白馬乗鞍山頂から少し歩くと・・・
向こうに見える船越ノ頭(小蓮華山の稜線ルート)方面からなだらかな雷鳥坂を下って右へと目で追っていくと・・・
来た~っ!
ずっと憧れていた白馬大池!
標高2379mにある湖(池)とその水面に浮かぶように建っている山荘。
初めてその存在を知ってから25年の時を経て、今ようやく来ることができました。
ずっと一度は訪れてみたいと思っていた天上の楽園です。
しかし楽園への道程は険しいものです。
ここから湖畔までは古の火山活動で飛んで来た火山弾がゴロゴロ転がっているので、やはり岩から岩へ飛び移りながら歩くエリアです。
そもそも白馬大池は火山弾に堰き止められてできた池だとかって話で。
地味に体力を削られる道です。(ミスをすると足首を捻ったり怪我をします)
こういう場所は普通に歩きたい!
またしてもワガママ意見が爆発です。(笑)
じゃあ岩の無い所を歩けばいいじゃない!って思う人もいるかも知れませんが、この写真をよく見て下さい!
緑に生い茂っているのは芝生ではございません!ハイマツです!
ハイマツ林の中を歩けるものなら歩いてみて下さい!
きっと10mも進もうものなら後戻りする気力すらなくなりますから。
船越ノ頭方面より向こうは雲に覆われていますが、今のところ天候が荒れる気配はなく、むしろジワジワと太陽の光に照らされて暑いです。
そしてとりあえず白馬大池山荘までが遠いです。
おっ!小蓮華山の山頂が顔を出しました!
白馬岳はその更に向こうです。
まだまだ遠いなぁ~!
他の登山者(ハイカー)が「ここって生物とか棲んでいるのかな?」って話をしていたので、「魚はいないみたいですけど、サンショウウオなら生息しているみたいですよ。」って教えて差し上げたら、「えっ!そうなんだ?どこかにいるかなぁ~。」ってキョロキョロしていました。
せっかくこんな所まで足を運ぶんだから、あれこれと下調べはしてこないとね!(笑)
やっと到着しました!
岩場の道は狭いので行き交う人たちと譲り合いをしないと歩けません。
意外と大変な道程でした!
ここまで片道3時間っていうのも解らなくもない感じがします。
今回僕は2時間で来ましたので、このペースだと往復で3時間少々はかかる見込みです。
でも生意気な若造だった頃の僕なら自然園からここまで1時間20分もあれば間違いなく着いていたと思うので往復2時間は不可能ではないと思います。
あの当時に戻って「往復5時間以上かかるらしいから無理やって!」と言っていたチームメイトともう一度議論し合いたい気分である。(笑)
ええ・・・割りと根に持ちやすい性格なのでシロクロはっきりつけないとモヤモヤします。(笑)
もしも当時の初代『チームユーロ』のメンバーが再結集するような奇跡が起こったなら、この件は笑い話として是非解決したい。
まあその前に当時の僕が余りの絶望感から感情的になってしまった事で、意味の解らない誤解に誤解が重なった件を解決したいものだ。
当時神戸に有名なサイクリングチームが無くて、学生だった僕を筆頭に社会人も含めた素人ばかりで立ち上げたサイクリングチーム。
立ち上げ当初で既にマウンテンバイクで平地を時速73.6kmまで引っ張るスプリント力のあった僕と、単身北アメリカ大陸を自転車で横断した事のあるOさんの粘りのあるヒルクライム力で、それなりにレースを走れるメンバーは揃っていたのです。
それを7年かけて走るのが遅かったメンバーもそこそこの成績が出せるようになり、当時の兵庫県では無敵と言い切れるメンバーも3人に増えて、遠征先に行けば他府県の違うチームの人がわざわざ自転車を見かけてあいさつしに来てくれるくらいにまでなって・・・
少しは他人の記憶に残るようなチームに育てたという自負はあります。
そのチーム内の均衡が崩れ始めたきっかけは、まず僕が大学卒業前にヨーロッパ行きが白紙になって急遽就職活動をした辺りから。
しばらくは走行会に集中できなくて一緒に走れる頻度が減ってしまった事。
更にこの頃の僕は健康診断にて「心肺機能に無理をかけ過ぎて左室肥大」と診断され、ドクターストップがかかっていたので、こっそりとリハビリレベルで走っていました。
しかしこの年は間も無くポートアイランドの第二工区でレースが開催される。
地元神戸で初めて開催される自転車ロードレースに心が震えた。
当然狙うのは優勝しかない!
