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2015年1月30日金曜日
1月17日(土)第3回走行会!20年という節目・・・
この日は特別な朝を迎えました。
阪神淡路大震災から20年経ったのです。
それは長くて暗いトンネルでした。
この20年で人生に何度も迷い、悩み、喘いだ僕ですが、しかし震災の記憶だけは、まるでこないだの事のように覚えています。
当時間も無く二十歳を迎えようとしていた僕は、ホテルマンをしながら大学浪人生として、センター試験を終えたばかりの時でした。
当時はまだ十代って事もあって、血の気の多い若僧でしたが・・・
震災によってそれまで住み慣れた街は、戦火の後の廃墟のように変わり果て、僕の心の中でそれまでの僕は死にました。
そのくらい気持ちや考え方が大きく変わった瞬間でした。
「自分は何の為にこの世に、このご時勢に生を受けたのだろうか?」
「こんなにも脆い世界で一生懸命生きたところで、一体その先にどんな素晴らしい未来があると言うんだ?」
「頑張って復興して、仮に元の神戸に戻ったとして・・・大地震が来たらまたこうなるんだろ?」
「多くの人間の本性を見てしまった。これからどうやって人を信じたらいい?」
最初はそんな絶望的な事ばかりを考えていた僕ですが・・・
高校の恩師から個人的に勧められて学んでいた地学。
元々理系人間だった僕が、何か人の為に役立てる知識を学ぶとするなら、まずはそういった基礎知識と、今回の経験から学んだ注意点だろう。
地質学やプレートテクトニクスに関わる書籍、気象学や天文学に至るまで、大学入試の勉強も適当に、食い入るように本や資料を読み漁ったあの頃。
子供の頃から人の為に生きたいって思っていた自分が、一瞬ですが地学の研究の為に大学院まで進んで、未来の地震で多くの人を救える人間になりたい!って考えるようになったんですね。
まあその後、自転車競技を始めるようになって、ますます受験勉強そっちのけな生活になったので、2浪したものの・・・幼少の頃から入学したかった希望校は「桜散る」に終わり・・・
大学生の間は自分の進みたい道に迷い・・・
多くの人から様々なチャンスを頂きましたが、結局どれも生かせないまま普通に就職し・・・
そこからも10年以上、自分の生き方に自問自答の日々。
背中を追いかけたいと思える、そんな上司との出会いが自分にとってベストだったのか?
小さかった会社を大会社にする為に、大きく貢献した事で十分な満足感を得たはずなのに、虚しさしか残らないのはなぜか?
少しくらい自分の自己満足の為に生きてみたっていいだろ?
「俺は何の為に生き、誰の為に死ぬ?」
それが自分にとっての最大のテーマでした。
まだ完璧な答えは出ていないけれど、震災から20年の間に、少しは自分の今後を整理できたような気がします。
それもあって、この日は5時半に目を覚まし・・・まずは黙祷!
長袖ジャージに喪章をつけて出勤。
この日はH川様とマサやんが参加。
「東遊園地で手を合わせてから走りたいんですけど・・・どう思います?」
「いやぁ~。ものすごい人でごった返していますよきっと!」
「ああ、僕が見た限りではえらいことになってましたから、今日はあの界隈に近づかない方がいいと思うんですよねぇ。」
「そっかぁ~。じゃあとりあえず今日は再度ドライブウェイでも走って、碇山の上から合掌でもしますか?」
「まあそれもいいですね。行きましょう!」
そうやってスタートしたのですが・・・
修理して完璧に直ったはずの、愛車GITANEがやはり不調!
TAのスプロケとKMCのチェーンの相性が思いの他悪くて、やはり上り坂でトルクをかけるとギアが歯飛びするのだ。
「すみません・・・やはり再度山はやめましょう。これじゃ今日は上れません。」
「そのようですねぇ。」
そして最初は山麓線回りで須磨方面を目指して走っていましたが、途中からポタリングで許してって思うようになり・・・
山本通付近から路地裏ばかりをジグザグに走って、湊川沿いの道まで出てきました。
そこから会下山に上ろうとしたら・・・
「おおっ!湊川隧道(ずいどう)が開いてる~!これは観ないといけませんね!」
「いいですねぇ~!是非寄りましょう!」
黒部ダムのトンネルを思い出す様な綺麗なコンクリートのトンネルを地下へ進んで行きます。
向こうに旧トンネルがあるのが何となく判りますね。
振り返ると地上があんな上に見えます。
旧トンネルの入口の辺りで、丁度テレビ局の方々が撮影をしていました。
「邪魔したらまずいかな?」
「あっ!どうぞ、お進み下さい!」
「えっ?いいんですか?失礼致します。」
レンガ張りの古いトンネルの中を奥へ進みます。
ここはレンガの崩れ落ちた場所かな?
少し修復された箇所が・・・
湊川隧道の案内図が所々にあります。
天井の古い照明が暖かく照らす、この付近はなかなか雰囲気がレトロでいい感じ。
更に進むとここで行き止まり!
「そうかタイミング的にそういう意味だったのか!」
ここで改めて合掌。
20年前までの幸せだった当時の神戸、当時の自分に想いを馳せる。
自分にとって、これからがステージ3です。
そしてよく考えたら、マサやんって20年前の僕と同じ年齢なんですね。
そう思うと・・・この出会いも何かの縁なんでしょうね。
震災を知らない・・・でもその当時を偲ぶ心を持ったマサやん。
これからの日本を背負って、頑張ってもらわないといけない世代ですからね!
ついポジティブな若者に期待を持ってしまいます。
まるで自分の人生のトンネルを振り返るようにして、入口へと戻るのでした。
その後僕はポタリング気分のまま、フラフラと兵庫区内を宛もなく走り・・・
遠矢浜まで来ちゃいました。
「灯台には近付けそうもないですねぇ。」って僕が周りを見渡していたら・・・
「これは・・・Y崎さん(3号)に教えたら(ネタができたって)喜びそうですねぇ~。」とH川様。
「えっ?何か見えました?」
「いえ・・・ここから灯台を見たら・・・」
「・・・・・・・・・・・ほぉ~、なるほど。そういう意味ですか。」
しばしの沈黙。
「まさか紳士のはずのH川さんからそんな発言が出るなんて!」
「これはある意味事件ですね。とりあえずY崎さんには報告しないといけませんな(笑)」
まさかこんな日に、最後の最後で大笑いして締めくくる事になってしまいました。
どうか不謹慎な我々3名をお許し下さいませ(笑)
とりあえず次週までにGITANEのスプロケを交換して、またテストをしてみたいと思います。
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