2019年7月28日日曜日

若狭ソーシャルビジネスカレッジに参加して・・・第一回6月8日~9日開催

今年も『若狭路センチュリーライド』は大成功だったと聞いています。

その実行委員でもある『一般社団法人 若狭路活性化研究所』の、代表理事をしている田辺氏が主宰する『若狭ソーシャルビジネスカレッジ』に僕も参加する事になりました。

田辺氏とは、今後僕が若狭で展開する事業を行なう上で、絶対にタッグを組まないといけない存在で、僕が若狭でやろうと考えている事を既に考えて、水面下で動いてらっしゃる人なんです。

僕がベースとする美浜町の隣、若狭町で活躍されているのが田辺氏。

僕の思想と事業計画を知った美浜町の方々に「是非一度田辺さんと会って話し合ってみて!絶対に気が合うはずだから!」と懇願され、お会いした事がきっかけで参加を決意しました。

ビックリするくらい考えている方向性が同じだったので、もっとお互いの想いや思想をすり合わせて協力したい!という気持ちにさせられた訳です。

外から来た僕にとっては簡単に思えるようなことも、子供の頃から現地で生活して観光事業に従事してきた田辺氏に言わせれば、「事は思いのほか単純ではない。」という。

地域活性化の為に観光客を誘致するにも、現地の人々が全てガツガツしている訳ではなく、むしろ過疎化と高齢化で今よりもしんどい事や面倒な事を増やしたくないという地元民の方が多いかも知れないとの事。

田辺氏は自身の色々なアイデアで他とは違う営業をしている事で、他の同業者からやっかみを受けた経験もある事から「自分だけが一人勝ちしたくてこんな事をしている訳じゃない!みんな気付いてくれよ!」という想いがあり・・・

僕はよそ者がそこに溶け込んで働かせてもらう訳なので「自分だけが一人勝ちするのではなく、地域の業者全てにメリットをもたらせる働きをしたい。」という想いがある。

それだけに信頼してタッグを組めるのではないかという、確信みたいなものはあります。

そして『若狭ソーシャルビジネスカレッジ』を通して、改めて若狭路の現状を把握しつつ、そこで地場産業を守る人々や新たな可能性を切り開こうとする人たちをこの目で見て、そこで自分の立ち位置や距離感を推し量るのが今回の目的です。

田辺氏の経営している『湖上館PAMCO』の向かいにあるセミナーハウスが今回の会場です。

第一回は6月8日~9日の2日間で行なわれました。

初日は田辺氏が『若狭ソーシャルビジネスカレッジ』を立ち上げるに至った経緯や理念、これまでに田辺氏がチャレンジしてきた事案を基に、今後の若狭の方向性を考えていこうという講義がメインでした。

参加者は子供の頃から家族と田辺氏主催の体験ツアーに参加していた人が、これからの自身の身の振り方や、やるべき仕事を見極める意味での参加だったり、名古屋でOLをしているけれど、若狭の海が好き過ぎてもっと知りたいとかって動機での参加だったり・・・

地域おこし協力隊として現地の事業に従事しつつ、自身の今後の方向性や出来る事を見極めたい参加者や、環境保全や研究の為に他府県から移住して若狭で働いている人など様々です。

面白かったのはまだ20代なのに料理人として東京や大阪、香港など、あらゆる高級料理店で修業して、結果生まれ育った若狭で何かできることは無いか?って目標を探している料理人さんや、地元の女子高生まで参加していた事。

特に地元の女子高生は、実家が梅の加工業に従事しているのですが、生まれ育った田舎町なので何が良いのか解らず、都会に憧れていたのに、その都会から来た旅行者や移住してきた人が、こぞって「若狭は素晴らしいところですね。」って言う事に「どこが?なぜ?」って疑問に思った事がきっかけで、自分の住む若狭の魅力というものを知ってみたいと思って参加したそうです。

意識の高い参加者が多いと前向きな意見も聞けて本当に面白いですよね!

とりあえず講義の前に全員マイクロバスに乗って、常神半島と三方五湖をグルっと周遊。

田辺氏のガイディングは面白かったです。

僕も旅行会社でツアープランナーをやっていた頃に、あれこれ地方の歴史や文化を調べて勉強していたのですが、やはり地元の方の話は奥が深い!

僕の知らない地元ネタや、地名の由縁など・・・もっと教えて欲しい!



