久々に長いです。
是非コーヒーを準備してから読むことをお勧めします。
ここは長峰霊園の入口付近。
正面向こうに神戸ユニオン教会が見えています。
「また摩耶山か?」って思う方もいるでしょう。
またではありますが、摩耶山にもまだ歩いていないルートが複数あります。
この看板に掲載しているルートは誰もが知っているルートしか示されておらず・・・
このほかに登山地図上の点線ルート(中~上級者向け)もあれば、点線すらないバリエーションルートも存在する。
今回は行ってみたい所があって、そこへ行くルートを探すのが目的。
前に一度H川様とミワさんと3人で向かって、最後の最後でルートが判らなくなって、とんでもない急斜面を木の根っこを頼りに、まるでジャングルジムのように登った恐怖のルートですが、そのルートには必ずもっと登りやすいルートがあったはずだという確信があり、それを探るのが今回の最大の目的。
根拠は行者小屋の手前に書かれていた案内。
西=虹の駅、北=本谷(危険)とあって、実際に本谷のルートも少なくとも3つ(それぞれが更に枝分かれするので、バリエーション数はもっと多い)あるルートの内2つは歩いた訳だ。
ひとつはタフな尾根道で、もう一つはスリットダムとゴルジュ帯を登る・・・とても神秘的だけど最後は急斜面という危険なルートでした。
しかしそれでもあの虹の駅直下のジャングルジムみたいな急斜面に比べたら、本谷のルートの方が簡単だった訳。
そこをあえて「本谷=危険」と記したからには、虹の駅へ向かうルートにはもっと楽なルートがあるのだけど、前回は単純にそれを見つけられなかった!って考えるのが自然。
この先で虹の駅までの最短ルートが左手に分岐する。
そこも一度は歩いてみたいけど、早く着き過ぎたら面白くない。(それに通行止扱いになっている)
ただそれだけの理由でまだ歩いてはいない。
という訳で、行者小屋までは通常通り本谷(点線ルート)を進む。
点線ルートなので僅かな踏み跡や、木に巻き付けたリボンやテープを頼りに歩きます。
リボンやテープは少なくとも誰かしらが歩いて巻き付けたものなので、「一応ここは歩けますよ!」って意味にはなりますが、ダム関係者や関西電力などの作業スタッフが使う専用道の場合もあるので、必ずしも登山道として有効な道ばかりではないという事だけは理解しておかないと・・・とんでもない回り道をさせられたり、酷い場合は行き止まりになって進めなくなってしまう事もあります。
知らない道を歩くという事は、常にそういうリスクが付きまとってくる訳で、逆に言い換えれば・・・そこがたまらなく蜜の味。
数日前にイノシシの大家族が通行したであろう痕跡があちこちに残る。
お陰で登山道は凸凹。
足を取られて挫かないように気を付けましょう。
しばらくは沢沿いに歩くので、こういった場所ではリボンも見当たらなかったりします。
あと山歩きの基本事項として知っておいて欲しい事は、沢沿いや周辺よりも標高の低い場所を歩くことは危険だという事。
沢沿いはダムや滝があって踏み外して転落するリスクがある。
それに岩場で滑って転倒するリスクもある。
野生動物が水場や餌場とする可能性も高いので、山によってはクマに遭遇するリスクも増します。
突然大雨が降ったら鉄砲水の可能性もあるので、水の近くでビバークするなどは論外。
ある程度は地形でそのリスクの度合いも判断できるけど、基本的に安全ではないという事だけは知っておく必要があります。
さらに周辺よりも標高の低い位置を歩くリスクは・・・奈良や和歌山の山地では古くから『ヒダル』という妖怪に憑かれるという迷信があり、実際にそれが原因で亡くなった遭難者も多いのです。
これは現在では正体も判明していて、妖怪ではなくハンガーノック或いは二酸化炭素中毒が犯人なんですけど・・・
特にその後者は・・・空気の流れが悪い窪地などを歩くと二酸化炭素中毒になってしまうという現象です。
森の木々も呼吸をしています。
昼間は太陽の光を浴びて光合成が働くので、呼吸で吐き出す二酸化炭素よりも光合成で吸い込む二酸化炭素の量及び酸素を吐き出す量の方が多いのですが・・・
夜間は純粋に呼吸しかしていません。
なので深夜や早朝の森林の窪地は危険なのです。
窪地ゆえに落ち葉も溜まりやすく、それらが腐敗して発生した二酸化炭素も含めると、かなりの二酸化炭素濃度になっているというものです。
