2020年10月30日金曜日

10月29日発売の雑誌の紹介!


 『関西ヒルクライムコースガイド』という雑誌が出ました。


一応今回の雑誌の中身については色々と意見もさせて頂きまして、僕も85ルートのうちの3ルートは実際に走ったコメント等入れさせて頂きました。



僕は岩谷峠と蓬莱峡、阪奈道路の3ヶ所の取材を受けてコメントを書いています。


他には東六甲ルートについて僕の意見を言及させて頂いた中で、逆瀬川スタートに関して「グループで走る際は通行の妨げにならないように注意して下さい。」という旨は採用して頂きました。


本当は甲寿橋スタートが一番安全で、車など他の通行の邪魔にもなりにくく、更には信号に捉まる率も低いのでオススメです。

という訳で・・・逆瀬川駅前スタートにしろ、夙川学院前交差点スタートにしろ、甲寿橋までの序盤は是非ウォーミングアップとして走って頂ければ幸いです。


尚、僕の紹介文は文字数制限が厳しかったらしく、かなりはしょられています。(笑)


僕は今から24年前(1996年)に当時のチームメイト(先輩)の口車に乗せられて『つがいけサイクル』(当時の日本3大ヒルクライムレースの1つ)に出場したのですが、当時はヒルクライムなんて大嫌いでした。


登り坂がしんどいという事もそうでしたが、当時の僕は走りに行く時には毎回、トップスピードに乗せられる信号の少ない道を探してあちこちを走っていたくらい、大のスピードオタクだったので、平地や下りでどこまで速度を出せるか・・・それに命を懸けていた事もあって、スピードは出せないし脚力を無駄遣いするヒルクライムはとにかく嫌いでした。


そんな僕が52T×21Tのギアで表六甲を、一度も地に足を着ける事なく上った《当時の僕は意地でも(スピードの出せない)インナーギアなんて使いたくない!って、普段からアウターで上れる坂道しか走らないようにしていたのに、先輩に無理やり表六甲を走らされた》事をきっかけに「表六甲をアウターで上る脚があるなら、インナーを使いこなしたら栂池で表彰台も夢じゃないで!」とおだてられ、しかもつがいけにはヒルクライムで日本一速いと云われる選手が参加しているからって聞かされて、そんなすごい人が参加するレースなら面白そう!って言いくるめられた訳です。


しかし実際に行ってみたら同じクラスに鈴木雷太氏(2000年シドニー五輪代表)が参加していて、スタート直後からのロケットのようなスピードに面食らう。


何とか栂池高原のペンション街までは食らいついて行ったけど、序盤からこんなに苦しかったら最後まで持たないと諦めて順位とタイムを落してしまった。

それがヒルクライムレースの初陣でしたが、途中でそれ以上の異次元のスピードで抜き去って行った村山利男氏(ヒルクライム界の絶対王者)を見て、世の中にはとんでもない人がいるもんだなぁ~って、リスペクトできる存在に出会えた事・・・

あとはそれまで出場していたクリテリウムレースなど、いつも殺伐としていて・・・言葉は悪いですが、邪魔な選手は全部ぶっ潰してやろう!って思えるくらい、緊張感で満ち溢れたレースとは違い、ヒルクライムは適度な緊張感はあれど、遅い選手も速い選手も関係なく、個人の力のみで走るレースなので、全員が主役というか・・・そこにドラマがあるんですよね。

ゴール近くまで上れば積雪も残っていて、初夏の北アルプスの清涼な空気と白馬三山の美しい風景に癒されました。

更にゴール後、下山しながら最後尾の選手まで一人残らず応援できるって、なんだか爽やかで気持ちいいなぁ~って感じた事も、僕がヒルクライムにハマるようになった理由です。


そんな訳で、ヒルクライムが嫌いだ!って思っている人にも是非そんな素晴らしい経験をして頂けたら・・・という事で、こちらの雑誌をオススメさせて頂きたいのと、この雑誌にも掲載されていない・・・更に言えば誰もが最狂だと口にする『暗峠』よりも強烈な登坂が神戸にあるという事を・・・興味のある方には教えて差し上げたいので、是非お店へ遊びにお越し頂けますと幸いです!


