2021年8月29日日曜日

後立山連峰縦走の旅7月26日(月) ~その4~ 地獄のような稜線歩き


11:45に白馬大池山荘を出発。


出発早々に分岐点。


白馬岳には左へ進むが、右に行けば蓮華温泉に行ける。


この蓮華温泉にも初代チームユーロのエピソードがある。


北アメリカ大陸を単独、自転車で横断(サイクルスポーツ誌でもその旅行記が掲載された事がある)したというOさんこそが、僕をヒルクライムの世界へどっぷりと浸からせた張本人なのですが、この方・・・ダラダラ走るのでよければ一日中でもロードバイクにまたがっていられるっていうくらいタフな方で・・・


チームのメンバーがほとんど2~3台の車に乗合でレース会場まで行くのに対して、「私は輪行で行くので大丈夫です。また現地で会いましょう!」って、乗鞍も栂池も毎回松本駅からロードバイクで自走してくるような人。


外資系の製薬会社で働いていた方なので海外出張が多いのですが、ある時ドイツへ出張に行ったその足で空港から輪行で特急を乗り継ぎ、松本駅から自走・・・栂池高原の宿に20時過ぎに到着して、時差ボケの調整もできないまま翌朝のレースを走って、また結果発表を見た後自走で松本駅まで帰る。(栂池~松本駅は車でも通常、移動に2時間半くらいかかる)


当時の僕でもそれだけは真似はしたくないって思えるくらいストイックな方で、ある年のつがいけサイクルの際は、僕らが土曜日に現地エントリーを終えて、午後から本コースで自転車の最終調整をしている頃、Oさんは一人で蓮華温泉まで自転車で上って温泉に浸かっていたという・・・。


夕食の前にチェックインしてみんなと合流するなり「蓮華温泉よかったですよ~!」って言われた時のみんなの驚き・・・「レースの前日にそんな所まで上るか普通?」


Oさんの温泉好きのお陰で僕や幼馴染みのK君は、毎年GWになると岐阜や長野に出向いてドライブや自転車のトレーニングがてらに温泉巡りを楽しむようになる。


しかし蓮華温泉だけはタイミングが難しく、GWだと途中から雪深くなって車や自転車では近付けないのである。


つがいけサイクルの時期(6月の2週目)も積雪の多い年だと蓮華温泉は途中から雪で進めなかったりする。


だから僕は未だに自転車で蓮華温泉に辿り着いた事が無くて、いつか行ってみたいと思っています。



出発して間も無く雷鳥坂の始まりです。


笹藪も混ざっていますが、ここからはハイマツがメインの灌木帯(かんぼくたい)。



さらば天上の楽園!



向こうの丘の中央にケルンが立っているのが見えますか?


あれが先ほど通過した白馬乗鞍岳の山頂(三角点付近)です。



運が良かったらこういうハイマツ林の途切れた場所で雷鳥の家族と出くわしたりするのですが・・・今回は出会えそうもありませんね。(乗鞍岳山頂付近で撮影した雷鳥は後で写真をチェックしていて初めて気付いたので、この時点で僕はまだ雷鳥に出会えていないと思っている)



再び歩き始めて20分で身体に異変!


両脚の大腿四頭筋と大腿二頭筋が同時に攣ってしまったのだ。


まだ白馬大池山荘からこれだけしか歩いていないのに両脚が攣るとか・・・参りました。



ちなみにここまでかなりの余力を残して歩いています。


ここ最近のスケジュールが密だった事に加えて昨夜の睡眠時間が少なかった事はともかくとして、スタミナの消費とか・・・身体のマネジメントは十分やっているので、現状においてはベストな状態ではあるはずなのですが・・・。


とりあえず面倒臭いので両脚が攣ったまま歩く事にしました。


激痛ですけど放っておけばスッと引く事もあるでしょう。(痛みに耐えながらなのでスピードは遅くなる)


どうしても痛くて動けなくなったら両脚の筋肉を握り潰す勢いで無理矢理張りをほぐします。(笑)



そろそろ『船越ノ頭』に到達します。


画面左に栂池高原スキー場が見えているので、手前が自然園です。


それにしても両脚を庇いながら歩くのは意外に疲れます。(曲げても伸ばしても攣るので)



ガスっているので一瞬はヒンヤリしますが、『蒸し暑い~ヒンヤリ』にコロコロと切り替わるので、これも攣った両脚には刺激が強いのです。



振り返ったらさっきまで歩いていたところが白馬乗鞍から見えていた尖ったピークだと判ります。


写真右下には・・・



栂池自然園とスタート地点のビジターセンターが見えました。


よく見たら自然園の木道も見えています。


この写真を撮影した時間は12:24で、観光組はまだ自然園を歩いていて・・・ちょうどビジターセンターに戻るくらいのタイミングだったそうです。(12:39に栂池ヒュッテでソフトクリームを買って食べていたそうなので)