常神半島は典型的な漁村の地域。

天然記念物である常神のそてつや神子の山桜など、知る人ぞ知る観光スポットはあるけども、これまで僕は知る事の無かったエリアです。

常神半島や神子、御神島の地名からも判るように、ここの地名は神様と関係が深い。



古事記や日本書紀に『日向神話』というものがある。

日向国と言えば言わずと知れた現宮崎県を指すのですが、日向国の正確な場所については諸説あり・・・

実は三方五湖には日向湖(ひるがこ)という湖があり、この地を神話の舞台とする説もあるらしいのです。

そもそも常神半島は割と近年までは道路も無くて、集落の住民たちは船か徒歩で移動していたというから驚きだ。

ある意味手つかずの自然に囲まれた奇跡のような場所ですから、どことなく浮世離れした雰囲気が神秘的なものに見えなくもない地域です。

若狭には奈良の二月堂へ鵜瀬の美味しい水を送る『お水送り』という行事があったり、人魚の肉を食べた事で不老不死になったという八百比丘尼の伝説が残っていたり、スピリチュアルスポットが意外にも多いので、日常に疲れた方が癒されに訪れるにはピッタリの場所じゃないでしょうか?


移動しながら撮影しているので上手く撮れませんでしたが、これは三方五湖の久々子湖と日本海を繋ぐ水路です。

漁船の行き交う水路にも信号機が存在するという珍しい光景ですね。


これはお隣の日向湖。

ここは丹後半島の伊根と同じような、舟屋の集落が見られる情緒たっぷりな湖です。


ここも日本海と繋がっていますが、久々子湖が汽水(海水と淡水のミックス)なのに対して、日向湖は完全な海水なので、湖内には日本海で水揚げした魚を保管する為の生け簀が多数存在しています。



日向海水浴場ですが、天候が悪いせいで暗いですね。

本来若狭湾の海はとっても美しいので、ちょっぴり残念ですね~。

この後レインボーラインを走って、梅丈岳に寄り道してからセミナーハウスに帰還。

講義では若狭の観光産業を活性化する為に、田辺氏があらゆる工夫とチャレンジをして、何となく定着したものや、他所にアイデアをパクられたものや・・・

苦労話も色々聞けて良かったです。

若狭フグの養殖は同じ若狭湾の中で随分とノウハウをパクられたらしいです。(笑)

あと当店のお客様で板前をしているK林様から「そういえば店長、若狭にうなぎの美味しい店あるの知らん?」って聞かれた事があったのですが、僕は三方湖にあるうなぎ屋はどこにでもある普通のうなぎ屋だと思っていた訳。

若狭の美味しい食材はほぼ制覇したつもりでいた訳。

そしたら違うかった・・・(笑)

僕が旅行会社時代から付き合いをしていた千鳥苑の、橋本社長の好き嫌いの問題で、僕に美味しいうなぎがある事を教えてくれていなかっただけ・・・

16年も付き合いしているのに教えてくれへんとか・・・(笑)

三方五湖のくちほそうなぎは希少なので高級ですが、このうなぎ漁も実は近年まで衰退していて継ぐ人間がいなかったそうです。

それを田辺氏のお父上が思い出したようにうなぎ漁の仕掛けを探し出してきて、試してみたら思いのほか簡単に獲れたっていうのがきっかけ。

それで失われかけた伝統漁業が一つ復活したという話。

浜名湖や浜松で食べるうな重よりは安いそうなので、僕も近いうちに食べてみたいものだと思っています。

更には三方湖で獲れるフナも非常に美味しいのだとか・・・。

知らない名物がいっぱい出てきたのでとても面白かったです。

あと観光事業に最初は難色を示していた地元漁師さんの心境の変化なども聞かせて頂きました。

シュノーケリングで獲った海の幸をプライベートビーチでバーベキューで楽しむという企画で、最初は素潜り漁を観光客に見せる事を嫌がっていた漁師さん・・・

ある時ウエットスーツから目薬をポロっと落としたそうです。

それを拾って手渡したお客様が「漁師さんは目のケアが大変なんですか?」って聞いたら、「はぁ?これはクラゲに刺された時に塗ったら毒に効くんだ。そんなことも知らねぇのか?」と漁師さん。

またある時はウエットスーツから歯磨き粉を落っことしたそうで、それを拾ったお客様が「素潜りの前後で歯磨きとかするんですか?」って聞いたら「これはゴーグルに塗ったら曇り止めになるんだよ!何でそんなことも知らねぇんだ?」と漁師さん。