最後に八重洲出版と記者の皆様方、今回の企画に参加させて頂き誠にありがとうございました。

2020年10月24日土曜日

結局自分の居場所は山にしかない・・・槍・穂高縦走チャレンジ・・・その⑪「無事に下山は出来たけれども・・・最終話」

南沢から23分程ガレた道の急勾配を下ってきたら滝谷らしき沢が近付いてきた。 



ここに来るまでにもトレイルランをしている3人組など、2組のグループに追い抜かれたのですが、皆さんよくこんなガレガレの急坂を転げるように下って行って怪我も無く走るものだと感心する。



振り向いて今下って来た道を撮影。

これ走って下るような道じゃないですよ。



滝谷出合の手前にちょっとした湿地帯があって、その奥にこんなレリーフが岩壁に打ち込まれていました。


藤木九三・・・北穂高岳の滝谷の絶壁を初めて登攀したという、日本のロッククライミングの神様的存在だ。

京都府福知山市出身で、朝日新聞社の神戸支局長をしていた事もあり、芦屋ロックガーデンの名付け親でもあるそうだ。

一説には甲子園球場のアルプススタンドを初めてアルプスと形容した名付け親とも云われている。

加藤文太郎といい、神戸市(六甲山)に関わりを持つ偉大な登山家が多い事に驚く。


滝谷は北穂高岳の山頂付近から下を見下ろすだけでも、ゾゾッと背筋が凍り付き、脚の震えが止まらなくなるほど深く恐ろしい絶壁の渓谷である。

今回天候に恵まれていたなら今まさに滝谷の大渓谷を右手に見ながら大キレットを渡り、北穂高岳山頂に辿り着いている頃だろう。

ちょうど現在僕がいる場所から北穂高岳山頂までは標高差が1350mあるのですが、つまりはグランドキャニオン並みの高低差を登る渓谷なのである。

『北アルプスドローン大縦走』というDVD(或いはBD)作品をご覧頂ければ、鳥も止まらぬ(近付かない)と云われる滝谷の迫力を、ドローンによる世界初の空撮映像で楽しめます。



滝谷の沢です。
槍平小屋から30分程で下って来ました。

向こうに少し雲に隠れた山は『大木場ノ辻』と『錫杖岳』と思われます。
つまりあの下には槍見山荘や深山荘といった、新穂高温泉がある訳です!

少しゴールに近づいた感じがします。

そして沢を渡った正面に避難小屋も見えます。
まああんな不気味な避難小屋には一人では絶対に泊まりたくないものだと思いつつ、もうここからの道は緩やかな林道に違いない!と、懲りずに最後の望みを賭ける。


左手滝谷方面を見るが・・・意外とくびれた沢になっていて視界が開けていない。

雨が降るとここの通行が恐ろしいと云われる理由でもある。

この地形は大雨の際に下手に沢を渡ると、鉄砲水に攫われる可能性があるかも知れない。



滝谷の沢は避難小屋が見えているからといって真っ直ぐは渡れません。

橋を渡している場所を探していたら4人でランチをしているグループを発見。

ルート上でレジャーシートを拡げていたもので、真横を通り抜ける際はお邪魔して申し訳ないくらいの気持ちで挨拶をしたのに無視されるという・・・。

なかなか非常識なグループでしたね。



滝谷には3つの滝がある。

今見えているのは恐らく雄滝。
その左手に別の源流から流れて来る雌滝がある。
雄滝の先にはナメリ滝という滝があって、滝谷の絶壁を登攀するルートはその先に点在する。

写真では北穂高岳山頂は雲の中で、これはこれで今回登らなくて正解だったかも。

一般的に滝谷でロッククライミングする場合は北穂高岳山頂からB沢へ懸垂下降し、3パターン程ある登攀ルートの中から好きなルートを選んで登り返すっていうのが多いみたいですが、他にもルートがあって、C沢や滝谷ドーム(中央陵、西壁)などがあります。

僕はザイル(命綱のロープ)を使ったクライミングはボルダリングしか経験した事が無い。

だから考え方が浅はかなのかも知れないけれど、滝谷を下からフリーで登った人とかいないのかな?

しかも僕の場合フリーで登るって言ったら命綱無しのつもりなのですが、世間的にはそういう訳でもなくて通常、安全確保の命綱としてザイルは装備しているらしいのですが、さすがに滝谷くらいの岩壁を登るのに命綱無しで登る人なんていないですよね?