写真左上が『船越ノ頭』と思われます。



稜線を歩く道の新潟県側はこんな感じでどこまでもガレた急斜面。


一見こんな斜面を転げ落ちたって死にやしないと思うかも知れませんが、こんな程度の斜面でも一度ガレ場が崩れて滑落し加速してしまったら、あっという間に数百mは転がり落ちて性別も判らなくなるくらいの損傷で死亡する事もあるそうです。(筋肉の少ない人などは首や手足が千切れてバラバラになる事もあるとか)



『船越ノ頭』(標高2612m)に到着しました!



時間は12:30ジャストです!


黄色い花はニッコウキスゲかな?


ここから栂池自然園までの標高差は六甲山頂から芦屋ロックガーデンの登山口を見下ろすようなものでしょうか?


しかしまぁ、歩く距離も絶対的な標高も違うので、疲労度は比較になりませんよね。




小蓮華山の山頂がガスってよく見えません。


ダラダラとした緩やかなアップダウンの連続に見えますが路面は良くないので・・・まあまあ疲れます。



雲が少し晴れました!


小蓮華山の山頂が薄っすら見えてきましたね。


稜線を歩いている人がいるのは心強いです。


ペースメーカーや目標にしながら歩けます!



一人で歩いていると谷の下から吹き上げてくる冷たい風とガスに妙な不安感や恐怖を植え付けられてしまうので、目印になる登山者の存在はありがたい!



まだ山頂ではありませんよ!



また両脚が攣ってきました。こんなところで悶絶していたら白馬岳の山頂なんて到底登れません!


ちょっと不安になる。(汗)



小蓮華山の山頂は雲の中。


しかしあと少しである事は間違いない!



山頂がやっと見えてきた!


思っていた以上に小蓮華山の稜線が長い!


サクッと山頂に到着しないものだろうか?(笑)



今度こそ小蓮華山山頂か?




「何っ?ま・・・まだ登るの?」(笑)



ん~っ。きっと向こうの雪田のある方が山頂かな?


しかし両脚を労わりながらここまで休まずに歩き続けたらさすがに疲れました。



白馬大池山荘からここまで1時間半もかかりました。


ここで補給食のゼリーを頂いて、更に両脚をストレッチ&マッサージする事にしました。


小蓮華山なんかでしんどいなんて言っていたら白馬岳なんて登れるんでしょうか?


そして実際のところ、この後姿を露わにする白馬岳の上りは想像以上に凶悪なラスボスでした。(笑)


いよいよ次回、登山初日のクライマックスです!

2021年8月28日土曜日

後立山連峰縦走の旅7月26日(月) ~その3~ 天上の楽園『白馬大池』の真実と過去への想い

 


白馬乗鞍山頂から少し歩くと・・・



向こうに見える船越ノ頭(小蓮華山の稜線ルート)方面からなだらかな雷鳥坂を下って右へと目で追っていくと・・・



来た~っ!


ずっと憧れていた白馬大池!



標高2379mにある湖(池)とその水面に浮かぶように建っている山荘。


初めてその存在を知ってから25年の時を経て、今ようやく来ることができました。


ずっと一度は訪れてみたいと思っていた天上の楽園です。



しかし楽園への道程は険しいものです。


ここから湖畔までは古の火山活動で飛んで来た火山弾がゴロゴロ転がっているので、やはり岩から岩へ飛び移りながら歩くエリアです。


そもそも白馬大池は火山弾に堰き止められてできた池だとかって話で。


地味に体力を削られる道です。(ミスをすると足首を捻ったり怪我をします)


こういう場所は普通に歩きたい!


またしてもワガママ意見が爆発です。(笑)



じゃあ岩の無い所を歩けばいいじゃない!って思う人もいるかも知れませんが、この写真をよく見て下さい!


緑に生い茂っているのは芝生ではございません!ハイマツです!


ハイマツ林の中を歩けるものなら歩いてみて下さい!


きっと10mも進もうものなら後戻りする気力すらなくなりますから。



船越ノ頭方面より向こうは雲に覆われていますが、今のところ天候が荒れる気配はなく、むしろジワジワと太陽の光に照らされて暑いです。



そしてとりあえず白馬大池山荘までが遠いです。



おっ!小蓮華山の山頂が顔を出しました!


白馬岳はその更に向こうです。


まだまだ遠いなぁ~!



