2021年10月14日木曜日

後立山連峰縦走の旅7月27日(火) ~その6~ 喪失感と安堵感・・・さらば北アルプス!また逢う日まで


 鑓温泉へ登る分岐(現在は通行止)を通過して間も無く猿倉の石碑が現れる。



その先にまた分岐が現れてどちらでも下山できるのだが、猿倉荘に立ち寄るなら看板右の脇道へ入った方が近道である。



森の向こうに猿倉荘が見えてきた!



ゴールが見えた瞬間この遠回しに歩く道が憎らしく思えてくる。


緊張感から解放されただけで既に全身が筋肉痛になっている。


特に大雪渓で何度もバランスを崩して手を突いているので、両腕の張りが半端無い!


もう缶ジュースも開栓できないんじゃないか?ってくらい両手の握力が死んでいる。



11:20に猿倉荘ゴール!


オヤジさんは猿倉荘に車のキーを預けているそうなので、その間にオヤジさんの重たいザックを担いで駐車場まで運ぶ。


車はプリウスだった。


何があっても口が裂けても自分が『アンチトヨタ』『アンチプリウス』である事は出さないように振舞う。(苦笑)


オヤジさんは燃費の良さで選んだそうだ。


それだけ聞けたらもう何も言う事はない。


でもアンチゆえに最新のプリウスに乗った事も無かったので・・・


さり気なく「こんな内装なんだ?意外と中はカッコいい・・・。」とか思いつつ、オヤジさんの一期一会への想いに感銘を受けながら八方第二駐車場まで送って頂いた。


僕は敢えて名乗らなかったしオヤジさんの名前も聞かなかった。


また北アルプスのどこかで出会えたなら今度は名乗ろうと思う。


でも今回は一期一会だから素晴らしい出会いに対する感謝の気持ちだけ忘れずに、いつか今度は自分が同じように誰かの助けになってあげられたら、それでオヤジさんへの恩返しになる・・・それでいいじゃない!


オヤジさんのプリウスを見送ったあと観光組と合流。


時間は11:40でした。


僕の見た目が相当ヤバかったらしく・・・(笑)


駐車場脇にある『八方の湯』でひとっ風呂浴びてきたら?って勧められたのだが、ただでさえ待機してもらって随分と待たせたはずなので、これ以上お待たせする訳にもいかず・・・


「今夜は温泉に泊まるし、もう行きましょう!」



下界は雨こそ降っていないものの曇天です。


白馬岳~唐松岳も先ほどの強烈な落雷から考えて稜線は荒れているのでしょうが、この雲を見る限り唐松岳~五竜岳の稜線も荒れ狂っていますねきっと。


更に南のG5や八峰キレット付近は強風が吹き荒れて歩けたものじゃないだろうなぁ。


台風並みの突風が吹き荒れる事で知られている烏帽子岳周辺なんて、言うまでもなく稜線にいたら確実に吹き飛ばされているだろう。


結局台風8号は温帯低気圧に変わって、進路を太平洋側の東北海岸沿いに北上してから北西に流れて行ったので、長野県にいて直撃を食らう事はなかったのだが、東北地方のこの温帯低気圧による雨の被害は相当酷かったそうだ。


それにしても僕はもう下界に降り立ったんだ・・・毎度この感覚・・・ホッとしたというよりも・・・


寂しいなぁ~。


やっぱり山での時間っていうのは、どんなに苦しくてもかけがえのない楽しい時間なんだよねぇ~。


これで今年の北アルプスとの触れ合いは最後かと思うと寂しい。


もっと命懸けの山行がしたい!


当分アルプスなんて見たくもない!って思えるくらいに過酷な山行がしたい!


もっと身も心もボロボロになるくらいの強烈な経験をさせて欲しい。


それくらいやり込まないと毎回別れが辛くなる。


生きて無事に下山出来た事は正解だし、安堵はしている。


でも満足には到底及ばない。


喪失感・・・ひたすら喪失感。


大好きな彼女に気持ちが伝わらないまま別れるくらいの辛さなんじゃないかな・・・山との別れって。


喪失感と言えば・・・今回僕が無事に下山出来た理由の一つが僕の左手に持っているステンレス製のシャトル。


中には愛猫『小作』の遺骨が入っている。


実は今年の6月に腎臓疾患で突然体調を崩し、5日間苦しみ続けて亡くなったんです。


最期の瞬間は僕の部屋に飛び込んできて、きっと苦しかったと思うけど最後まで諦めたくないって感じで、僕に手を差し伸べ涙を流しながら絶命しました。


子猫の時に当時の取引先のお嬢さんから譲り受けて以来16年。


ずっと『クソ猫』『駄ネコ』と呼び続けていましたが、いつも仕事から帰ってきたら玄関まで迎えに来てくれて、遊びたい時や構って欲しい時は僕の部屋でもリビングでもなく、自分の部屋に来てくれ!って呼びに来るような甘えたさんで・・・