二酸化炭素は比重が重いので窪地に溜まりやすく、風の吹かない時は特に注意が必要です。
実は六甲山系にもそういったスポットが数多く点在しており、急に身体が重くなったり怠くなった経験をした人もいるかも知れません。
なので登山において、困った時には高い所に登る事!・・・が鉄則だったりします。
まあ普通はこんな登山マップにも点線でしか記されていないようなルートを好んで歩く人はいないでしょう。
当然登山道としての整備も一切されていません。
だからこそ・・・ここのルートが楽しい訳なんですけど。
以前本谷ルートで女の人の笑い声を聞いて以来、アキラ君はここのルートを怖がっているみたいなんです。
この日も終始ソワソワしながら僕について来ていました。(笑)
この滝の手前で右に進みますが、物好きな人は滝の左を上って更にその向こうの砂防ダムも左から巻くようにして登るそうです。
世の中には道なき道を好む変態さんが沢山いるって事ですね。(笑)
思えば僕が山好きになったきっかけは川口探検隊だったと思います。
前人未踏とか、得体の知れない脅威とかって言葉にワクワクして、そしたらたまたま当時住んでいた場所の裏山が二子山と石楠花山だった・・・みたいな。
それに植村直己さんやトムソーヤの冒険の影響も大きかったですね。
アキラ君は誰からどんな影響を受けて、これからどんな挑戦をしていくのでしょうか?
M籏君はきっかけはともかく、加藤文太郎さんの影響を大きく受けて登山に目覚めてしまったみたいですし・・・
僕もこれまで色々な人の影響というものを受けて生きてきました。
高いモチベーションは意外にも他人様から受ける影響だったりしますよね。
砂防ダムの裏を通過して行者小屋の下に向かう所です。
写真はその右手を見ています。
この先にも道があるんじゃないかと思っているのですが、誰も歩いた跡がないのでいつも気にはなるけどスルーしています。
きっと沢沿いにいくつかダムを越えて行って、最終的には山寺尾根と合流するルートがありそうなので、いずれ探索してみたいと思っています。
そして点線ルートの先端である行者小屋の下に到着しました。
上を見上げると行者小屋。
ここから先は点線ですらないルートです。
この斜面を右に上って正面のダムの裏に回ります。
問題はこのダムの先・・・
以前はルートが判らなくなって、とりあえず真っ直ぐ登れば虹の駅のどこかには出るだろう!っていう単純な理由で真っ直ぐ登ったら、凄まじい急斜面だったというオチです。
今回はダムの左手側に踏み跡を見つけて進むと・・・
リボンを発見!
つまりこっちの方が登りやすいですよ!という意味にも捉えられる。
所々落ち葉で滑りやすい急斜面もありましたが、全体的には楽チンなルート。
アキラ君は急斜面ポイントを何とか登り切ってホッとしています。
だいたいはこんな感じの道。
ここは滑りやすいうえに倒木を潜るか跨ぐかしないと通過できない急斜面だったので、そこだけは少し緊張しました。
そして誰かの落とし物(杖)が立てかけてありました。
という事は最近の間に少なくとも2組(2人)以上の登山者がここを歩いたって事なんでしょう。
マイナーなルートなのに歩く人は結構いるんですね。
星の駅(掬星台)が見えます。
ほとんど人が歩かないルートなので、どこもかしこも倒木で荒れています。
足場も所々崩れやすい箇所があったのでやや歩きにくかったです。
そしてようやく尾根に出てきた感じです!
尾根に出て左を向きました。
道らしき踏み跡が続いています。
きっとこの道はスタート地点直後から分岐する虹の駅までの最短ルートですね。(そのルートは訳あって現在通行止扱いになっている)
という事は・・・
この道を西に向かって歩くと・・・
やはり見えてきました!
悪魔の森の奥深く~にある『蝋人形の館』とかではありませんよ。(最近の若い人には意味が判らないかも・・・笑)
これです、僕が元々歩いてみたかったルートです。
フェンス・・・なぎ倒されちゃってますね。
クマか野獣でも現れたのでしょうか?
ここは神戸に現存する聖地のひとつ。
『廃墟の女王』の異名を持つ摩耶観光ホテルです。
北アルプスで言えば薬師岳や燕岳みたいな存在?(山好きにしか解らないネタです)
中から誰か見ていたりしないでしょうか?