他の登山者(ハイカー)が「ここって生物とか棲んでいるのかな?」って話をしていたので、「魚はいないみたいですけど、サンショウウオなら生息しているみたいですよ。」って教えて差し上げたら、「えっ!そうなんだ?どこかにいるかなぁ~。」ってキョロキョロしていました。


せっかくこんな所まで足を運ぶんだから、あれこれと下調べはしてこないとね!(笑)



やっと到着しました!


岩場の道は狭いので行き交う人たちと譲り合いをしないと歩けません。


意外と大変な道程でした!


ここまで片道3時間っていうのも解らなくもない感じがします。



今回僕は2時間で来ましたので、このペースだと往復で3時間少々はかかる見込みです。


でも生意気な若造だった頃の僕なら自然園からここまで1時間20分もあれば間違いなく着いていたと思うので往復2時間は不可能ではないと思います。


あの当時に戻って「往復5時間以上かかるらしいから無理やって!」と言っていたチームメイトともう一度議論し合いたい気分である。(笑)


ええ・・・割りと根に持ちやすい性格なのでシロクロはっきりつけないとモヤモヤします。(笑)


もしも当時の初代『チームユーロ』のメンバーが再結集するような奇跡が起こったなら、この件は笑い話として是非解決したい。


まあその前に当時の僕が余りの絶望感から感情的になってしまった事で、意味の解らない誤解に誤解が重なった件を解決したいものだ。


当時神戸に有名なサイクリングチームが無くて、学生だった僕を筆頭に社会人も含めた素人ばかりで立ち上げたサイクリングチーム。


立ち上げ当初で既にマウンテンバイクで平地を時速73.6kmまで引っ張るスプリント力のあった僕と、単身北アメリカ大陸を自転車で横断した事のあるOさんの粘りのあるヒルクライム力で、それなりにレースを走れるメンバーは揃っていたのです。


それを7年かけて走るのが遅かったメンバーもそこそこの成績が出せるようになり、当時の兵庫県では無敵と言い切れるメンバーも3人に増えて、遠征先に行けば他府県の違うチームの人がわざわざ自転車を見かけてあいさつしに来てくれるくらいにまでなって・・・


少しは他人の記憶に残るようなチームに育てたという自負はあります。


そのチーム内の均衡が崩れ始めたきっかけは、まず僕が大学卒業前にヨーロッパ行きが白紙になって急遽就職活動をした辺りから。


しばらくは走行会に集中できなくて一緒に走れる頻度が減ってしまった事。


更にこの頃の僕は健康診断にて「心肺機能に無理をかけ過ぎて左室肥大」と診断され、ドクターストップがかかっていたので、こっそりとリハビリレベルで走っていました。


しかしこの年は間も無くポートアイランドの第二工区でレースが開催される。


地元神戸で初めて開催される自転車ロードレースに心が震えた。


当然狙うのは優勝しかない!


「これは俺たちの為に開催されるようなレースやで!」


どんな強豪選手が来ようとも地元のレースだけは絶対に勝たせる訳にはいかない!


「チームユーロここにあり!って証明する大事な試合やで。みんな死ぬ気で走ろうな!」


そうメンバーに言って挑んだレースでした。


僕のチームの晴れ舞台になると信じて当時お世話になっていたプロショップの店長も川西から応援に来て下さいました。


チームエンデューロには件の兵庫県最強メンバー3人と補欠に僕の元教え子だった大学生が1人の計4人でエントリー。


それとは別に個人のロードレースにもエントリー。(複数参加可能となっていたので)


このエンデューロには並々ならない執念があった。


時は遡って・・・99年鈴鹿ロードのチームタイムトライアルで鈴鹿サーキット3周のタイムを競ったのだが、僕は24分というタイムが表彰台に登れるボーダーラインだと考えていた。


作戦では3人の中で一番平地のスピードが速いのが僕だったので、最初の2周は僕が全力で引き続け、ラストの3周目を2人にローテーションしてもらいながら速度を維持してゴールを目指してもらう予定だった。


そして僕は1周目を7分50秒、2周目を7分20秒のタイムで引っ張り、十分な貯金を作ったので後は二人に任せて・・・僕はその二人に千切られないようにだけ必死について行くギリギリの力を残して託したのだが、ホームストレートからシケインまでの登りで突風に掬われてO君が落車!