ちゃんと相手をしてあげると翌朝は玄関まで見送りに来てくれるのだけど、仕事で疲れてしんどいからって適当にあしらうと拗ねて翌朝は見送りどころか「行ってきます!」と声を掛けてもそっぽを向いて無視!(笑)


僕が残業続きの激務で熱を出して倒れた時などは、心配して朝まで添い寝してくれる優しい面もありました。


うつ伏せで寝ていたら背中に乗って肩甲骨周りを踏み踏みしてからスフインクスみたいに寛いでいたり・・・


居なくなって初めて判るんだよなぁ~


\

どれほどその存在が自分にとって大切だったかって事が。


だから僕にとってのお守りを兼ねてではあるけど、『小作』に家族の中で僕だけが知っている絶景を見せてあげたくて、シャトルに入れて連れて来ていたのである。


実際のところ、もし不帰ノ嶮へ強行していたとして、雷雲に襲われたとしても・・・きっと『小作』が僕の身代わりとして避雷針になってくれていただろうなという想いはあります。



元々僕には全然懐かない猫だったのですが、近所で虐待されて死にかけていた子猫を僕が拾ってきて必死に看病し・・・結局既に手遅れだった事もあり4日後にその子猫は亡くなってしまったんだけど、その時に僕が棺を作って花とエサ、猫のオモチャなどを一緒に入れて僕の好きな地元の山へ行き、お墓を作って埋葬していたのをずっと見ていたんですよね。


それから急に変な主従関係が生まれたという・・・懐かしいなぁ。


なので今回の山行では、道中ずっと僕は『小作』に話しかけながら歩いていたんですよね。


すれ違った人からは「あの人は一体誰と話しているんだろう?」って思われた瞬間もあったかも知れません。(笑)


今年は義祖父も亡くなり『小作』もいなくなって、失うものが多い上半期でした。


そういった喪失感と下山後の喪失感は・・・どこか似通ったところがあるんですよ。


山へはまた登れるかも知れません。


でもその時の天候や気候、出会った人や自然現象は2度と同じタイミングには出逢えない。


ここにも一期一会が存在する訳ですよ。


それ故に毎度下山する時は辛い気持ちと葛藤し、得も言われぬ寂しさを味わうのだ。



大王わさび農場にやって来た。


僕はここの水車と清流の風景が好きである。



紫陽花の葉に停まっているのはカゲロウか何かの一種かと思ったら、ハグロトンボという珍しいトンボらしい。


玉虫色の身体に黒い羽根・・・ゴージャスですね!


そしてワサビ田の水も冷たくて気持ち良い。


観光組は前日に栂池自然園を満喫し過ぎて、午後はちひろ美術館しか楽しめなかったらしい。


そんな訳で僕の案内でわさび農場へ・・・とはいっても、僕はもうあんまり歩き回る気力が無いのでワサビ田の風景を見つつ・・・今年リニューアルされたばかりのレストランに立ち寄って美味しいお蕎麦を食べる事にしました。


一緒に行ったミワさんに「何で大王わさび農場って言うの?」って質問されたんだけど、松本~安曇野には八面大王という8人の首領が率いる盗賊の伝説があって、ここの敷地内の大王神社には討ち取られた8人の胴体が埋められているという話から付いた名前だったはず。(首塚は松本の筑摩神社と伝えられている)


美味しいお蕎麦とワサビソフトクリームを堪能してから諏訪湖に向けて出発!




安曇野インター(旧・豊科インター)手前のデイリーヤマザキストアが、いつの間にか中古車センターになっていて何気に寂しい気持ちになる。

久々に岡谷インターチェンジから下諏訪を経由して湖岸沿いの道へと進む。



この日は間欠泉センターからも程近い上諏訪温泉の名門『ホテル紅や』に宿泊。


17:00頃チェックインと、予定よりも1時間半くらい早く着いたので、夕食の時間を早める事にしました。


ここも随分前に取引先だったホテルですが、僕の担当じゃなかったし、もう知っている従業員さんもいないかも知れないなぁ~。



『君の名は』の聖地にも近いのですが、もうそこへ行く元気も残っていません。(苦笑)



これから諏訪湖を眺めながらガーデン焼肉タイム!