ワクワク・・・
アキラ君はビクビク・・・(笑)
中に侵入しようと思えば、どこからでも侵入できます。
しかし現在は廃墟であっても無断で侵入した場合は不法侵入扱いで罰せられます。
摩耶観は長らく心霊スポット扱いで、肝試しや写真撮影で侵入する人が後を絶たない場所でした。
時にはホームレスさんの住居になっていた事もあるので、所々生活ゴミが散乱している箇所もあります。
また野生動物の棲んでいた形跡も過去に確認されています。
そういう場所ではございますが、長崎の軍艦島などと並んで廃墟の聖地とされている場所ですので、今では廃墟巡りツアーなどでここも大々的にクローズアップされるようになってきました。
ハッキリ言ってここは別に心霊スポットではないので、そこまで怖くはありません。
むしろ天空の城ラピュタみたいな場所です。
恐らくここから侵入して生活していた人がいたのでしょうね。
内部から上階に上がる訳にはいきませんので、我々は建物に沿った外階段を登ります。
立ち入り禁止のフェンスさえなかったら雰囲気のある写真が撮れそうだ!
窓の外から内部を撮影。
何だか学校の玄関みたい。
向こうにはグラウンドがあって・・・みたいな。
今にも職員室から出てきた先生が目の前を横切って行きそうな雰囲気です。
あれが職員室の出入口・・・スライド扉じゃないんですね。
いやいや・・・きっと食堂室(ダンスホール)の従業員用出入口でしょう。
で、こちらがお客様用の出入口だったんじゃないかな?
僕らの歩く右手には恐ろしい急斜面が・・・
以前はあの向こうを登って虹の駅のロープウェイ乗り場に辿り着いたんですね。
落ちたらどこまでも転がって行きそうです。
しかし・・・
摩耶観光ホテルはしばしば『美しい廃墟』と評される事があるけれど、まさにその通りだと思う。
ここのステンドグラスが生きていたなら、更に廃墟としての価値を高めていたであろう。
ロビーへ向かう階段だろうか?
当然の事ですが、我々は中には入りません。
手前にこれより入るな!って意味の欄干があります。
それにしてもセコムのステッカーが違和感・・・笑。
摩耶観光ホテルは昭和4年に建設されて、昭和45年に廃業ですから・・・
恐らく不法侵入者に向けての威嚇でしょうか?
昭和49年以降で学生向けの合宿施設として利用されていた時期があったらしいのですが、僕の記憶では利用者の出入りする姿を見た覚えがありません。
虹の駅から摩耶観光ホテルまで続く回廊の下です。
ここから向こうへ抜ければ、その昔パターゴルフとか様々な遊具があった山上遊園地に続く道に繋がっているのでしょう。
僕が生まれるより昔は摩耶山も立派な山上リゾートだったに違いありません。
回廊の下にはこんな倉庫もあります。
見た事も無いようなケースもちらほら。
我々はこのまま外階段を登り回廊の入口と合流する形で摩耶ケーブル山上駅に到着。
昔はあったはずの煙突も台風で崩れたり・・・と荒廃が進んでいます。
別名『軍艦ホテル』とも呼ばれていたそうですが、船のデッキをイメージして作ったそうなので、言われてみたら解らなくもありませんね。
内装や装飾には当時解体されたばかりの『ふらんす丸』という豪華客船の内装を買い取って使用していたそうです。
山上に建つ豪華客船のようなリゾートホテル・・・
今も健在だったら神戸市のイメージにピッタリのインスタ映えスポットになっていたでしょうね。
あとセコムはただのハッタリではなく、ちゃんと設置しているみたいです。
南側へ延びる客室などがある建物でしょうか?
その下には先ほども書いた通り、山上遊園地跡へ向かうであろう小径が。
道がどうつながっているのか調査してみたい気持ちはありますが、あの緑の電柱は新しいし、その下にもブレーカーボックスみたいな物が確認できるので、下手に行かない方がいいでしょう。
もしかしたら赤外線のセキュリティがあるかも知れません。
という訳で最後にフェンスを飛び越えてケーブルカーの駅です。
何だかサークルレインボーでも見えそうな空だなぁ~って思っていたら・・・
「店長!あれって何ですか?」とアキラ君。
うわっ!サークルレインボーどころじゃなかった!
幻の白い虹(ホワイトレインボー)でした!
