飛騨乗越からの下り・・・
歩く人は少数だけど、後ろから追い抜いていく人たちのスピードが尋常じゃない。
僕は足の裏と膝が痛くて、確かにペースは抑えて歩いているけど、それでも普通よりは速いペースで歩いている。
トレイルラン等の競技者か、山荘で働く歩荷さんレベルの人なのか?
とにかく皆さん速い!
やはり槍ヶ岳のように奥地にある山を山荘1泊レベルで登る人は、みんなおかしいよね?(笑)
よくよく考えたらTJARに出場している選手とかその極みですよ。
富山湾の海岸を夜中の0時にスタートしてから剱岳登山口の馬場島まで距離30km、標高差800mのロードを走り、そこから距離22km標高差2200mの早月尾根をひたすら登って剱岳の山頂に到着するのが朝6時半にもなっていない訳だから、もう普通の人じゃないですよね?
僕も北アルプスに本格的に登るようになってから本気でトレイルをやっている人たちとも知り合う機会が増えましたが、皆さんとにかくすごい人ばかりです・・・
それなのに皆さんTJARには出場すらできないって言っているので、まああの大会は本当に特別なんだなぁ~って思うのと、その高みを目指して色々な大会で成績を残している人は世の中にごまんといる訳です。
だから気にしなければ良いと思って、気持ちよく「お疲れ様で~す!」って声を掛けながら見送っている訳だけど・・・やはり内心穏やかではなく。
頭の中では「何で俺があんな奴らに抜かれなあかんねん?」という僕の本質が、思うようにスピードを上げれない自分に苛立ち始めている。
「もう身体が壊れてもいいから、あいつら全部ぶち抜き返すか?」
でもその後神戸まで車を運転して帰る事を考えたら絶対に無理はできないんだよ。
自転車の走行会だって「走った後に仕事だから無理はしたくない!」って思うようになってから思い切った走りができなくなってきた。(実際に頑張ると昼頃から無性に眠くなって仕事に差し支える事が多かった。)
以前の僕は後先を考えず、そうなったらなったで気合と根性で何とかすればいい!って考えだったので、もしも・・・なんて事はとてもつまらない思考で、考えるだけ無意味だと思っていました。
でも経営者になって給料を与えられる立場から与える立場に変わって、もしもこのまま行ったら困るのは自分だけじゃなくなる・・・
少なくとも今はまだ個人商店なので大した資本も基盤もなく、自分の預貯金を削りながら運営しているような立場なので、売上が下れば自分の首を括らないとならない訳で・・・
取引先など色々な人に迷惑が掛かるし、気合や根性ではどうにもできない状況にたちまち陥ってしまうという事を身に染みて感じるようになりました。
365日!常にその危機感に怯えながら日々を過ごすようになって、仕事に対するウエイトというか、すべて仕事ありきで考えるようになってしまい、正直自分でもつまらない日々を過ごしているという自覚はあります。
だから槍穂高連峰なんて危なっかしい山域に惹かれたのかも知れません。
店の運営や様々な責任と危機感に振り回されて生きている日々よりも、滑落したら即死亡という危険な道を歩いている方が100倍気楽だから・・・。
事故で死ねば保険金も下りるので残ったスタッフや取引先、家族に金銭的な迷惑はかけなくてもいいので、万が一なんて事も気にしなくていい。
それが下山のタイミングで自分より速く歩く人を見たら、負けずにスピードを上げたくなるのに、必死で堪えてペースを抑えるのは・・・やはり自分が生きているから。
生きている以上は店の為に、店を継続する為に、スタッフや取引先の為に、常に仕事でベストを尽くせるように余力を残しておかなくてはならない!
いつからこんな楽しくない人生になってしまったのかなぁ?