ビールやドリンク類も飲み放題。


コロナ渦なのにある意味奇跡のような食事内容です。


当然会場に入るなり検温と消毒は義務ですが・・・


生ビールは自身でサーバーを使っておかわりをしてもいい(当然ながらグラスは交換する)のだけど、来ているお客さん方のビールの入れるのが思いのほか上手過ぎて驚いた!(笑)


生ビールが空気に触れないように泡を被せて、その上あわあわにならないようにゆっくり注いで・・・って言うのは居酒屋かレストランでアルバイトの経験が無かったらできない芸当なんだけどね~。

セットのお肉は予想を反してボリューム満点で、追加のお肉を注文するまでもなく満腹!


そして山帰りの僕は生ビールをジョッキ1杯飲んだだけで程良く回って来た。


もう1杯飲んでいたらきっとダウンしていたと思う。


そのくらいこの日は緊張を要される山行だったんだ。


今更のように安堵感と・・・


本来の予定とは違ったものの、達成感を得るには十分な冒険をしてきたんだ!という実感が湧いてきた。


これが山小屋だったら、全国各地から集まって来た登山者たちと、「今日はどのルートを歩いて来たんですか?」って話題で随分と盛り上がっていた事だろう。


あの山小屋の夕食時は何て表現したら良いのだろう・・・


山小屋では皆が同志なんですよね。


同じ炭鉱で働く工夫が「今日の獲物はこんなに大きくてさぁ~。」って自慢し合う感じ?


お互いに命懸けの環境で働く者同士の連帯感や親近感からか、何一つ嫌味も無くリスペクトし合えるあの空気感っていうのか・・・


その空気感に近いものが山小屋にはある。


だからまた山に帰りたくなるのかもなぁ。


下界に帰って来て登山の話をしたところで、「山は眺めるものであって登るものじゃない!」って言われたり、「うわ~、聞いてるだけでしんどそう!」って反応がほとんどなので、何か違うんだよなぁ~って思う事が多い。


しかし山の上ではしんどさも恐ろしさも、美しさも楽しさもそれらすべての素晴らしさを共有・共感できる者同士が集まって来るので、初めて出会った者同士であっても随分とディープな話ができて、あの充実した時間は酒を美味くするには十分過ぎるものなのだ。


例えばしまなみ海道の美しい景色の中でたまたま声を掛けたサイクリストと自転車談議をするとしよう。


想像しただけで楽しい時間だと思いませんか?


しかし自転車は苦しさよりも爽快感やグルメ、観光の要素が強いのでやや軽薄に感じる事もあったりする。


山は違う。


皆想いはそれぞれだが、何かを背負ったものも少なくない。


危険なルートにチャレンジして一歩間違えば死ぬかも知れない場所に来ている。


それでも夕日や星空、朝日、季節の織り成す山々の風景・・・


絶景の中で自分のちっぽけさを思い知らされて、生きている事の実感を味わされるのだから誰もが晴れ晴れとしている。


そこで嘘や誤魔化しなんて通用しない。


誰でも気軽にできるサイクリングなんかより、数十倍も登山の方が充実する。


そんな事を自転車屋の僕が言ってしまうのはどうかと思うけれど、最近の自転車業界やサイクリストを見ていて・・・全くと言っても良いほど熱意が湧いてこないのだ。


僕だって距離を走る事や速く走る事に命を燃やしていた時代はある。


例えツール・ド・のとや琵琶湖一周サイクルマラソンのようなセンチュリーライドであっても、そこに参加する人々がみんな仲間(同志)のように思えたのは遥か昔の話。


そこに真剣勝負は有りますか?そこに挑戦(冒険)心は有りますか?


僕の追い求めてきた自転車に軽薄なレジャーなんて感覚は不要なんです。


もちろん多様性が必要な事も解かってはいるし、自分だって興味はあるけれど、グルメありきのサイクリングとかミーハーな謳い方が気持ち悪いと感じる時がある。


それも必要だけどそれがメインじゃない!