なぜだか可能性があるなら試してみたいという興味はあるんですけど・・・
さすがに極限の緊張感を何時間維持するのか想像もつきませんが、命綱無しで1350mも登るのには尋常じゃない精神力を使いそうですよね。

以前芦屋ロックガーデンでキャッスルウォールに登った時も精神的にはかなりきつかったです。(絶対にミスは出来ないし、指を引っかける亀裂や段差がほとんどないツルツルの岩盤で足場も幅2cm~8cmあるか無いかのトラバースなので、手や足が滑ったら最期)
たった25mの岩壁なのに精神力と集中力をかなり消費しました。(下の沢までの高さを含めると50mくらいの高さ)


ちなみに話は変わって、これが現在の滝谷の橋。

角材を平均台のように渡ります。


安定感はありましたが、信用できないって人は飛び移れる岩場を探すより仕方ありません。


僕自身は橋を渡るのに問題はなかったのですが、それよりも最悪な事にカーボンストックが折れました。

ストックの先が岩と岩の間に挟まったのですが、僕は特別こじった訳でも無く・・・

恐らく岩の尖ったところに絶妙にタイミング悪くヒットしたのでしょう。


まだまだストックには役に立ってもらわないといけないので、先の折れた状態で長さを限界まで伸ばして使用。


下山まで使えればそれでいい!



そして登山道・・・「相変わらずガレガレやなぁ~!」って、おいおい何だ迂回路って?

突如現れた落石が原因による倒木地帯!


道なき道を迂回します。



あのごっつい大岩が落ちてきたらしい。

直撃を受けたらペチャンコですわ!


今年は焼岳の噴火が近いのかこの界隈では地震が多発していました。

いつまた地震が起こるか判らないので、他人ごとではありません!

そして焼岳が噴火したら上高地は消滅・・・或いは大正池周辺の地形が大きく変わる可能性が高いです。


少なくとも怪我人や死者はそれなりに出るものと考えています。

なので僕もこの山域に入った時点で、いつそういう危機的状況に陥るか判らないという覚悟だけはして来ています。



倒木を飛び越えたり潜ったり・・・



赤いリボンが無かったら、どこを歩いて良いかも判りません!(笑)



そしてこんな崩落したような場所を登り返します。



滝谷の沢が向こうに見えています。


雨が降って来たのですが、例の無口な4人組はまだランチを楽しんでいる模様です。



気を取り直して歩き始めたら、何かが目の前に飛び出してきました!

ヒキガエルです。

もうお腹が空き過ぎて、喉が渇き過ぎて・・・極限状態なので「一体何?」って、珍しくメッチャ驚きました。(汗)

勿論ヒキガエルなので、脅かされた仕返しに・・・じゃないですけど、さすがに捕って食おうなんて気分にもなれず・・・(笑)


沢だけではなく、登山道もガレています。

ガレガレです!もう白出沢まではこんな調子なのだと諦めがつきました。

そしてとうとう、白出沢までの区間でバランスを崩しかけて滑落しそうになった回数は11回目まで更新しました。

逆によくもまあ全てギリギリで危機を回避できたものだと、自分のしぶとさを称えたい気持ちになる。

本当に意識が朦朧としていたのですが、バランスを崩した瞬間だけ正気に戻り、悉く反射神経だけで何かしらに掴まったり、ジャンプして安全な場所に飛び移ったり・・・

山に生かされているのか、守護霊様に生かされているのか・・・


岩の上にオコジョの糞を見つけました。

ここの区間だけで3ヶ所見つけたので、普通にオコジョが沢山生息しているのだと思います。


こんな原始的な避難場所がありましたが、雷雨ならともかく・・・クマは一緒に入って来そうです。


この辺りは大岩の積み重なった場所に木々が根を張ったような原生林の森なので、オコジョの隠れ家にはもってこいの場所が多かったです。


こんな落石・・・頭に当たったらスイカみたいに割れるって。

この右は崖である。(笑)

まったく迷惑な落石ですな。



足の裏に優しい板張りの歩道!

「嬉しい~っ!」って思ったのも束の間、すぐガレ場に戻ってとんでもない急な下りを転がり落ちそうになりながら下った。



そしてやっと・・・やっとの思いで白出沢に到着しました!(13:04)

滝谷から1時間10分もかかってしまいました。

さすがにエネルギー不足と足の痛さが限界を超えているので、沢の向こうに見慣れた林道が見えた瞬間、安心して崩れ落ちそうなくらいの脱力感に襲われました。



しかしまだここから新穂高登山口までは、標準タイムで1時間40分程歩きます。


なだらかな林道ですが、足場は中途半端にガレガレでザレザレの、足の裏に優しくない路面です。



向こうで僕を抜いて行ったトレイルランナー3人組のうちの2人が着替えていました。


この後つかず離れずで3人で下山。

一人だと心細い心境に陥っていたので、少し嬉しかった。



見慣れた穂高岳山荘へ登る白出沢ルートへの分岐です。



人って見慣れた場所に出てくると、こんなにも嬉しくなるものなんですね!