上りとはいえ時速54km前後での落車だったので、走行復帰に時間が掛かってトータルタイムは25分を大幅に越えてしまった。


せっかく最初の2周で自分の命をすべて燃やし切って走ったのに、全国区での表彰台の可能性をふいにしてしまったショックは大きかったが、それ以上にアクシデントである以上は誰も責められないという辛さで、これ以上ないくらいの辛酸を舐めたレースだった。(実際に優勝チームは22分30秒ほどで、そこには少し及ばなかったかも知れないが、少なくとも3位だったチームの24分02秒ってタイムには余裕で勝っていたので、いずれにしても悔しくて悔しくて怒りのぶつけどころに困っていた)


以来、その時の雪辱を晴らす事ばかりを考えていた僕にとって、この地元で開催されたレースのエンデューロを完全優勝する事は絶対だと思っていました。


ところがこの大会のクソ過ぎたことに、レース当日になってまだスケジューリングができていないという不始末。


僕は午前中に個人競技を消化して、午後にエンデューロをするものだと思っていたら、朝一でエンデューロから始めます!って案内が流れ・・・


ショップ店長からは「北陸の某チームに気をつけて!個人個人の能力も高いうえに勝つ為なら手段を選ばないチームって評判だから。」ってアドバイスを受けていたので、僕が第一走者を引き受ける事にしました。


チームエンデューロは混戦する事を嫌うチームが多いので、スタート直後がハイスピードになる事が多い競技なんです。


読みは的中!


スタートするなり時速55~60kmのペースで先頭グループが形成され、200チーム以上いたはずなのに、1周目で先頭グループは30名ほどに絞られる。


そこから徐々にスタミナのない選手が千切れて行き、3周目が終わる頃には北陸の某サイクリングクラブのAチームとBチームと僕の3人だけしか生き残ってなかった。


そこで4周目に入るタイミングで僕が某チームの2人を刺し返して一気にトップに躍り出る。


この後選手交代しても順位が変わらないように僕は必死に逃げて距離を拡げる。


そして5周目に入る所でピットに入りヒデさんに交代。


ところがヒデさんが謎の不調で順位を落として1周のみで帰還。


次に出走したO君も不調で2周だけ走って帰還。


僕は全力で4周走ったからまだ乳酸が抜けていなくて、やむを得ず元教え子のK君に代走してもらうが、彼は力不足過ぎて一気に順位を落としてしまう。


もう悔しいとかって感情は遥かに通り越して怒りしかない状態。


体調不良なんて言い訳が一番聞きたくない話で、どれだけ体調不良だったとしてもレースの瞬間には限りなく100%の走りができてこそレーサーだと思っていた僕には、アクシデントで落車したとかではなく、体調不良を理由にベストを尽くしてもらえなかった事に困惑しかなかった。


よりによって僕が絶対の信頼を置いていた仲間が2人共だ。


「なんで俺らがあんな遅ぇ奴らに負けなきゃいけねぇんだよ!」


まるで悪夢を見ている気分だった。


それならそれで最初に体調不良だからって言ってくれていたなら僕は、エンデューロではなく個人のレースの為に脚を温存して余計なエネルギーを使わなくて済んだのだ。


この3人でなら夢を叶えられると信じていた僕の気持ちはこの時粉々に打ち砕かれる。


その上元教え子の不甲斐ない走りに観ていられなくなって、怒り狂った僕はまだ回復もしていないのに「おい!代われ!俺が走る!」って再び出走。


自分本来のスピードを維持して走ったら今度はたった3周で乳酸が溜まってしまう。


そのタイミングで応援に来ていたチームメイトが血相を変えてピットに入れと言うので、致し方なく再びK君にバトンを渡して自転車を降りたら・・・


「大ちゃんヤバいで!レースのエントリー開始してるって!急いで招集場所に向かって!」


休む間もなく走って向かったら、僕の出場する予定の個人ロードレースが、エンデューロが終わり次第出走するとかで最終エントリーを終えたところだった。


「すみません!僕もこのレースに出る予定だったんですけど・・・。」


「ああ、もうエントリー確認を終えたので残念ですが不出走ということで・・・。」


「はあ?ちょっと待って下さい!今そのエンデューロを走っていたのでそんなの無理に決まっているじゃないですか?」


「そう言われましても・・・。」


「もうええわ!本部に掛け合って来るから!」


丁度心配して見に来てくれていたショップ店長と一緒に大会本部に直談判。


「そもそもレースのスケジュール調整が当日になってもできていない大会側の問題やろ!だったら何で複数レース参加可能とか参加要項に書いたんじゃ~!」って僕も店長もぶち切れで猛抗議!