「これは俺たちの為に開催されるようなレースやで!」
どんな強豪選手が来ようとも地元のレースだけは絶対に勝たせる訳にはいかない!
「チームユーロここにあり!って証明する大事な試合やで。みんな死ぬ気で走ろうな!」
そうメンバーに言って挑んだレースでした。
僕のチームの晴れ舞台になると信じて当時お世話になっていたプロショップの店長も川西から応援に来て下さいました。
チームエンデューロには件の兵庫県最強メンバー3人と補欠に僕の元教え子だった大学生が1人の計4人でエントリー。
それとは別に個人のロードレースにもエントリー。(複数参加可能となっていたので)
このエンデューロには並々ならない執念があった。
時は遡って・・・99年鈴鹿ロードのチームタイムトライアルで鈴鹿サーキット3周のタイムを競ったのだが、僕は24分というタイムが表彰台に登れるボーダーラインだと考えていた。
作戦では3人の中で一番平地のスピードが速いのが僕だったので、最初の2周は僕が全力で引き続け、ラストの3周目を2人にローテーションしてもらいながら速度を維持してゴールを目指してもらう予定だった。
そして僕は1周目を7分50秒、2周目を7分20秒のタイムで引っ張り、十分な貯金を作ったので後は二人に任せて・・・僕はその二人に千切られないようにだけ必死について行くギリギリの力を残して託したのだが、ホームストレートからシケインまでの登りで突風に掬われてO君が落車!
上りとはいえ時速54km前後での落車だったので、走行復帰に時間が掛かってトータルタイムは25分を大幅に越えてしまった。
せっかく最初の2周で自分の命をすべて燃やし切って走ったのに、全国区での表彰台の可能性をふいにしてしまったショックは大きかったが、それ以上にアクシデントである以上は誰も責められないという辛さで、これ以上ないくらいの辛酸を舐めたレースだった。(実際に優勝チームは22分30秒ほどで、そこには少し及ばなかったかも知れないが、少なくとも3位だったチームの24分02秒ってタイムには余裕で勝っていたので、いずれにしても悔しくて悔しくて怒りのぶつけどころに困っていた)
以来、その時の雪辱を晴らす事ばかりを考えていた僕にとって、この地元で開催されたレースのエンデューロを完全優勝する事は絶対だと思っていました。
ところがこの大会のクソ過ぎたことに、レース当日になってまだスケジューリングができていないという不始末。
僕は午前中に個人競技を消化して、午後にエンデューロをするものだと思っていたら、朝一でエンデューロから始めます!って案内が流れ・・・
ショップ店長からは「北陸の某チームに気をつけて!個人個人の能力も高いうえに勝つ為なら手段を選ばないチームって評判だから。」ってアドバイスを受けていたので、僕が第一走者を引き受ける事にしました。
チームエンデューロは混戦する事を嫌うチームが多いので、スタート直後がハイスピードになる事が多い競技なんです。
読みは的中!