体力の限界に挑戦して有名な峠を越え、自分の知らない道や土地を求めて走るサイクリングだからこそ、一緒に走る同志との時間が充実するし、道中で出会ったサイクリストとの会話も美しい記憶となるのである。


そこで出会ったグルメや現地の人の温かみも最高のスパイスになる。


レースも然り。


25年前まではロードバイクもバラで組むのが当たり前だったので、最低でも予算は20万円以上。


だから本気のサイクリングは誰でも始められるスポーツじゃなかった。


本気で乗ってみたい人じゃないとそんな予算を捻出できないからだ。


当時は完成車なんてものはド素人が乗るオモチャか、逆に超高価なメーカーのアニバーサリーモデルにしか存在しなくて、少なくともロードはフレームからパーツのアッセンブルまで、乗る本人の好みやショップのセンスが影響する乗り物だったので、国道ですれ違う時も挨拶を交わすだけではなく、お互いのバイクをリスペクトし合う文化があった。


目に見えない小さな部品一つに至るまでこだわって作るからこそ至高の喜びがそこにあったのである。


今となっては10万円前後の完成車に始まって、ヤフオクやメルカリで容易く往年の名車を中古で安価に仕入れる事ができる時代になっている。


しかしネットの個人売買ではクラックの入ったフレーム(ゴミ)を平然と黙って売りつける詐欺も横行しており、商品知識もなく素人が手を出したら大火傷を負うような案件も少なくはない。


それにそもそも中古車に対する概念がずれている。


僕にとって価値ある作品こそ、当時は高価過ぎて手が届かなかった中古車として購入するに値する自転車であり、或いはこれから更に価値の上がる作品こそ手に入るチャンスがあるうちに購入する訳であり、ゴミ捨て場に放置されていたような使い捨てのそれは天地がひっくり返ってもイコールになるはずがない。


しかし中古車を求めて来る客層は大半が「乗れたら何でもいい!」なのである。


ママチャリにしろロードバイクにしろ、自転車の価値なんて欠片も解かっちゃいない。


「ブランドの自転車ならなんでもいい!」


「安い自転車は置いてない?」って臆面もなく言ってのけるのである。


もうその動機が既に僕には何があっても受け入れられないし、およそ虫唾が走るような話なのである。


こだわりや愛着の無い自転車ほど無機質で悲しい乗り物はない。


「今乗れたら何でもいいから3~5千円くらいでないの?」等と言う人に乗られる自転車の運命って・・・考えただけで悲劇じゃないか。


誰にでも気軽に手軽に始められるようになった自転車(ロードバイク)。


いくら多様性を認めろと言ってもあまりに風紀が乱れ過ぎている。


それ故に未だ自転車よりも体力的にハードルの高いとされる登山は、価値観のギャップも少ないので素直に幸せを感じられるスポーツだと思っている。


完成車が当たり前の時代。


ネット販売の粗悪品が横行する時代。


ネットオークションで手軽に自転車の中古車が手に入る時代。


サイクリストの民度が下る要素が多過ぎて・・・


そこに加えてメーカーやショップのスタンスの変化・・・油圧ディスクとか、新しい風を吹き込ませてロードバイクの売上を回復させたいのは理解できなくもないが・・・


ユーザーの安全は無視なのか?


油圧ディスク・・・すぐにエアーが噛んでスカスカになるし、メンテナンスも手間がかかるので工賃も高くなる。


そんなものを当たり前のように売りつける業界って何様なの?


本当に嘘つきばかりの業界だと思うよ。


外注でフレームを作らせるようになってから自転車メーカーの考え方も随分と変わったと思う。


大きなメーカーや名門メーカーほど設計図を丸投げで品質管理も適当。


倒産してよその会社に買い取られて、自転車も乗らないような経営陣に支配されたメーカーなんざ社員の扱いも酷いだろうから、そりゃ社員に裏切られて情報だって洩れるだろう。


そうやって中華カーボンフレームなどという粗悪品の横行にもつながっている。


そしてそんな見た目だけのコピー品は意外にも需要が高い。


予算もないのに見栄っ張りな人にとっては中華カーボンは救世主だろう。


果たしてそんな自転車に価値なんてあるのか?


業界そのものが腐って来たんだから仕方が無いのか?