そしたらその場で僕の出走は認めてもらえたものの、そんなやり取りの間にレース開始2分前になってしまった。


慌てて走って自転車を取りに戻り、スタートラインに向かうが、200名近くいる選手団の一番後ろに並ばされる。


そして間髪入れずにカウントダウン。


心も身体も全然準備ができてないままスタート。


そしてスタートしてからは『何しに参加したのか判らんような選手』がコース上に広がって走っているので前に出たくても邪魔でなかなか前に出れない。


一周4~5km程のコースをたった3周で争うレースだったから、スタートからいきなり先頭のペースは速いのである。


ただでさえ乳酸が抜けきってない身体にムチを打って時速65~68kmのスピードを維持して怒涛の如く先頭集団を追いかけ続ける。(ツール・ド・おきなわの頃を思い出すくらい残りの力を全て出し切ったと思う)


3周目に入ってようやく先頭集団に追いつき、集団内で脚を休ませてもらおうって思った瞬間誰かがアタックを仕掛けた。


「いや、タイミング早いって!俺、回復する暇ないやんか!」


結局そのままの勢いでゴールスプリントの態勢に持ち込まれて・・・


最後にスプリントを争う脚を残せなかった僕は「ちくしょ~!」って大声で叫び、泣きながら集団ゴールでレースを終えた。


あの時に僕のロードレーサーとしての時間と心は完全に停まってしまった。


そこで一度死んだと言っても過言ではないくらい、心の糸がプツリと切れたのである。


もちろんチームメイトの事は恨んではいないけれど(むしろこのメンバーで大きな大会にて早く優勝を飾りたかった)、当時の大会実行委員に対しては未だに恨みを忘れずに抱いている。


地元のレースで勝つっていう事は万国共通で選手の夢である。


そのチャンスをあのお粗末なスケジュール管理でふいにされた事を、未だに許す事ができないでいる。


結局その年は地元レースで勝てなかったショックでつがいけサイクルに出場するモチベーションがガタ落ちでキャンセル。


そのうち「レースも走っているけどメカニックとしても腕がいい。」って僕の噂を聞いた、某自転車販売のチェーン店の社長から「うちで働かないか?」って声がかかり転職。


素晴らしい先輩に恵まれてすぐに店長業務を覚えて、素晴らしいお客様にも恵まれて近隣のマダムたちからご指名で修理や販売の仕事をもらえるようになる。


しかし土日祝は基本的に営業日なので、チームの走行会等はキャプテン代理を立てて、サブも2人つけて任せていました。


僕は社長から「レース活動も仕事の一環として認める!」「東君が日本一をまだ諦めずにレースをするというなら応援する!」とまで言って頂き、いずれは土日祝の休みも取れるように便宜を図ってくれると約束してくれたので・・・


「俺が復帰できるまではチームの連帯感を維持して、必ず全員の実力差が縮まってチームプレーができるようになって待っていてくれな!俺はこのチームで日本一になりたいから!誰一人選手登録もしていないこの野良チームで日本一になる事が、今の俺に残された最後の夢やから!」そうやってキャプテン代理とそのサブメンバーに想いを託していたのです。


結局僕の職場は尊敬していた先輩2人が退職して、代わりに店長となった僕の監督係として本社から送り込まれたスーパーバイザーがこれまた意地悪な人で、「社長がどう言おうが社員が土日祝に休みを取れるなんて思うなよ!」って言われ、僕は睨まれてしまう羽目に。


そのチェーン店は海外のスーパーをビジネスモデルに会社を大きくしようとしている節があって、「接客に無駄な時間をかけるな!」「効率よく商品を売りさばけ!」と会議の度に言われていましたが、僕の店は売上も維持していたし、それ以上に接客で手を抜くのは失礼だろう?って思っていたので、よく他店舗の先輩店長たちと「そんなロボットみたいな接客で売ったら売りっ放しなんてありえないよね。」って愚痴を言い合う始末。


それがまたスーパーバイザーには気に入らなかったらしい。


更に僕が業務中に近所のマダムたちと世間話をしていたり、修理の説明や自転車の案内に時間をかける事が輪をかけて気に入らなかったらしく、実際には30分程度の接客であっても「あいつは一人の客に1時間~1時間半も接客時間をかけて利益の効率を意識していないから店長には向いていない!」等とある事ない事難癖付けてすべて社長へ報告。


結果的に社長の目の前でそのスーパーバイザーを殴り飛ばして仕事を辞める事になる。


仕事の事だけでなく、僕のレース活動やチームの仲間の事まで、それまで7年間どんな想いで築き上げてきたのか、何も知らない癖に上から偉そうに言われてバカにされた事が何よりも許せなくて、本当ならその場で八つ裂きにしてやりたいくらい憎くて殴り飛ばすに至った訳です。


それだけ自分のチームと仲間を愛していました。


それなのに僕が復帰してから、チームの様子がおかしい事に気付いたのです。


走行会の参加率が極端に悪くなっていたのです。


その年のつがいけサイクルは人生で初めてタイムを更新できずにショックを受ける。


中学生の頃の陸上競技からタイムを競う競技をずっとしてきて、12年に渡り記録会やレースでタイム更新が滞った事が無かったのです。


その時も全力で走ったのに、生まれて初めて更新はおろか遅くなってしまったのです。


それまで走れば必ず記録を塗り替えてきた事が一つの大きなモチベーションだったので雷に撃たれたようなショックを受けました。


それもこれまで土日祝日と仕事でチーム練習もできなかった僕は10日前から長野県入りして本戦まで毎日つがいけサイクルのコースを2~3本走っており、その際に1時間01分台のタイムも出していたので、本戦ではいよいよ1時間切りも夢じゃないと思っていました。


ところが本戦での僕のタイムはまさかの1時間07分台!