スタートするなり時速55~60kmのペースで先頭グループが形成され、200チーム以上いたはずなのに、1周目で先頭グループは30名ほどに絞られる。
そこから徐々にスタミナのない選手が千切れて行き、3周目が終わる頃には北陸の某サイクリングクラブのAチームとBチームと僕の3人だけしか生き残ってなかった。
そこで4周目に入るタイミングで僕が某チームの2人を刺し返して一気にトップに躍り出る。
この後選手交代しても順位が変わらないように僕は必死に逃げて距離を拡げる。
そして5周目に入る所でピットに入りヒデさんに交代。
ところがヒデさんが謎の不調で順位を落として1周のみで帰還。
次に出走したO君も不調で2周だけ走って帰還。
僕は全力で4周走ったからまだ乳酸が抜けていなくて、やむを得ず元教え子のK君に代走してもらうが、彼は力不足過ぎて一気に順位を落としてしまう。
もう悔しいとかって感情は遥かに通り越して怒りしかない状態。
体調不良なんて言い訳が一番聞きたくない話で、どれだけ体調不良だったとしてもレースの瞬間には限りなく100%の走りができてこそレーサーだと思っていた僕には、アクシデントで落車したとかではなく、体調不良を理由にベストを尽くしてもらえなかった事に困惑しかなかった。
よりによって僕が絶対の信頼を置いていた仲間が2人共だ。
「なんで俺らがあんな遅ぇ奴らに負けなきゃいけねぇんだよ!」
まるで悪夢を見ている気分だった。
それならそれで最初に体調不良だからって言ってくれていたなら僕は、エンデューロではなく個人のレースの為に脚を温存して余計なエネルギーを使わなくて済んだのだ。
この3人でなら夢を叶えられると信じていた僕の気持ちはこの時粉々に打ち砕かれる。
その上元教え子の不甲斐ない走りに観ていられなくなって、怒り狂った僕はまだ回復もしていないのに「おい!代われ!俺が走る!」って再び出走。
自分本来のスピードを維持して走ったら今度はたった3周で乳酸が溜まってしまう。
そのタイミングで応援に来ていたチームメイトが血相を変えてピットに入れと言うので、致し方なく再びK君にバトンを渡して自転車を降りたら・・・
「大ちゃんヤバいで!レースのエントリー開始してるって!急いで招集場所に向かって!」
休む間もなく走って向かったら、僕の出場する予定の個人ロードレースが、エンデューロが終わり次第出走するとかで最終エントリーを終えたところだった。
「すみません!僕もこのレースに出る予定だったんですけど・・・。」
「ああ、もうエントリー確認を終えたので残念ですが不出走ということで・・・。」
「はあ?ちょっと待って下さい!今そのエンデューロを走っていたのでそんなの無理に決まっているじゃないですか?」
「そう言われましても・・・。」
「もうええわ!本部に掛け合って来るから!」
丁度心配して見に来てくれていたショップ店長と一緒に大会本部に直談判。
「そもそもレースのスケジュール調整が当日になってもできていない大会側の問題やろ!だったら何で複数レース参加可能とか参加要項に書いたんじゃ~!」って僕も店長もぶち切れで猛抗議!
そしたらその場で僕の出走は認めてもらえたものの、そんなやり取りの間にレース開始2分前になってしまった。
慌てて走って自転車を取りに戻り、スタートラインに向かうが、200名近くいる選手団の一番後ろに並ばされる。
そして間髪入れずにカウントダウン。
心も身体も全然準備ができてないままスタート。
そしてスタートしてからは『何しに参加したのか判らんような選手』がコース上に広がって走っているので前に出たくても邪魔でなかなか前に出れない。
一周4~5km程のコースをたった3周で争うレースだったから、スタートからいきなり先頭のペースは速いのである。
ただでさえ乳酸が抜けきってない身体にムチを打って時速65~68kmのスピードを維持して怒涛の如く先頭集団を追いかけ続ける。(ツール・ド・おきなわの頃を思い出すくらい残りの力を全て出し切ったと思う)
3周目に入ってようやく先頭集団に追いつき、集団内で脚を休ませてもらおうって思った瞬間誰かがアタックを仕掛けた。
「いや、タイミング早いって!俺、回復する暇ないやんか!」
結局そのままの勢いでゴールスプリントの態勢に持ち込まれて・・・
最後にスプリントを争う脚を残せなかった僕は「ちくしょ~!」って大声で叫び、泣きながら集団ゴールでレースを終えた。