意識して空を見ないと見逃す事もあるのですが、滅多に観れない虹なのでビックリしました。
電線が邪魔ですが、神秘的な空です。
そして北側の景色。
向こうに星の駅(掬星台)が見えます。
摩耶ケーブルはまだ営業時間前です。
ここを転がり落ちて行けば下山は早そう!とかは言いっこなしです。(笑)
ちなみに摩耶ケーブルは摩耶観の建設よりも、4年以上前の大正14年に開業です。
上野道に合流する前の小径でルリビタキに出会いました。
鮮やかで可愛らしかったので、撮影しようとしたらアキラ君が・・・
「えっ!店長どうしたんですか?」って・・・急に声出すんじゃねぇよ!(苦笑)
向こうの木の枝まで逃げられて、ルリビタキって判らなくなってしまった。(涙)
そして上野道と合流。
ここの廃墟や虹の駅の上に今も残る『摩耶花壇』跡なども、第二次世界大戦前後の摩耶山が一大リゾート地だった事を表す遺構だったりします。
僕の幼少の頃には摩耶山に続く(代わる)新たなリゾートとして発展した、六甲山ロープウェイが既に賑わっていたので、小学5年生の頃に初めて六甲山牧場へ行った時にようやく登った・・・っていうくらい、当時は地味なイメージしかなかったです。
当時のトレンドは阪急六甲から徒歩又はバスで六甲ケーブル下駅まで行き、山上駅でロープウェイに乗り換え、更に天狗岩駅でまた乗り換えカンツリーハウスまで行く。
現在六甲枝垂れのある所には回る展望台があって・・・
僕は六甲フィールドアスレチック全50種(現在は40種になっているらしい)を完全クリアするまで、6歳から10歳まで毎月平均3回はカンツリーハウスに通っていました。(冬はスキーの練習)
たっぷり遊んだ後は有馬温泉までロープウェイで下り、マス釣り池で釣ったマスをフライにして食べ、温泉会館(現:金の湯)やヘルスセンター(現:太閤の湯)で湯に浸かり、帰りは神戸電鉄で爆睡・・・最高の日曜日でした。
当時の物価で考えるとケーブルカー&ロープウェイのチケットだけでもかなり高価だった覚えがあるので、祖父母や父親には本当に随分と贅沢な遊びをさせてもらっていたものだと思う。
あの頃は須磨浦山上公園も今より賑やかで遊具も多かった。
須磨水族館にも遊園地があり、ボーリング場や映画館などの娯楽も多く、ポートピア81以降はポートピアランドもあり、宝塚ファミリーランドも賑わっていた当時は、今とは到底比較できない程・・・街全体がイキイキしていたと思う。
本当に目に見えるものすべてが夢と希望に満ち溢れていました。
きっと摩耶山にもそんな時代があったんじゃないかと思います。
そしてインターネットにスマートホン、ネット販売・・・これからは自動運転や自動ブレーキの自動車が一般化して・・・
便利なものが増えるのは構わないけど、味気ない・・・つまらない世の中になっていき、それに気付いて「このままではまずい!」と考えられる人は既に中高年世代。
もう気付いても行動に移せない年齢になりつつあるだろう。
そして動画や音楽コンテンツで、映画館も必要とせず、CDも買わなくて済んでしまう世代が増えてしまうこれから。
娯楽施設が賑やかだったあの頃を知らない人たちの未来って、一体どうなるんだろう?っていう一抹の不安が脳裏を過る。
全てが家から出なくても賄える時代・・・考えただけでゾッとします。
大勢の人が訪れて賑わう街っていうのは、時にアナログの良さを肯定する勇気を持つ事も必要とされるんじゃないか?と思う訳ですよ。
音楽だってデジタルもいいけど、アナログプレーヤーの方が味わい深いし、それを聴くスピーカーによっても音の深みが変わってくる。
自転車だって似たようなもので、最近スチールフレームやチタンフレームに興味を持ってくれる人、或いは原点回帰してくれる人が増えつつあり・・・
やはり『軽さこそが正義』っていう事がすべてではない!っていう事に気付き始めた人もいるってことに、自転車屋の店主としてではなく・・・自転車マニアの一人として素直に嬉しいと感じています。
そして今になって昭和の一番輝いていた時代に、この神戸で生まれ育った事を心から感謝しています。
ロードバイクも1990年代~2000年と、世界の各メーカーが輝いていた時代に競技者として接する事ができて幸せでした。
90年代はロードバイクに限らず本当に素晴らしい自転車が多くて、あれもこれも乗ってみたいし、心から欲しい!って思える自転車ばかりでした。
最近の自転車に職人の息吹も感じなければ、メーカーのコンセプトやこだわりにも深みや伝統を感じる事がない。
古き良き昭和の影を見てしまうと、ついそんな事をあれこれ考えてしまいます。
旧天上寺から降りて来る道と合流しました。
ここから先はアキラ君も過去に歩いた事があるルートです。
所々で写真撮影をしながらではありますが、軽く小走りくらいのペースで下っています。
必死に追いかけて来るアキラ君・・・既に膝が笑っているらしい。(笑)
僕はお構いなしにペースを上げて行きます。
展望が開けてきました。
もう一度観たかったけど、白い虹は消えてしまいました。
このくらいの日差しの方が暑くなくていいですね!