都会の人にしてみたら知らない事だらけで、漁師さんにしてみたら子供の頃から当たり前だと思ってやっていた事。

都会の人たちにの反応の良さにやり甲斐を感じるようになってか、それ以来田辺氏の体験ツアーに協力的になってくれたエピソードなど、これから若狭で地元の方々と信頼関係を結んでいく上で非常に参考になるお話だと思いました。

参加者や前年度OBも交えた夜の宴も楽しかったです。

そして2日目・・・


セミナーハウスの前は三方五湖レイククルーズの船着き場。

僕も以前はバスツアーでお世話になったものです。

ちなみにここは水月湖(汽水湖)ですが・・・


最近の研究で奇跡の湖だという事が判明し、三方五湖の謎が少しずつ紐解かれている訳です。


この日はフィールドワークなので、実際に過疎化が進んでいる向笠(むかさ)という集落を訪れました。


今回のフィールドワークには特別講師として澁澤寿一先生がお越し下さいました。(写真右端)

資本主義の父と呼ばれ新一万円札に採用される事になった、故・澁澤榮一さんの曾孫にあたるまさにその人です。

農学者さんらしいのですが、山村の未来を危惧して活動もされているみたいです。

今回のテーマは『地元学』!

集落の方に道案内をしてもらいつつ、この集落の過去と現在の違いを探索します。

また集落に見られる特徴などもメモするように言われました。

ぼ~っとついて行くだけではダメです!

気になるものは全てチェック!


中には空き家や廃墟もございました。

空き家については日本各地でも『空き屋バンク』等を通して移住者を募り、地方の過疎化を防ぐ政策もあれこれ考えられてはいます。

しかし聞くところによると向笠は移住者の受け入れに難色を示している人が多くて、空き家を貸してくれるかどうかといえば限りなくNOと言われるだろうという事らしい。

実際のところ価値観も違えばしきたりや文化にも疎い都会人が移住してきて馴染めるか?って話なんですよ。

傲慢な人だったら「そんな土地のルールなんて知った事か!」と合わせようともしないはず。

何でも古いしきたりに囚われるっていうのは、聞こえは悪いようだけど、その土地その土地の自然環境や歴史的背景で培ってきた生活の知恵みたいなものもある訳で、『郷に入らずんば郷に従え』って言葉の通りなんです。

何でもそこのルールをまず知って理解を示すところからスタートしない事には、自分自身を受け入れてもらう事すらできません。

そんな話を生で聞けるのだから、今回のフィールドワークは地味だけど価値のある体験です。


この集落には神社や祠、御神木などが点在し、周りの山々にも神様を祀っています。

それだけ自然の驚異や自然の恵みと隣り合わせに、長年続いてきた集落なんでしょう。


ここは国津神社。


3つの社殿が並ぶ珍しい神社です。

ここで行なわれる神事『王の舞』は室町時代から600年以上続いているとかって話ですから、本当に歴史の長い集落である事が解ります。

以前は流鏑馬もしていたのだとか・・・

人口が減った事により規模を縮小したのでしょうね。


台風で折れたというムクノキの大木は樹齢300歳以上だという。


この石碑・・・誰が立てたんだっけかなぁ~。

結構有名な人だったような・・・やばい!忘れた。(汗)


不思議な屋根の家でしょ?

あれって茅葺屋根にトタンをかけているだけ。

今では茅葺屋根を直せる職人さんがいないので、維持するための工夫って奴ですね。

この集落では昭和38~48年頃を境に茅葺屋根の家から瓦屋根の家に変わっていったそうです。


ボロボロの廃墟になりかけています。

三角屋根の所に文字が書かれているのが判りますか?

ここの集落の古い建築物には多く見られましたが、『みず』と書いてあるみたいなんです。

そもそもここの集落は自給自足の究極まで実践していた集落です。

良い集落(生活環境)とは海、山、川に恵まれた場所であり、光と風、土と水の条件が揃っている場所が尚良いと言われています。

この向笠の集落は3方を山に囲まれていますが、山を越えた向こうにある世久見の集落(漁村)とは物々交換の関係を結んでおり、集落内に世久見田と呼ばれる田んぼを作って、彼らの米や野菜を用意する。

そして代わりに魚介類を頂いていたそうです。

そして集落は山の東斜面なので光に不足する事もなく・・・

高瀬川沿いに発展した集落なので水にも困らない。

へしこや梅、さつまいもなどの保存食もあるので、食べ物に困る事がない。

そして日本でガソリン燃料が一般化されるまでは、この集落には炭焼きの職人が30人位いて、炭焼き小屋で作った炭や薪を燃料としていたそうなので、ここの集落で生活するうえで、実質お金を使う必要が無かったそうです。