あの時に僕のロードレーサーとしての時間と心は完全に停まってしまった。
そこで一度死んだと言っても過言ではないくらい、心の糸がプツリと切れたのである。
もちろんチームメイトの事は恨んではいないけれど(むしろこのメンバーで大きな大会にて早く優勝を飾りたかった)、当時の大会実行委員に対しては未だに恨みを忘れずに抱いている。
地元のレースで勝つっていう事は万国共通で選手の夢である。
そのチャンスをあのお粗末なスケジュール管理でふいにされた事を、未だに許す事ができないでいる。
結局その年は地元レースで勝てなかったショックでつがいけサイクルに出場するモチベーションがガタ落ちでキャンセル。
そのうち「レースも走っているけどメカニックとしても腕がいい。」って僕の噂を聞いた、某自転車販売のチェーン店の社長から「うちで働かないか?」って声がかかり転職。
素晴らしい先輩に恵まれてすぐに店長業務を覚えて、素晴らしいお客様にも恵まれて近隣のマダムたちからご指名で修理や販売の仕事をもらえるようになる。
しかし土日祝は基本的に営業日なので、チームの走行会等はキャプテン代理を立てて、サブも2人つけて任せていました。
僕は社長から「レース活動も仕事の一環として認める!」「東君が日本一をまだ諦めずにレースをするというなら応援する!」とまで言って頂き、いずれは土日祝の休みも取れるように便宜を図ってくれると約束してくれたので・・・
「俺が復帰できるまではチームの連帯感を維持して、必ず全員の実力差が縮まってチームプレーができるようになって待っていてくれな!俺はこのチームで日本一になりたいから!誰一人選手登録もしていないこの野良チームで日本一になる事が、今の俺に残された最後の夢やから!」そうやってキャプテン代理とそのサブメンバーに想いを託していたのです。
結局僕の職場は尊敬していた先輩2人が退職して、代わりに店長となった僕の監督係として本社から送り込まれたスーパーバイザーがこれまた意地悪な人で、「社長がどう言おうが社員が土日祝に休みを取れるなんて思うなよ!」って言われ、僕は睨まれてしまう羽目に。
そのチェーン店は海外のスーパーをビジネスモデルに会社を大きくしようとしている節があって、「接客に無駄な時間をかけるな!」「効率よく商品を売りさばけ!」と会議の度に言われていましたが、僕の店は売上も維持していたし、それ以上に接客で手を抜くのは失礼だろう?って思っていたので、よく他店舗の先輩店長たちと「そんなロボットみたいな接客で売ったら売りっ放しなんてありえないよね。」って愚痴を言い合う始末。
それがまたスーパーバイザーには気に入らなかったらしい。
更に僕が業務中に近所のマダムたちと世間話をしていたり、修理の説明や自転車の案内に時間をかける事が輪をかけて気に入らなかったらしく、実際には30分程度の接客であっても「あいつは一人の客に1時間~1時間半も接客時間をかけて利益の効率を意識していないから店長には向いていない!」等とある事ない事難癖付けてすべて社長へ報告。
結果的に社長の目の前でそのスーパーバイザーを殴り飛ばして仕事を辞める事になる。
仕事の事だけでなく、僕のレース活動やチームの仲間の事まで、それまで7年間どんな想いで築き上げてきたのか、何も知らない癖に上から偉そうに言われてバカにされた事が何よりも許せなくて、本当ならその場で八つ裂きにしてやりたいくらい憎くて殴り飛ばすに至った訳です。
それだけ自分のチームと仲間を愛していました。
それなのに僕が復帰してから、チームの様子がおかしい事に気付いたのです。
走行会の参加率が極端に悪くなっていたのです。
その年のつがいけサイクルは人生で初めてタイムを更新できずにショックを受ける。
中学生の頃の陸上競技からタイムを競う競技をずっとしてきて、12年に渡り記録会やレースでタイム更新が滞った事が無かったのです。
その時も全力で走ったのに、生まれて初めて更新はおろか遅くなってしまったのです。
それまで走れば必ず記録を塗り替えてきた事が一つの大きなモチベーションだったので雷に撃たれたようなショックを受けました。
それもこれまで土日祝日と仕事でチーム練習もできなかった僕は10日前から長野県入りして本戦まで毎日つがいけサイクルのコースを2~3本走っており、その際に1時間01分台のタイムも出していたので、本戦ではいよいよ1時間切りも夢じゃないと思っていました。
ところが本戦での僕のタイムはまさかの1時間07分台!