今更撮らなくても良い写真を撮影してしまうなんて!



どんぐりの実や栗の実が点々と落ちていました。

よく見ると綺麗に皮を剥いて食べた殻も点在していて・・・

一ヶ所足跡が残っていた場所もあったのですが、クマの通り道である証拠です。

沢山収穫して・・・摘まみ食いしながら歩いて、まだ中身の詰まっている実までポロポロ落としながら歩いたのでしょう。

殻の状態から見て今朝から昼の間にここを歩いたのは判断できます。


周りの気配に気を付けながら歩く事にしました。

途中、穂高平小屋が開いていたら何か食べようかと思いましたが、見事に閉まっていて、しばらく営業していない空気を醸し出していました。

もう叫びたいくらいに空腹で、そして喉がカラカラでした。


もはや廃道一直線のはずの穂高平小屋からの近道へ登る登り口に、こんな可愛い岩の指標ができていました。

いやいや、誰が登るねん!こんな酷い道。(苦笑)

僕はもう二度とこの道を歩きたくない。


ここまで来たら新穂高まであと少し!

あと少し・・・あと少し・・・・・・まだ着かんのか~い!(笑)

もう意識を保っていられる限界です。



笠ヶ岳は雲の中です。



「よっしゃ~っ!新穂高登山口が見えたぞ~っ!」



新穂高登山口到着!(14:25)

白出沢分岐から1時間15分かかりました。(飛騨乗越からは休憩時間を差し引いて5時間50分で下山)

無事の下山を感謝し合掌!


そして振り向けば新穂高ロープウェイなのに、神戸の店に電話をして無事を知らせながら歩いていて・・・


いつの間にかビジターセンター(登山指導センター)まで下っていた。

ロープウェイの駅に気付かずに歩くなんて、一体どれほど疲れ切っていたのだろう?



下山の際にあまりにも歩いている人が少なかったので気になっていたのですが、この看板を見て納得!


それはそうとこの日は下山を決心した際に、飛騨乗越でその旨をスタッフに電話していたのだが、電波が悪くて何をしゃべっているのかほとんど聞こえなかったらしく、その上今の今まで電波が繋がらなかったので、神戸では僕が無事なのかどうかで相当心配していたらしい。


アキラ君などは僕が大キレットで滑落している事を祈っていたとかいなかったとか。(笑)


ところでもう両脚が棒のようになっていた僕は、ペンギンのような歩き方で、再びロープウェイの駅まで登り返す。

すると丁度良く高山行きの濃尾バスが発車する前だったので、それに乗って平湯温泉まで戻った。


結局下山後は自販機でドリンクを3本買って一気に飲み干したが、一切食べ物は食べていない。

食べていないまま、平湯温泉では立ち寄り湯を利用して、疲れを癒すどころか、温泉で暖まったら全身の疲れが一気に湧き出してきたような状態で車を運転し・・・


更に自分の燃料よりも、車のガソリンを給油する方が優先で・・・


やっと僕が食べ物を食べられたのは17時頃・・・関のSAだった。


それにしても東海北陸道はえげつなかった。

時速80km制限なのに、走行車線は皆120kmで、追い越し車線は130~160kmで走る車がほとんど。


それが郡上八幡手前でパトカーに追いついた瞬間、全ての車輌が急ブレーキ&車間の狭い走行車線に割り込んで良い子ちゃんに成りすますものだから、20台以上の車輌が団子になって・・・よく多重追突事故に発展しなかったものだと冷や冷やしました。


これだから本当は東海北陸道を走りたくないのですが・・・(とにかくせっかちで乱暴な運転をする車が多い道路で、煽り運転なんてザラです。)


とりあえずそんなこんなで神戸へ帰還した時は魂が抜けそうなくらい疲れ切っていました。



これは先の折れたカーボンストックです。

もう軽さで選ばずに、次回は収納サイズがコンパクトで、頑丈なアルミストックにしようと思っています。(笑)



そして実際に現地に登らないと買えない手ぬぐいのコレクションが新たに加わりました!