ロードバイクに乗っていて「それって競輪用の自転車かい?」って声を掛けられるのが当たり前だった時代に、「いつかロードバイクの素晴らしさや、ヨーロッパでの自転車競技の伝統や人気を、この日本にもこれでもか!って思い知らせてやる!」そう思っていた若き日の僕の想いとは裏腹に、ポンコツ化していく自転車業界に嫌気すら感じる事がある。


サイクリングや自転車競技の本質を忘れないで欲しい。


大切なのは『走る事自体のロマン』である!


そしてパーツアッセンブルからセッティングまで、自分の体格や走りに合わせて仕上げた相棒(自転車)と共に走る事が至極の喜びなのである。


だからミーハーなサイドメニューなんてものはどこまで行っても二の次(オマケ)なのだ。


ましてや自転車のメーカーや価格、装備でマウンティングするような一部の風習も、第三者的に見ていて見苦しい。(大して走れない人ほど自分の能力を棚に上げて自転車でものをいわせる人が少なくない・・・これは今に始まった事じゃないけれど)


何でも高級車はカーボンじゃなかったらダメだ!みたいな噓クソの感覚を世間に植え付けたメーカーや情報誌は、今度はロードバイクの油圧ディスクブレーキ化の正当性を前面に出すような風潮を作り出している。


若き日の僕が目指した未来からは大幅に脱線しているんだよねぇ。


ああ・・・いけない。


またくだらない個人的価値観をダラダラと語ってしまったわ。(笑)


僕の自転車に対する美学はちょっと硬派なんで、まあ軽く聞き流してもらえると幸いです。



「パ~ン!パパパ~ン!」


部屋の窓から外を見たら花火が・・・


そんなサプライズは聞いて無かったので驚きました。


勿論有名な『諏訪湖祭湖上花火大会』でもなければ、毎年新作花火の発表会になっている『諏訪湖オータム花火』でもない。


でも諏訪湖で花火が観れるなんて例え小規模なものであっても大きなサプライズである。



窓を開け乗り出すように見物!


それこそ立石公園から見下ろしたら綺麗だったろうなぁ~。



しばし現実を忘れてリラックスできる時間でした。


翌朝は翌朝でまた、とんでもなく早起きして出発なんだよね。


ホテルの用意する朝食を食べている暇がないくらい。



ミワさんからは「それこそ石和温泉か河口湖周辺で泊まった方が宿で朝食も頂けてゆっくり寝れたんじゃないの?」とお叱りを受けてシュンとしていた僕ですが・・・



「そしたらこの花火は観れなかったじゃないか!」って大義名分が、後出しながらに言い訳できて「よっしゃ~!」とガッツポーズ。(笑)


翌日はいよいよ僕にとっての夏休み最終日。


それでは再び次回に続きます!

2021年10月8日金曜日

後立山連峰縦走の旅7月27日(火) ~その5~ 轟く雷鳴・・・そして受け継がれる山の一期一会

 

ここは本来『白馬尻小屋』の設営されているはずのポイント。


今年はコロナ渦なので営業していない模様。


ここのすごいところは毎シーズン(7月~9月)僅か3ヵ月間だけの営業なのに、毎回建物を一から設営し秋には全て撤去するってところ。


大雪渓という場所柄、冬季は雪の重みに耐えられない可能性があり、初夏には雪崩に流されてしまうという懸念があるからなのだろう。



これは同じ場所の写真だが・・・本来ならこんな感じの風景で、僕もできれば軽く食事でも食べてから下山をしたいと考えていたのだが、コロナで休業とあれば致し方ない。


白馬尻の北側の風景。


白馬沢の向こうには小蓮華岳がそびえているのだが、雲に覆われて見えない。


ところでこの白馬尻で再びオヤジさんに再会する。


ここで再び会ったのも何かの縁って事になって、一緒に下山する事にしました。


白馬尻から猿倉荘まではヤマケイマップのコースタイムでは1時間。


オヤジさんも1時間くらいだと言っている。


オヤジさんは岩場の急峻な道なら歳の差とか関係なくテクニックで速く歩けるけれど、緩やかな林道やガレ道になったら、歳で体力も脚力も落ちてるから速く歩けないんだと言っていました。


恐らく僕一人なら35~40分程度で歩けるはずなんですけど、今更急いだところで到着時間に大差が無いので・・・


一人で歩くよりも誰かと会話を楽しみながら歩く事を選択。



それにこの辺りはまだまだ蛇紋岩も多く、70代のオヤジさん一人で歩かせるのはちょっと心配。


実際にこの後2度滑って転倒しかけている。(いずれも僕が後ろから滑り込んでザックごとキャッチし未然に防いだ)