都会は全てお金で解決します。

しかし金銭ですべてを判断しない価値観が里山には存在します。

収入を得る為に稼ぐのではない仕事・・・

年金がこの先どうなるか判らない日本の未来には、再び必要になる日が来るかも知れない先人たちの築き上げた価値観です。

里山の生活文化では、自然や文化を守る習慣や、少しのお金で笑って暮らせる生活技術を学べる場があり、自分の価値観で暮らしを楽しむことができる訳です。

ご近所さんとの距離感も近いので、気にかけてくれる友人が複数近くにいてくれて、いざって時には安心できるし、住んでいて気持ちが良いかも知れません。

都会で暮らす我々が忘れてしまった人間らしい生活です。


立派なお屋敷の櫓の下にツバメの巣が・・・


ちょうど梅の収穫のシーズンです。


ここの梅の木はやや背が高めです。

これは害獣である鹿に実を食べられないようにする為に、梅が進化した結果らしいのです。

自然って面白いですね。


ここは高瀬川の支流の一つというか・・・湧水池です。

水源への感謝の気持ちが伝わります。


桑の木に実が生っていました!


桑の実は赤い実よりも黒っぽくなった実の方が熟して美味しいのです。

ちょっと不思議な味と食感ですが、付近の子供たちにとっては自然のおやつになっています。


これは防火栓です。


蓋を開けるとこうなっています。

こんな防火栓が集落のあちこちにあって、ある意味セキュリティ意識の高さが窺えます。


長閑な里山の風景です。

ここには都会に溢れた『のし上がる為の出世欲や、他人を踏み台にする醜さ』などは無縁のように感じます。


僕は子供の頃からの教育とか家庭環境もあって、出世欲とか所有欲とか達成欲とか欲の鬼みたいに育ってきた人間ですが、石田三成の『大一大万大吉』という言葉に出会ってからは、考え方が随分と変わってきました。

最近は特にそれを感じるようになっています。

成功したい欲求は今でもありますし、夢や目標も沢山あります。

でも以前ほど利益とか名誉とかにこだわらなくなってきたというか・・・

商売人なので利益にはこだわらないとダメなんでしょうけど、これまで僕の期待に積極的に応えてくれるスタッフに恵まれなかった経緯もあって、何となく僕の中で1周回って価値観が違う領域に入ってしまったというか・・・

資金繰りとか、生活に振り回されない生き方に興味を抱くようになってしまったというか、それで誰もが満足のいく生活や人生を謳歌できるのなら幸せだろうな・・・と強く思うようになってきて・・・

それが僕の新規事業の理念にもつながっています。


ここのお寺は保育園としても活躍していたそうです。

この向笠の人口は、ピーク時で160戸で約500名以上の村民がいたそうですが、現在は87戸あってそのうち10戸は空き家。

221名の現人口の内、高校生以下の人口は僅か30名!

65歳以上の高齢者は108名と、そろそろ限界集落の仲間入りが近い状況。


フィールドワークから戻ってからはグループに分かれて今回の調査で分かった事をまとめて発表会を開きました。

僕も早く若狭の生活文化に馴染めるように頑張ってみます。


それはそうとこれは帰りに小浜の箸匠せいわに立ち寄った際に頂いたサバ缶!

メッチャ美味しかったんですけど~!

箸匠せいわの木越社長も旅行会社時代からのお付き合いがあるので、僕の今後の目標とか方向性を相談して、アドバイスを頂く仲です。

若狭全体に良いコミュニティを築いていきたい僕にとっては心強い味方の一人です。

とりあえず第一回はこれで帰りました。

現在の心境

僕が『自転車好房ラルプデュエズ』を立ち上げて間もなく7年となるのですが、この7年で色々ありました。

改めて考えてみると、僕の自転車への愛情と、現在の自転車業界の商業的スタンスはどう修正してもリンクしない事を確信してしまい・・・

逆に言えば・・・そのお陰で売りたい自転車が随分絞れたなぁ~って思う訳。

だっていくらメーカーや卸業者との取引やお付き合いだからって、お世辞でも良いとは思えない自転車を毎年の契約更新で買わされて、それを捌く為にお客様を騙して売るなんて詐欺行為はしたくないでしょ?