そして五鬼城公園まで来ると綺麗な紅葉が・・・
アキラ君がおもむろに鉄棒で懸垂を始めたのですが・・・1回で終わり。(笑)
僕は体重が増えたとはいえ、まだまだ10回以上はできるわい!(実際に最近だとアクトスでトレーニングしている時に懸垂もしていて、間違いなく10回以上できていた)・・・と思ったら、ここ最近の肩甲骨周りの痛みが原因で・・・1回も上がらない!
ショックで泣きそうでした。
これでも20代の頃は勢いをつけずに懸垂は100回以上できて、腕立て伏せも3分で300回とか・・・オフシーズンのトレーニングで実践していたので、当時は『筋肉番付』に出たら余裕で優勝できると周りの友人からも出場を勧められる程だったのですが・・・
もう本当に情けない!としか言いようがないですね。(苦笑)
とりあえず早く寝具を買い替えて、次の日の身体に疲れの残らない環境づくりをしたい。
もう随分と落葉しちゃってますが、ギリギリ秋の終わりを楽しめたって感じでしょうか。
それにしても何がしんどいって、ここから車を停めている灘丸山公園まで歩くのが地味にしんどいという・・・笑。
正面向こうに神戸ユニオン教会が見えています。
「また摩耶山か?」って思う方もいるでしょう。
またではありますが、摩耶山にもまだ歩いていないルートが複数あります。
このほかに登山地図上の点線ルート(中~上級者向け)もあれば、点線すらないバリエーションルートも存在する。
今回は行ってみたい所があって、そこへ行くルートを探すのが目的。
前に一度H川様とミワさんと3人で向かって、最後の最後でルートが判らなくなって、とんでもない急斜面を木の根っこを頼りに、まるでジャングルジムのように登った恐怖のルートですが、そのルートには必ずもっと登りやすいルートがあったはずだという確信があり、それを探るのが今回の最大の目的。
根拠は行者小屋の手前に書かれていた案内。
西=虹の駅、北=本谷(危険)とあって、実際に本谷のルートも少なくとも3つ(それぞれが更に枝分かれするので、バリエーション数はもっと多い)あるルートの内2つは歩いた訳だ。
ひとつはタフな尾根道で、もう一つはスリットダムとゴルジュ帯を登る・・・とても神秘的だけど最後は急斜面という危険なルートでした。
しかしそれでもあの虹の駅直下のジャングルジムみたいな急斜面に比べたら、本谷のルートの方が簡単だった訳。
そこをあえて「本谷=危険」と記したからには、虹の駅へ向かうルートにはもっと楽なルートがあるのだけど、前回は単純にそれを見つけられなかった!って考えるのが自然。
そこも一度は歩いてみたいけど、早く着き過ぎたら面白くない。(それに通行止扱いになっている)
ただそれだけの理由でまだ歩いてはいない。
という訳で、行者小屋までは通常通り本谷(点線ルート)を進む。
点線ルートなので僅かな踏み跡や、木に巻き付けたリボンやテープを頼りに歩きます。
リボンやテープは少なくとも誰かしらが歩いて巻き付けたものなので、「一応ここは歩けますよ!」って意味にはなりますが、ダム関係者や関西電力などの作業スタッフが使う専用道の場合もあるので、必ずしも登山道として有効な道ばかりではないという事だけは理解しておかないと・・・とんでもない回り道をさせられたり、酷い場合は行き止まりになって進めなくなってしまう事もあります。
知らない道を歩くという事は、常にそういうリスクが付きまとってくる訳で、逆に言い換えれば・・・そこがたまらなく蜜の味。
数日前にイノシシの大家族が通行したであろう痕跡があちこちに残る。
お陰で登山道は凸凹。
足を取られて挫かないように気を付けましょう。
しばらくは沢沿いに歩くので、こういった場所ではリボンも見当たらなかったりします。
あと山歩きの基本事項として知っておいて欲しい事は、沢沿いや周辺よりも標高の低い場所を歩くことは危険だという事。
沢沿いはダムや滝があって踏み外して転落するリスクがある。
それに岩場で滑って転倒するリスクもある。
野生動物が水場や餌場とする可能性も高いので、山によってはクマに遭遇するリスクも増します。