そういう訳で僕はお節介も兼ねて後ろから同行する。



それにしても山岳カメラマンの荷物は重いし大きい。(15kg以上の荷物が入っている)


ふらつく度に距離を詰めたりしながらサポート。


そうは言ってもオヤジさんは登山の大先輩でもある。


昔は奥さんとも薬師岳やら雲ノ平やらを登った話を聞いたりして、どのルートで登ったとか景色で一番感動した場所はどこか?って話をしながら楽しく歩く事ができました。


そんな大先輩に率直な意見として、「今日は大雪渓をアイゼン無しに下山したのが正解なのか?予定通り不帰ノ嶮に行くのが正しかったのか?」と聞いてみたのですが、「まあこの時点で言えるのは不帰でも行こうと思えば行けたかも知れないって言うだけで、それは可能性の話。油断すれば蛇紋岩で滑って滑落するかも知れないし、天気が荒れていたらこんな問答もできなかったかも知れないし・・・。」と返ってきて、やはり答えなんて無いよなぁ~って納得するしかなかった。


要は生きて無事に帰る事が全てにおいて正解なのである。


その時は不完全燃焼で悔しさが残っても、生きてさえいればいずれは再挑戦できる。


しかし無理に決行して死んだらそこですべてがおしまい。


天候の変わりやすい高山では運も孕んでいるから、結果論でしか正解か否かなんて知る由もないっていうのがこの登山ってやつなのだ。


毎回思うけど登山って本当に奥が深い。



オヤジさん的にここらの写真なんていうものは今更撮るまでもないって感じ。


白馬岳の稜線で雷鳥を見たらしく早朝4時から撮影して、下山時には葱平(ねぶかびら)までの道中で花という花を撮影しまくっていたので、十分な収穫はあったのでしょう。


山岳カメラマン協会が開催する展示会とやらに毎年新作を出展しないといけないらしく、今後年齢的にも体力的にも山頂まで登れなくなった時の為に、作品の撮り貯めをしているのだと言っていました。



将来的に山岳カメラマンとかやってみたいなぁ~って憧れている僕に至っては、まだまだ素人感覚が抜け切っていないので・・・こんな清流でさえ癒されるからってつい撮影してしまう訳だ。


それにしてもここらの水はどこで汲んで飲んでもクリアな清涼感があって美味しい。


大人になってから居酒屋で酒を知った人なら大抵『長野県の酒』と言えば真澄(ますみ)だろ?って言いそうなんだけど、僕は旅行で行く先々の酒屋やお土産屋さんで祖父への土産に日本酒を買っていた経緯があって、その土地の酒っていうものに子供の頃から関心があったんですよね。

確かに真澄も八ヶ岳や霧ヶ峰等の山の恵みともいえる諏訪の地下水(伏流水)を使っているはずなので飲みやすくて美味しいお酒ですが、僕は大雪渓というお酒が好きで・・・詳しく年齢は言えませんが若い頃から大雪渓の大吟醸を好んで飲んでいました。


真澄にしても大雪渓にしても冷酒で飲めるタイプが大好きです。


口当たりはまろやかですがキリッと辛口なので、美味しいお刺身と一緒に呑むのがオススメです。


とはいえ大雪渓の酒蔵って実は大王わさび農場から程近い池田町にあるので、大町よりも南にあたるんですよね。


美味しい水の摂れる水系が周辺に多過ぎて、どこの水を使っているのか判らないので、白馬大雪渓の水ではない可能性は高い。


安曇野って土地柄、松本の酒蔵同様に槍穂高の恵みである梓川の水かも知れないし、高瀬渓谷の水かも知れない。


長野県のお酒とはいえ大吟醸などの看板酒には兵庫県産の山田錦を使っているっていうのはどこの酒蔵も共通で、あとは地元長野県産の美山錦を使っているお酒が代表的かな。


僕は大人になってから(車の運転が命過ぎて)お酒を飲まなくなってしまったので、若い時のようなテイスティング能力は失われてしまったかも知れませんが、たまに美味しいお酒を無性に飲みたいと思う事があります。


そういえばオヤジさんはワインが好きらしく、この日も帰りに塩尻に寄り道して『五一ワイン』のセラーで奥様へのお土産を買うのだそうだ。


塩尻は山梨に次ぐブドウとワインの生産地。


個人的には仕事で付き合いのあった『信濃ワイン』や『井筒ワイン』を推したいところだが『五一ワイン』を選ぶ人にそんな野暮な話はできない。


さすがは大先輩、選ぶワインセラーもマニアック(塩尻のワインを良く知っている)!