後日談・・・南岳小屋は10月22日まで営業となっていました。

僕はガセネタに踊らされていたのです。(笑)

というか、そもそも南岳小屋は槍ヶ岳山荘グループだったので、最初から山荘で調べておけば安心して歩けていたのです。(もう次回は慌てて混乱しないように気をつけよう!)


で、月曜日は完全に休養して火曜日から5日間のファスティング(断食)を実践。


8月に始めた頃と比べて・・・今回は2日連続で無補給な山行を行なった甲斐があったのか、5日間の断食もそこまで苦しくなかったというか・・・

でもなかなか痩せれないものです。

ファスティングや僕が今の体質になった原因などはまた改めて記事に書きます。


結局人は誰でもストレスとか抱えている訳で、SNSで幸せいっぱいの書き込みしか掲載しない人っていると思いますが、「お前そんな訳ねぇだろ!」とかって突っ込みはともかく、僕は正直に生きていたいので、ストレスが溜まったらまた山に行きます!

死ぬほど悩んだらまた山で楽しく死に場所探します!

死に場所を探してたら冷静に反省点に気付いたり、今後の作戦だったり・・・意外と生きる道が見つかったりするものなので、まあ結果オーライという感じでしょうか?(動機の不純さには敢えて突っ込まないで頂きたい。)

今回はひたすら苦行、苦行・・・また苦行でしたが。


とりあえずお疲れ様でした。(長い文章をお読み頂いて・・・)

2020年10月23日金曜日

結局自分の居場所は山にしかない・・・槍・穂高縦走チャレンジ・・・その⑩「想定外とうっかりで再びピンチ!」

9:39 槍ヶ岳の周りの雲が晴れた。



嬉しい気持ちと悔しい気持ちで複雑な想いである。

これは槍ヶ岳山荘に戻るパターンが正解だった事を意味する。


しかし今から登り返して山頂に登る元気はもう残っていない。

とりあえず最後に槍ヶ岳とお別れができただけでも良しとしよう。



 そして道はガレ場~ハイマツ帯から樹林帯に切り替わっていく。

今回も雷鳥には会えなかった。



西鎌尾根と並走しながら間のハイマツ帯に雷鳥を探している。

一度雷鳥らしき鳴き声を聞いたものの姿は見えない・・・

それ以外で鳴き声?って思える音は何度か聞こえたが、よくよく聞いていたら僕自身の呼吸音だった。(汗)

昨日は水分補給がちゃんとできなくて喉をやられていたのである。



またお一人様で速い人が抜いて行った・・・。

お世辞にも歩くのが上手とは言えず、何度もバランスを崩したり滑ったりしていた。
歩く道によったら落石を発生させる迷惑な登山者かも知れない。

それでも僕のスピードに対して120%くらいの速度で歩き去って行った。
一体何があの人をそんな速度で歩かせているのだろう?
怪我や事故の無いように下山して下さいと、心の中で祈るしかなかった。


霧の向こうに尾根道が続いている。

西鎌尾根から分岐した奥丸山山頂まで続く尾根道です。

即ちここは槍平小屋のある飛騨沢の谷へと下る斜面に差し掛かっている事になります。


10時を回ったところでとうとう河原が遠くに確認できました。

この道を初めて歩く僕は・・・あそこまで下ったら、あとは新穂高登山口までなだらかな林道が続くものだと信じていました。

何ならこのルートは槍ヶ岳まで行くルートの中で、最も優しいルートだとさえ信じていました。

その思い込みが後に自身の心と身体を追い詰める事になるとは、この時は微塵も判っていませんでした。


とりあえず足を捻らないように気を付けながら歩く。

心なしか「緩やかな林道まであと少しか~!」って思うだけでモチベーションが回復してきた。

登山に行って何が一番嫌かと聞かれたら、そんなの下山に決まってるじゃないですか?
下山程辛くて寂しくて虚しくなることはない!
できる事なら下山するって決まった時点で下界に瞬間移動したいくらいなのである。

そりゃ時には今回の登山の思い出を色々、心と脳裏に焼き付けながら下山したいと思う事もある。

ただしそれは本当に良いタイミングで予定通り登山できた場合に限る。


そしてわざわざ汲み取りやすくしてくれている水場(沢)がありました。

後になって思えば、ここでハイドレーションに水を汲んでおけばよかったのですが、もう槍平小屋まで下山したら、あとは楽ちんな林道歩きだ!