疲労が溜まっていたにしてもそれは無い!って思えるくらいの平凡なタイム。
ここで心の中の何かが大きく弾けたのは間違いないです。
当時はその怒りに加えてチームのメンバーの息もバラバラだったので以前のチームワークの良かった頃を思い出す度に荒れていました。
何度もキャプテン代理とサブの2人を呼び出しては、走行会の参加率が悪くなってメンバーがバラバラになった事の責任追及をしたり、元のチームに戻せ!と当時の僕は怒り狂っていました。
キャプテン代理にはヒデさんやO君のような格上の選手をリードする自信が無かったらしくダラダラとしている間にチームメンバーがバラバラになったというのである。
少なくともキャプテン代理には脚は無くてもカリスマがあったから僕も任せたし、他のメンバーの誰も立候補しなかったから全員一致でキャプテン代理が彼に決まったのである。
それが僕の知らないうちにサボり癖がついて、サブを任せた二人まで一緒になってサボっていたというのだから、そりゃみんなバラバラになるわなぁ~って話で・・・
それで僕のこれまでの想いとか、仕事を辞めてまでチームに戻って来たのにこれかよ!って気持ちから徐々に他のメンバーにまで怒りの感情が込み上げて来て、「3人だけではなく全員の連帯責任だと思うから一度集まってミーティングだ!」ってメールをしたのです。
ところが何人かのメンバーが僕のメールに逆切れして集まることなく解散!
確かに感情的にはなっていたけど、誰も僕の気持ちや想いは解ってくれなかったんだ・・・
そう思って当時の乗鞍出場を最後にメンバーと縁を切り『全てを忘れる為』神戸を離れて1年間の放浪生活を始め、毎日自分の死に場所を探しては車であちこちの峠に赴いていたという時系列。(正確には神戸のレース後から放浪生活に入っているのでその生活を1年としている。結果的には祖母に余計な心配をかけ続けるのが辛くなって神戸に戻って再就職した)
大きな目標を持ったことのない人には理解できないかも知れないけれど、目標や夢を失った瞬間の脱力感とか、自分のすべてを失った喪失感って尋常じゃないんですよ。ずっと心の傷がえぐられたままなんですよ。
自転車レースを走る事、チームと仲間たちは当時の僕にとって生きる全てだったんです。
良くも悪くも栂池や乗鞍に来ると、いつも当時の事が走馬灯のように頭を過ぎるんですよね。
まあそうは言っても当時のメンバーと向き合える心の準備はとっくの昔に出来ていて、キャプテン代理を任せた彼は今でも当店の客として夫婦で応援してくれており、時々店に遊びに来てくれているし、サブの一人は開店準備の時に手伝いをしてくれて・・・開店して間もない頃にはO君も店に顔を出してくれたり・・・
何よりヒデさんが新生チームユーロに戻って来てくれた時はメチャクチャ嬉しかったけど、僕がもう以前のように走れなくなっていたので逆に申し訳ない事をしてしまったというか・・・きっと今度はヒデさんを悔しい気持ちにさせてしまったと思っている。(ヒデさんは僕の元々の実力を知っているので、走れなくなった僕を他のメンバー等からとやかく言われバカにされているのを内心イラついていたと思うから)
叶うならまた当時の仲間と集まってわだかまりを取り除きたいというか、笑って話せるようになればいいなと思う事は多い。
山歩きってただ景色が綺麗だな~って歩くものではなくて、自分の人生のあれこれを振り返って反省したり・・・今後を考えたりする時間だったりする訳で、そういう意味でもこの白馬大池って場所は自分にとって感慨深い場所なのであります。
とりあえずザックには1ℓの水とウィダー系のゼリーが3つしか入っていないので、ここでペットボトルを2本購入する。
ポカリスエットと綾鷹・・・2本でしめて1100円也!
「高っ!」とは言いませんでしたが、結構ビックリしました。(笑)
天上の楽園価格?
穂高岳山荘ですら1本400円!(槍ヶ岳は500円だったが)
やはり山の上で冷たくて美味しいドリンクにありつこうものなら、このくらいの価格は覚悟しないといけない訳ですね!
ここから白馬岳山頂までは、ヤマケイのタイムレコードでは3時間20分となっているが、間も無く11:45です。
休憩時間も込みで15:00までに到着できるだろうか?
では次回お楽しみに!