僕の家は父親までが小樽出身だったので子供の頃から余市のワインや、親戚のいる帯広からも近い池田のワインなどに馴染みがあって、赤も白もロゼも各地の物を色々飲み比べたてきたのだが・・・


やはり国産ワインなら山梨か長野のが一番美味しい!(酸化防止剤まみれの御フランス産は寄ってすらもいない)


個人的には山梨にある『ドメーヌQ』のピノ・ノワールが一番好きだが、過去にコンコードやカベルネ・ソーヴィニョン、キャンティといったブドウから作ったワインで悪酔いしてから僕はワインを敬遠するようになってしまった。(コンコードやキャンティは飲み口こそフルーティだが、意外にタンニンが後口に残るので、調子に乗って飲み過ぎると翌朝には頭痛が残るほど悪酔いする)


塩尻産の赤ワインはコンコード種を使ったものが多いので、相当なワイン好きでないとあれは飲み切れないと僕は勝手に思っている。(塩尻産で僕が飲める赤はメルロー種だけ)


因みにオヤジさんが選ぶ五一ワインはメルローを得意としているので納得。


8月末以降になるとまずは白ワインの新酒が出るのだが、そこでシャルドネと言いたいところだけど・・・僕のオススメはナイアガラ。


「あんなのお子ちゃまの飲むジュースじゃないか!」って言われるかも知れないけど、酔い潰れて寝落ちするまで飲みたくなる程癖になるデザートワインだ。


キンキンに冷やして飲んだら本当に癖になります。


8月末から9月に出る新酒は酸化防止剤無添加もラインナップしているので是非一度味わって頂きたい。


先程はフランスワインは寄ってもいないと言いましたが、シャトー・ラトゥールにシャトー・マルゴーやシャトー・ムートン・ロートシルトなど、フランスの5大シャトーと云われる名門ワインは毎年プレミアがつくほど高価なだけあって美味しい。


いずれも僕の苦手な(笑)カベルネ・ソーヴィニョンが80%前後ブレンドされているワインだが酸化防止剤が入っていても美味しいと感じる訳で、現地で無添加の新酒が飲めたらどれほど幸せなんだろう?って思ったりする。


まさか登山中に知り合った人とワインの話まで盛り上がるなんて思いもよらなかったが、ここでまさかの展開に・・・


白馬まで1時間少々かけて歩くか、いつ来るか判らないバスを待つかするつもりでいた僕をオヤジさんが車で、観光組に待機してもらっている八方第二駐車場まで送ってくれるというのだ。


そう・・・何とオヤジさん、猿倉荘に車を停めているらしい!


何てサプライズだろうか!


別にお互いの登山経験に共感した事や、ワイン談議に華を咲かせた事がきっかけではない。


僕が転倒しかけたオヤジさんのフォローに入った際に、お互いどちらからお越しなんですか?って質問をした時から、オヤジさん的には「足が無いなら送ってあげるよ!」って言うつもりでいたらしい。


実はオヤジさん、過去に黒部源流域の山に富山県側から挑んだ時に随分と山深い登山口から登ったらしく、天候によってはバスが来ないような場所って事もあって、土砂降りの中の下山で完全にグロッキーだったらしい。


藁にもすがる思いで「大きな道路に合流するところまで送ってもらえないでしょうか?」って、たまたま出会った3人組のパーティー(登山口まで車で来ていた)に相談をしたら、快く相乗りさせて頂く事になって・・・


それで麓のどこかで降ろされる訳でも無く、何とオヤジさんの自宅のある京都の木津川まで送ってもらえたんだそうだ。


その時に「同じ悪天候の中を下山した同士だから気にしないで!帰る方角も似たようなものですし、これも一期一会ってやつですから。」と言われたとかで・・・


その3人パーティーは神戸や西宮の人たちだったそうだ。


オヤジさんは自身の転倒を防いだ僕が神戸から来たと聞いて「神戸からの登山者とは縁があるな。これはきっと神戸の人に恩返しをするタイミングなんだろうな。」って、そう思ったそうなんです。