疲労が溜まっていたにしてもそれは無い!って思えるくらいの平凡なタイム。


ここで心の中の何かが大きく弾けたのは間違いないです。


当時はその怒りに加えてチームのメンバーの息もバラバラだったので以前のチームワークの良かった頃を思い出す度に荒れていました。


何度もキャプテン代理とサブの2人を呼び出しては、走行会の参加率が悪くなってメンバーがバラバラになった事の責任追及をしたり、元のチームに戻せ!と当時の僕は怒り狂っていました。


キャプテン代理にはヒデさんやO君のような格上の選手をリードする自信が無かったらしくダラダラとしている間にチームメンバーがバラバラになったというのである。


少なくともキャプテン代理には脚は無くてもカリスマがあったから僕も任せたし、他のメンバーの誰も立候補しなかったから全員一致でキャプテン代理が彼に決まったのである。


それが僕の知らないうちにサボり癖がついて、サブを任せた二人まで一緒になってサボっていたというのだから、そりゃみんなバラバラになるわなぁ~って話で・・・


それで僕のこれまでの想いとか、仕事を辞めてまでチームに戻って来たのにこれかよ!って気持ちから徐々に他のメンバーにまで怒りの感情が込み上げて来て、「3人だけではなく全員の連帯責任だと思うから一度集まってミーティングだ!」ってメールをしたのです。


ところが何人かのメンバーが僕のメールに逆切れして集まることなく解散!


確かに感情的にはなっていたけど、誰も僕の気持ちや想いは解ってくれなかったんだ・・・


そう思って当時の乗鞍出場を最後にメンバーと縁を切り『全てを忘れる為』神戸を離れて1年間の放浪生活を始め、毎日自分の死に場所を探しては車であちこちの峠に赴いていたという時系列。(正確には神戸のレース後から放浪生活に入っているのでその生活を1年としている。結果的には祖母に余計な心配をかけ続けるのが辛くなって神戸に戻って再就職した)


大きな目標を持ったことのない人には理解できないかも知れないけれど、目標や夢を失った瞬間の脱力感とか、自分のすべてを失った喪失感って尋常じゃないんですよ。ずっと心の傷がえぐられたままなんですよ。


自転車レースを走る事、チームと仲間たちは当時の僕にとって生きる全てだったんです。


良くも悪くも栂池や乗鞍に来ると、いつも当時の事が走馬灯のように頭を過ぎるんですよね。


まあそうは言っても当時のメンバーと向き合える心の準備はとっくの昔に出来ていて、キャプテン代理を任せた彼は今でも当店の客として夫婦で応援してくれており、時々店に遊びに来てくれているし、サブの一人は開店準備の時に手伝いをしてくれて・・・開店して間もない頃にはO君も店に顔を出してくれたり・・・


何よりヒデさんが新生チームユーロに戻って来てくれた時はメチャクチャ嬉しかったけど、僕がもう以前のように走れなくなっていたので逆に申し訳ない事をしてしまったというか・・・きっと今度はヒデさんを悔しい気持ちにさせてしまったと思っている。(ヒデさんは僕の元々の実力を知っているので、走れなくなった僕を他のメンバー等からとやかく言われバカにされているのを内心イラついていたと思うから)


叶うならまた当時の仲間と集まってわだかまりを取り除きたいというか、笑って話せるようになればいいなと思う事は多い。



山歩きってただ景色が綺麗だな~って歩くものではなくて、自分の人生のあれこれを振り返って反省したり・・・今後を考えたりする時間だったりする訳で、そういう意味でもこの白馬大池って場所は自分にとって感慨深い場所なのであります。


とりあえずザックには1ℓの水とウィダー系のゼリーが3つしか入っていないので、ここでペットボトルを2本購入する。



ポカリスエットと綾鷹・・・2本でしめて1100円也!


「高っ!」とは言いませんでしたが、結構ビックリしました。(笑)


天上の楽園価格?


穂高岳山荘ですら1本400円!(槍ヶ岳は500円だったが)


やはり山の上で冷たくて美味しいドリンクにありつこうものなら、このくらいの価格は覚悟しないといけない訳ですね!


ここから白馬岳山頂までは、ヤマケイのタイムレコードでは3時間20分となっているが、間も無く11:45です。


休憩時間も込みで15:00までに到着できるだろうか?


