めかけていました。



この辺りから斜度が急激に険しくなるので、転倒しないように足元に気を付けましょう。



念の為にライチョウやオコジョとの遭遇を期待しながら下っています。



これって背が低いけどダケカンバと思われる灌木帯の中を抜けて行きます。



さっきまでオープンな道を歩いていたのに、突然こんな灌木帯のトンネルを抜けるような道が現れるとか、なかなか変化に富んでいます。



トンネルを抜けると避難所であった!?



まるで杓子岳の前衛峰のようにそびえている、あの尖ったピークは天狗菱(テングビシ)という名だそうです。


あの岩壁を登るのは想像しただけで面白そう・・・なんて一瞬でも思ってしまいましたが・・・あとでその考えを改める出来事に遭遇する。



避難小屋は雷の被害から避けるように大岩の下に隠れるように建っています。


もちろんマナーさえ守れば誰でも自由に使えます。


小屋の右に湧水がありますが・・・とても美味しいです!



のんびりしていたら追いついて来る下山者が・・・


ザックの総重量は15kg以上あるそうで、中身はほぼ撮影機器。


日本山岳写真協会の会員だそうですが、70代とは思えない程のフットワーク。


所々で花々の撮影をして、その度にザックから機材を出して撮影。


そんな手間な事をしているのに僕と変わらないくらいのスピードで歩いて来るなんて忍者ですか?って聞きたくなる。


でも実は先ほど、彼が灌木林の中で蛇紋岩で滑ってバランスを崩しそうになったところを、ちょうど追いついた僕がザックごと支えてお助けしたところです。


とはいえこの方、後に僕の恩人になる人なんです。(以降、親しみを込めてオヤジさんと呼ぶ)


山での出会いには時に素晴らしい出会いがあるものです。


ただ・・・この時点での僕は誰にも追いつかれたくない心境でした。


なぜなら大雪渓を歩くのにアイゼンを用意していないという、恐るべきタブーを犯そうとしているからであります。


誰にも追いつかれず、誰にも出会わないうちにとっとと大雪渓をとぼけた顔して通過したいというのがこの時の僕の心情です。


雪渓に近付けば近付くほど不安になります。


「頂上宿舎で軽アイゼンを売っていないか聞くんだった!」とはもはや後の祭り。


内心そんなギリギリに追い詰められている自分を楽しんでいる自分も正直いる訳で・・・


「ホンマにアホやなぁ~俺。ホンマにアホ!アホ過ぎる!」って口に出して言いながら、期待と不安の両方に心躍らせながら歩を進めているのである。



大雪渓が見えたところでいよいよ最初の難所である。



オヤジさんとの距離も少し開いた。


僕がアイゼンを装着したかどうかなんて気付かないだろう。



『アイゼン必着』の看板が目に刺さる!痛い!


「今更後に引けない!」


ここでまた軽々しく命懸けの賭けに出る!



ガリガリに凍った小雪渓のトラバースを滑りながら横断中。


振り返ったらもうオヤジさんがテラスに着いてアイゼンの準備を始めている。



写真では判り辛いけどスキー場で言うなら傾斜角30度以上は確実にあるチャンピオンゲレンデ並みの急斜面です。


誤って滑り落ちて重力加速度が加わったら・・・命はありませんね。


せめてピッケルでもあれば安心だったのですが。



この通り岩山仕様のシューズでアイゼン無しです。


やはり写真では判り辛いですが、道幅は40cm程度で凍っているので滑ります。


しかも道はフラットではなく少し下り傾斜です。


なので、山側の雪渓の凹みや落石などを利用してブレーキをかけながら、小走りで対岸に向かっております。



意外と長い!


最後は向こう岸の岩にジャンプして飛び乗る。



渡り切ったら再び葱平の急峻な岩場の下りが続く。


さあ誰にも追いつかれずに大雪渓まで逃げ切れるだろうか?(何か趣旨が変わってしまったが)


エスケープルートのはずが結局・・・命懸けの山行になってしまった下山ですが、果たして無事に大雪渓を生きて踏破できるのでしょうか?


次回乞うご期待!