僕はどこのメーカーであろうが、本当に楽しませてくれる自転車の登場をずっと期待している訳で、それがOEMだったり製造工場が一緒だったり、高級ブランドなのに廉価商品を作ってみたり・・・クオリティなんてあったもんじゃなかったり・・・期待するだけバカみたいな月日を味わっている現状です。

絶望する事の方が多いのだけど、それでも世の中にはまだまだ面白い自転車は少ないながらもあったりする訳です。

価格は控えめなのに、自転車のポテンシャルを誰にでも引き出しやすい!

しかも重量が軽くて乗り心地も悪くない・・・初心者の味方のような自転車。

そんなブランドの代表格が『コーダーブルーム』ですし・・・

何でこんな乗り味の自転車を実現できるんだ?と毎回驚かせてくれる『エヴァディオ』とか・・・

間違いなくエヴァディオの自転車を乗りこなせば、レースで表彰台を狙えないはずがないと言い切っても良いくらい、他のどんな高級ブランドと乗り比べても段違い。

次元が違い過ぎて、わざわざリスクを背負ってまで取り扱いブランドを増やす意欲すら湧かなくなるくらい・・・エヴァディオはすごい。

そして僕が若い頃から最も憧れて、いつか乗りたい自転車と崇めていた『デ・ローザ』も今となっては職人気質のブランドではなく、ミーハーな高級ブランドに成り下がっている訳で・・・

水面下でそのデ・ローザを脱退して『BIXXIS(ビクシズ)』を立ち上げたのは、紛れもなくウーゴ・デ・ローザの後継者であるドリアーノ・デ・ローザその人。

BIXXISのチタンバイクもスチールバイクも乗ってみましたが、最新の素材で作ったロードバイクなのに、乗り味は90年代の良かった頃のロードバイクそのものでした。

まだメーカー・ブランド毎にオリジナリティを出し合って切磋琢磨していた頃の、職人の作るロードバイク。

それを守ってくれる職人さんがいるって事は、僕を含めた自転車マニアにとっては非常にありがたい現実で・・・

僕がBIXXISを取り扱いする事に何の迷いも感じなかった理由です。

勿論それ以外にも『LOOK』や『トンプソン』、『ラピエール』など、素晴らしい自転車を作っているメーカーはあるのですが・・・

LOOKは乗れば間違いなくその良さを感じる事が出来るのですが、上位モデルのヘッド・ステム周りの形状に馴染めない方が多いのと、超高級フレームの代名詞である事からなかなか注文は入りません。

トンプソンはカラーオーダーも安価で、FORCEなど素晴らしい作品もあるので推したいのですが・・・

かなりスパルタンな自転車なので、誰にでも勧められる訳でもなく・・・

日本での知名度もまだまだ低い事もあって、敢えてトンプソンが欲しい!って客層がなかなか現れない現状です。

誰にでも乗りやすいモデルはあるし、それだと下手な高級ブランドのフラッグシップモデルを買うより半額くらいで、同等くらいの性能が手に入れられる訳ですが、日本人てブランド志向ですし、『定価の高さ=性能の高さ』と錯覚している人が多いので、なかなか理解してもらえないんですよね。

ラピエールは2015年辺りから全体的に価格が上がってきましたね。

それまではコーダーブルームのように『良いものが安く買える救世主的なブランド』って感じだったのですが・・・

最近どこに向かいたいのか迷っているようにすら思えてしまいます・・・

でも相変わらずアルチメイトモデルのフレームは、価格の割に他のブランドのフラッグシップモデルよりも遥かに高性能なので、ラピエールを買うならアルチメイトモデルか、低予算ならアルミフレームのアウダシオかな?って感じではあります。

なので当店では『コーダーブルーム』・『エヴァディオ』・『BIXXIS』の3本の矢を基準に、予算やニーズに合った自転車をあれこれお客様に提案できるので・・・

現状取引しているメーカーさんで充分間に合っています。

つまり僕が今の時点で自転車屋の経営者として出来る事はほぼ確立できたかなぁ~って考えています。

当然今後も新しい商品が出る事については引き続きアンテナを立てつつも、少なくともお客様に自信を持って案内できるブランドは揃えられていると断言します。

という訳で、もう・・・いつまでも自転車屋の店主として箱の中で働き続けるのはしんどくなってきたので、そろそろ僕にとっての楽しい仕事をさせて頂けませんか?

店長業務の後継者を心から募集します。