では次回お楽しみに!

2021年8月26日木曜日

後立山連峰縦走の旅7月26日(月) ~その2~ 想定外の連続だった白馬乗鞍岳!

 


初めて歩くルートなので良くわからず登っています。


こんな木道ばかりだとありがたいのですが、所々岩がゴツゴツだったりぬかるんでいたりと、とりあえず言える事がひたすら登りの階段です!


白馬乗鞍岳への道程・・・


「思いのほか急登じゃないか!」って感想からスタートとなった。


登り始めて4分・・・



これまた僕のジンクスになってきているが、早速ヒキガエルに出会う!


カエルに出会う事は『無事に帰る』って事に繋がるので験担ぎにはなります。


ありがとう!カエル君!


念の為に書いておきますが、山でヒキガエルに出会っても絶対に触らないで下さいね!


『ガマガエル』と呼ばれることもあるカエルで、耳線と背中から神経系や循環器系に影響を及ぼす毒が分泌されるので、触ると炎症を起こし、誤って口や体内に入ると死に至ることもあります。



登山開始17分で既にモチベーションダウン!


登り始めってなんでこんなにつまんないんだろう?(笑)


似非(エセ)登山家のワガママ大爆発!


大自然に感謝して登ろうという謙虚さを持てないまま登った今回、天狗原(てんぐっぱら)までの登りは苦痛でしかなかった。


ちなみにこの写真を撮影した直後、左手の笹藪の中で人間と同じくらいの大きさ・質量と思われる生物が、僕の気配に驚いて逃げて行くガサガサ音と振動がした。


姿をハッキリ見た訳ではないが、恐らくクマと思われる。


ここ数年全国的にエサ不足でクマの動きが活発というか・・・人間の生活域にまで及んでいるので、これから秋にかけては更に警戒が必要になるんじゃないかと思われます。



クマと思われる気配が逃げた方向には栂池自然園がある。(写真右下)


まあさすがに人を襲うような感じではなかったので、観光組に知らせる程でもないかぁ~って思いながら歩を進める。


頭の中は『怠い!怠い!怠い!』が(鬼滅の刃の)煉獄さんの「美味い!美味い!美味い!」くらいの大音量で響いている。


僕は足だけで登るルートが本当に退屈で仕方ないのである。



そして登り始めて26分で『銀嶺水』(雪解けの冷たい飲料水が汲める水場)に到達!

ここまで来ればまもなく天狗原である。


そしてよくわからないけど傾斜がなだらかになってきたので、ここからは呼吸を整えて登れそうだ。



天狗原にはまもなく到着しそうです!

向こうに見える雪渓(雪田)の上が白馬乗鞍岳の山頂です。


笹藪の他にハイマツ林、ダケカンバ林が織り交ざった天狗原。

そろそろ雷鳥とかオコジョとかを期待しても良いエリアに入って来たのかも!


目の前に雪田が現れた!

アイゼンは持って来ていないが、あれくらいなら何とかなりそうだ!


見た目以上に凍っていて、先ほど登って行ったパーティーにも滑って転んだ人がいた。

この後すれ違った人も盛大に2度滑って転ぶ。

僕は出来るだけシャーベット状の箇所を探りつつ、爪先を立てながら足場を作って登って行った。


天狗原に到着~っ!

スタート直後に10m標高を落してから登り返すので360m程一気に登りました。

正面の人は両手を挙げて立っているが、誰かに銃口でも向けられているのだろうか?(笑)

タイムレコードではここまで1時間10分のところを、今回は45分で登ってきたので、まずまずのペースだと思います。

しかしまあこれが僕の『若造の頃』なら間違いなくその半分足らずのタイムで登っていたと思えます。

ここから白馬乗鞍までどんなルートで登るのだろう?って向こうの斜面を見てビックリ!

あの雪渓(雪田)のど真ん中をぶち割って抜けるように、狭い岩場の急斜面のようなルートが見えます。

そこを様々な色(登山者の服の色)が移動しているので、間違いなくあれが登山道。

「マジか・・・ここに来てまさかの直登ルートかよ!」

周りにいた登山者に聞いたら「そうですよ!あそこから直登ですよ!」って・・・

視覚的なプレッシャーは半端なかった。


ここからはしばらく木道を歩きます。


栂池自然園や尾瀬のような木道と風景です。



ここでは水芭蕉を観れないのかな?