会社で雇われている時の方が100万倍気楽でよかったなぁ~。
時々真剣にその事で悩む事があります。
恐らく自分で店を持った事のある人なら、ほとんどの人がその事に気付いて悔しさのあまり涙を流す時があるはずです。
会社の一兵隊だった頃は自分の営業成績さえ守れば良かったし、純粋に会社の売上を上げる事に集中できたし勝負もできた。ボーナスが欲しければ、他の部署と連携して効率よく売上を作れば、自分だけではなく部下たちのボーナスも何とか作ることができた。
直接身銭を切って取引先への支払いをする訳じゃなかったから、思い切って売上の数字だけを求める事が可能だったのだ。
だからプライベートは気持ちを切り替えて気兼ねなく楽しめたし、スポーツだって疲れとか怪我とか後先考えないで打ち込めたと思う。(そうは言っても旅行会社で働いていた頃はプライベートの時間も、常に自分の関わる全てのツアー行程表を持ち歩いていて、緊急の連絡が入ったらすぐに社長への電話確認と、現地への指示連絡をして、場合によっては緊急出勤や、現地へ向かって対応する事もあった。)
自転車での単独事故で生まれて初めて骨折した時も、骨折から4日後に京セラドームで他社との野球対抗試合があって、「東!あんた鎖骨折ってギブスしてるから、今回は出場しないよねぇ?」と社長に言われ、「はぁ?僕をレギュラーから外すとか有り得なくないですか?右腕一本あったら余裕ですよ!守備?軟球ですから素手でキャッチしますよ!すべては気合と根性ですから。」そう言って仕事を終えて一度帰宅してからユニフォームに着替え、夜中の京セラドームで試合をし、骨折お構いなしでスライディングキャッチやダイビングキャッチ等、普通に野球を楽しんで・・・朝にはまたスーツに着替えて出勤し・・・。
少なくとも当時の僕にはそんな生活が当たり前でした。
今はもしも・・・って気持ちが常に自分の決定を邪魔をし、雑念や邪念で冷静な判断もできなくなっている。
誰かのアドバイスとかをもらえて、迷いが吹っ切れると元気になったりするのはそれでかなぁ?
逆に経営者なのにプライベートが充実している人を見て・・・僕はそんな人を素直にすごいなぁって尊敬するし、羨ましいとさえ思えてしまう。
僕は経営者であるよりも、雇われて一兵隊として働く方が向いているのかなぁ?
経営者は常に仕事・・・というよりも支払いや返済の事で頭がいっぱいで、プライベートを純粋に楽しむ余裕なんてものが無い。
酷い時は美味しいものを食べているはずなのに味すらしない。
自分の時間は、連日残業でプライベートの時間も常に仕事の電話がONだった旅行会社時代から比べたら明らかに余裕なのに・・・である。
山に来るとこんな事ばかり考えて歩くようになる。
特に下山の時は現実世界に戻る訳ですから、より一層そういう時間になりがちです。
山を歩いている時は純粋に自分の心と向き合えてしまうから、常に本音の自分との対話、闘い、葛藤、反省、今後の目標・・・
山頂を目指すのは正直に自分と向き合う前のご褒美の前払いみたいなものですね。(笑)
それはそうと標高2700m辺りまで下山したところで思い切って着替えました。
さすがにスパッツを穿き直すのが煩わしくなってきたので脱ぎました。
濃霧を良い事に一瞬だけですが野外でパンイチ姿を晒してしまいました。(笑)
風は随分と穏やかになっていたので、気温は低いですけど・・・そこまで寒いと感じる事も無く、むしろ歩きやすくなって良かった!
更に標高2600m地点で今度はウインドブレーカーも脱ぐ。
暑くて汗をかきそうになったのですが、現状水分を持っていない僕としては無駄に汗をかくわけにはいかないのです。
尚、分岐点にはこんな救急箱が常設しています。
新穂高から登ってくるには、途中で槍平小屋しか存在しないロングルートなので、せめてこういった存在があるだけでもありがたいものです。
まだ標高2800mよりも上は雲に覆われています。
槍ヶ岳は全く見えません。
ところで標高2500m地点でもナメクジっているんですね。
岩の上の黒い奴はナメクジなのです。
そしてこの辺りから道は徐々に地震や大雨の影響で荒れた道へと変わって行く。
ゆっくりと考え事のできる時間は早くも終了となったのであります。(9:36)
次回へつづく。
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