そんな運命を感じるような話を聞かされたらジ~ンとしちゃいますよね。


そういえば初めて穂高岳山荘に泊まった時に食事の席で仲良くなった登山者の一人にも関西から来ている方がいて、天候が荒れてきているのでもしも僕が西穂高までの縦走を諦めるなら・・・「上高地まで一緒に下山しましょう!そしたら平湯温泉に車を停めているので鍋平高原駐車場まで僕が送りますよ!」って言ってもらった事がある。


その時も同席した登山者みんなに言われた事が「一期一会って、これも縁だよね。」って。


結果的に諦めのつかなかった僕は「行ける所まで行ってみてから撤退するか否かを判断します!」って『ロバの耳』の手前まで行ってしまったので、皆さんとは山荘で解散してしまったのですが。


大勢が雑魚寝する大部屋で寝ていたら足に躓かれたり、夜中にガサゴソ音やヘッドランプで起こされたり、食事の席でみそ汁の具を独り占めする人と同席したり・・・


そんな悪縁もあるけれど、奇跡のような良縁も決して少なくはない。


オヤジさんに車で送ってもらえる事になって、僕の肩の荷は随分と軽くなった。


何ならオヤジさんの重たいザックも全部僕が背負って歩きますよ!って言いたいくらい軽やかな気分になった。


アマチュアだろうがプロだろうが、山岳カメラマンなんてしている人は僕みたいな素人から見たら雲の上の存在。(僕は自分でもまだまだ挑戦者の領域だと自覚している)


オヤジさんクラスにもなると、山を誰よりも知り尽くしている達人である。


そんな雲の上の存在が一期一会を大切にしているって、こんなにも感動する事はない。



オヤジさんからは「大雪渓をエスケープにするって決まった時点で頂上宿舎でアイゼンを売っていないか聞けばあったかも知れないのに、それでも尻込みせずに大雪渓をアイゼン無しで下って来たんだから立派だよ。」って、お説教交じりではあるけど労いの言葉も頂けてホッとしたというか・・・


完全に脱力して歩いています。(笑)



「ホ~!ホケキョッ!」


僕の足元くらいの近い距離で鶯が鳴いた。


「こんな至近距離で鶯に鳴かれたのって生まれて初めてなんですけど!」


「ここら辺は登山者しか来ないから、野鳥もそこまで警戒心が強くないんだよ。」


自然を身体全体で満喫!


ダラダラ歩く林道は退屈だけど、自然を満喫している充実感は余りある。




「これってダムの上歩いて行けるんじゃない?」って思ったら、意外に水量があって靴がびしょ濡れになるリスクは否めない事が判明。


オヤジさんは素直に板橋を歩いている。


女性登山者の二人は僕の反応を見て直進が無理だと判断。



まあまあ立派な滝になっているよ。(笑)



落差もあるので落ちたら簡単に死ねそうだ。


結局僕も板橋を歩き、待ってくれていたご婦人2人にお辞儀をする。


オヤジさん曰く「もう半分以上歩いたから、30分もしないうちに猿倉に着くよ!」だそうだ。



11:00ちょうどの事だった。


ズドド~ン!ドドドドドドカ~ン!


ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ~・・・・パリパリパリパリ・・・・


写真は白馬岳~小蓮華山方向を撮ったものだが、大きく長い衝撃音とやはり長くて広範囲なのが判る雷鳴は白馬鑓ヶ岳~唐松岳の方角から轟いた。


尋常じゃない一撃だったと思う。


時間的に計算すると、本来なら僕が不帰ノ嶮の核心部である2峰北峰に差し掛かっているであろうタイミングだ。


これだから山の天候は怖いというか・・・甘く見ていたらどえらい事になる。


あくまで仮定の話ではあるが、もしも強行していたなら・・・誰も歩いていない不帰ノ嶮で、僕は確実に雷のターゲットにされていたであろうという事実。


岩稜帯の稜線を歩いていたら誰にでも漏れなく『避雷針になる権利』がある訳で、恐らくではあるが僕は帰らぬ人になっていた可能性が高い。


頂上宿舎の館長やスタッフさんの説得が無かったら、僕は意地でも強行していたはずなのでこの轟音に生きた心地がしなかったのは言うまでもない。


既に1400m以上の高低差を下山したにも関わらず、足の裏にまで振動が伝わるほどの落雷(雷鳴)なのだから、姿形や性別すらも判別できない程に僕は真っ黒こげにされていたことだろう。


改めて無事に下山できそうな事に安堵するのであった。


次回別れと合流と新たなサプライズ・・・お楽しみに!