写真の花はヒオウギアヤメ。



これは綿毛になったチングルマかな?と思ったらワタスゲでした。



そして木道の先にはいよいよ本格的な岩ゴツゴツルートが・・・


写真のように沢になっているところもあるので、足を滑らしたらえらいこっちゃです。



ここまで来るとアスレチックのようなものです。


岩から岩へ飛び移りながら向こうへ回り込みます。



段々傾斜が険しくなってきました。



とうとうスキー場のチャンピオンコース並みの急斜面が現れました。


もしもこんな大岩が落石したら死者が出ますね。(汗)



これ実際に後ろを振り返ったら垂直に感じるくらいの急斜面です。


ここで下山してくるグループと登る人たちの激しいライン取りバトルが始まったので、僕が下山グループに指示を出してルートを誘導し、お互いがスムーズに進めるようにサポート。


本来グループ内にそういうリーダーがいてもらいたいのですが、余りの急斜面で躊躇が激しい感じです。


それで僕が誘導役を買って出たという・・・



まあ皆さんご無事で下山なさって下さい!


あの天狗原の木道からたった15分でこの高度感を味わえる直登ルート!


想定外の面白さです!


白馬乗鞍岳・・・バカにしていました!


とんでもない!最高に面白くなってきました!


一応下山する人たちには天狗原の向こうの雪田が滑りやすくて危険である事なども全て伝えています。



レスキュー活動しながらも、どんどん前を行くグループを追い抜いていきます。


こういう岩場に来ると自然とテンションが上がってスピードアップしてしまいます!



更に急峻な斜面になって、複数の下山者がルートファインディングに困っています!(下山は覗き込まないとペイントマークを探せないので、高度感による恐怖心からルート探しに困る人が多いのです)


今助けに行きます!待ってて下さい!


お節介スイッチ発動しまくりの区間でした。



雪田のある向こうの斜面は緩やかに見えますが、凍った雪の上で滑った場合にあの斜度は生死に関わる危険な角度です。



岩も蛇紋岩がほとんどなので、比較的滑りやすい為みなさん慎重に下っています。


木道からここまで25分。


そのうち約10分は下山のサポートをしていたので、まあまあのペースで登って来ちゃいました。



そして白馬乗鞍岳最後の難関が近付いてきました。


雪渓(雪田)の縦断です!


このもう少し左手にルートが作られていました。



もうしばらくは蛇紋岩の大岩から大岩へジャンプしながら小走りで登って行きます。



この先でまさかのアクシデント!


滑りやすい蛇紋岩の上を走っていたのですが、一ヶ所想像以上にグリップした岩があって、そこで躓いて岩と岩の間の大穴に落ちてしまいました。(汗)


落ちた際に右脚のすねを岩の角に強打して一瞬痛みで固まってしまう。


でもまあ気合と根性でよじ登って再び走り出す。


弘法も筆の誤り!河童の川流れ!


そういう事もあります。



雪渓(雪田)縦断ポイントが見えてきました!


何人か雪の上を登っているのが見えます。



アイゼンを持って来ていない僕にこれを登れるだろうか?


こんな箇所がある事は事前情報では知らなかったので想定外!



しかし迂回路は無さそうなので行ってみるしかないよね?



一応、万が一の為のロープは用意されていました。


結局僕はロープに頼らず爪先で階段を作りながらササッと登りました。



下山する人々の中にも僕同様、アイゼンを持たない人もいたので、何人かにアドバイスをしてからお見送り!


時間は丁度11時。


栂池自然園からここまで1時間半もかかってしまいましたね。(汗)


でもまあ誰にも邪魔されずに歩いていたら、若き日の僕ならここまで50分もかからなかったと思います。



そして山頂に向かう所で雷鳥の鳴き声がしたので、慌てて声の聞こえた方を撮影!


当時はどこにいるか気付かなかったのですが、この写真をよく見たらちゃんと一番上にいましたね!


自覚は無かったものの、今回は久々に雷鳥に出会えたのです!


嬉しいですねぇ~!



皆さんも雷鳥に気付いていない模様。(笑)


遠くに白馬の街が見えていますね!



向こうの尖ったピークは小蓮華山へ行く途中の雷鳥坂~船越ノ頭付近です。

その手前に白馬乗鞍岳のケルンが見えてきました。


その右手に見える山の左下に白馬大池があります。


ちなみにあの山には名前がありません。


でも標高は2469mと白馬乗鞍岳の山頂より少しだけ高いのです。(笑)



ケルンが近付いてきました!



標高2437mの山頂に到着!


って、白馬乗鞍の標高は三角点の場所で計っていますが、このケルンの左手が最高地点で標高2456mあったりします。


一体どっちの標高が正しいんでしょうね?


スタートしてから1時間40分。


まだまだ白馬岳までの道程は長いです。


果たして僕は無事に白馬岳まで登れるのでしょうか?


そして次回はこれまで勝手に天上の楽園と思っていた場所に初めて立ち寄り、そしてそこから地獄の小蓮華山ルートへ向かうところまで書きたいと思います。