そんな安易な思い込みだけでハイドレーションに水なんて汲まなくたって大丈夫!という根拠のない自信と安心感に浸っていたのである。

なのでここでは手のひらに2度水を掬って飲んだだけ。

とてもおいしい水でしたが、もう下山したも同然の歓喜で頭はいっぱいでした。


我ながら愚かなり。


なぜ高度計を見なかったのだろう?


後で等高線マップで調べたらここの標高はまだ2180mだった。

槍平小屋も標高で言えば1980m強。


新穂高は標高1000m強なので、標高差で言うならまだ半分も下って来ていない事になる訳で、思い込みで判断して冷静な現状分析をしなかった自分のうっかり加減に、今思い出してもこの時の状況は笑えてしまう。



そう・・・ここから木々の間に見える河原は、まだまだ標高2000mくらいあるんだよ!

それなのに僕の意識の中では標高1600mくらいに認識していた訳。


もう脚の痛みから一刻も早く解放されたかったんでしょうね・・・当時の僕は。


実はこの時点で既に脚のパフォーマンスは15%以下に低下していて、時々踏ん張りが利かなくて既に4度も登山道から滑落(墜落)しかけている。(すべて寸前のところでしゃがんで岩にしがみついたり、木の枝に掴まったりしてピンチを回避している。


お腹も空いてきて一刻も早く下山して美味しいものが食べたいと思っているので、それも集中力を下げてしまっていたかも知れない。



この辺りは大喰沢だと思われますが、どこも水の飲めそうな沢に度々遭遇するのですが、もう補給の事とか完全に冷静な判断は出来なくなっていたと思う。



写真に撮るって事は「美味しそうな水だなぁ~!」とは思っている証拠ですが・・・。



大きな沢が見えてきました。
恐らく中ノ沢と呼ばれる沢だと思われます。


今歩いてきた樹林帯を振り返る。

景色の楽しめない樹林帯はただただ退屈なのだ。



中ノ沢で一人の登山者とすれ違ったが、もう姿が見えない。

しかし時間は10:28である。

今から登るとなると早くても槍ヶ岳山荘には13:30以降の到着になるだろう。
天候が荒れない事を祈りたい。


そしてこれは飛騨沢の対岸の奥丸山(山頂の標高は2440m)の尾根。


あの尾根の標高って2350m前後なんですよ。


それが把握できていれば現在地の標高も・・・目視で概ねの標高が判断できたはず。



そしてここに来てまだ樹林帯・・・


こんな登り返しも待っていた。


路面が悪くて足の裏の痛みに苦しめられる。



しかしそこから15分ほど歩いて、ようやく飛騨沢の河原と並走する標高まで下りてきた。

槍平小屋は近いはずだ!


きた~っ!槍平小屋のテント場!

女性が一人でテントを設営していた。


奥丸山へはここからでも登れる。

ある意味槍ヶ岳に登るなら僕はここから奥丸山経由で千丈乗越を目指す方が楽な気がする。


槍平小屋に到着~っ!


ここで水を汲まなかった僕は、いよいよもって大馬鹿野郎だ~!


今年はコロナの影響で宿泊利用ができない槍平小屋ですが、今年の登山道の状況をネットで配信してくれたり、テント泊は受け付けております。


そして食事やコーヒーは提供してくれたのに、僕は下山を急ぐあまり食事もコーヒーも注文しなかった。


ただ小屋の敷地内で5分少々の休憩を取って、ストックの準備をしただけ。


この先は緩やかな林道だと信じて止まなかったので、ストックで歩きやすくなるという予感に酔っていた。



槍平小屋を出発して間も無くの南沢のガレ場。



沢の真ん中まで出てこれから進む先を眺めて唖然!

まだまだ深い渓谷である事がこの景色で理解できた。

「えっ?もしかしてあの辺が滝谷の出合?じゃあ白出沢ってもっと向こうで、標高差はまだまだ残ってる?」

そしてこれから向かうルートは緩やかどころかかなり急な勾配である。

更に地震や大雨による落石や倒木、崩落で迂回ルートや危険ルートがいっぱい!

想定外!想定外!このルートを完全に甘く見ていた自分の考えの甘さも想定外!

そしてうっかりしていた!

「そうやで!上高地なら標高差1580mやけど、新穂高は2000m以上下らないとあかんねんで?どう考えてもこっちの方が道は険しいに決まっているやん?」

なぜその事に気付かなかった・・・?

朝5:30に朝食を食べて以来、一切の補給も無く下山・・・果たして無事に新穂高まで踏破できるのだろうか?

次回最終回・・・お楽しみに!