突然大雨が降ったら鉄砲水の可能性もあるので、水の近くでビバークするなどは論外。
ある程度は地形でそのリスクの度合いも判断できるけど、基本的に安全ではないという事だけは知っておく必要があります。
さらに周辺よりも標高の低い位置を歩くリスクは・・・奈良や和歌山の山地では古くから『ヒダル』という妖怪に憑かれるという迷信があり、実際にそれが原因で亡くなった遭難者も多いのです。
これは現在では正体も判明していて、妖怪ではなくハンガーノック或いは二酸化炭素中毒が犯人なんですけど・・・
特にその後者は・・・空気の流れが悪い窪地などを歩くと二酸化炭素中毒になってしまうという現象です。
森の木々も呼吸をしています。
昼間は太陽の光を浴びて光合成が働くので、呼吸で吐き出す二酸化炭素よりも光合成で吸い込む二酸化炭素の量及び酸素を吐き出す量の方が多いのですが・・・
夜間は純粋に呼吸しかしていません。
なので深夜や早朝の森林の窪地は危険なのです。
窪地ゆえに落ち葉も溜まりやすく、それらが腐敗して発生した二酸化炭素も含めると、かなりの二酸化炭素濃度になっているというものです。
二酸化炭素は比重が重いので窪地に溜まりやすく、風の吹かない時は特に注意が必要です。
実は六甲山系にもそういったスポットが数多く点在しており、急に身体が重くなったり怠くなった経験をした人もいるかも知れません。
なので登山において、困った時には高い所に登る事!・・・が鉄則だったりします。
まあ普通はこんな登山マップにも点線でしか記されていないようなルートを好んで歩く人はいないでしょう。
当然登山道としての整備も一切されていません。
だからこそ・・・ここのルートが楽しい訳なんですけど。
以前本谷ルートで女の人の笑い声を聞いて以来、アキラ君はここのルートを怖がっているみたいなんです。
この日も終始ソワソワしながら僕について来ていました。(笑)
世の中には道なき道を好む変態さんが沢山いるって事ですね。(笑)
思えば僕が山好きになったきっかけは川口探検隊だったと思います。
前人未踏とか、得体の知れない脅威とかって言葉にワクワクして、そしたらたまたま当時住んでいた場所の裏山が二子山と石楠花山だった・・・みたいな。
それに植村直己さんやトムソーヤの冒険の影響も大きかったですね。
M籏君はきっかけはともかく、加藤文太郎さんの影響を大きく受けて登山に目覚めてしまったみたいですし・・・
僕もこれまで色々な人の影響というものを受けて生きてきました。
高いモチベーションは意外にも他人様から受ける影響だったりしますよね。
写真はその右手を見ています。
この先にも道があるんじゃないかと思っているのですが、誰も歩いた跡がないのでいつも気にはなるけどスルーしています。
きっと沢沿いにいくつかダムを越えて行って、最終的には山寺尾根と合流するルートがありそうなので、いずれ探索してみたいと思っています。
ここから先は点線ですらないルートです。
問題はこのダムの先・・・
以前はルートが判らなくなって、とりあえず真っ直ぐ登れば虹の駅のどこかには出るだろう!っていう単純な理由で真っ直ぐ登ったら、凄まじい急斜面だったというオチです。
今回はダムの左手側に踏み跡を見つけて進むと・・・
リボンを発見!
つまりこっちの方が登りやすいですよ!という意味にも捉えられる。
アキラ君は急斜面ポイントを何とか登り切ってホッとしています。
だいたいはこんな感じの道。
そして誰かの落とし物(杖)が立てかけてありました。
という事は最近の間に少なくとも2組(2人)以上の登山者がここを歩いたって事なんでしょう。
マイナーなルートなのに歩く人は結構いるんですね。
星の駅(掬星台)が見えます。
ほとんど人が歩かないルートなので、どこもかしこも倒木で荒れています。
足場も所々崩れやすい箇所があったのでやや歩きにくかったです。
そしてようやく尾根に出てきた感じです!
尾根に出て左を向きました。
道らしき踏み跡が続いています。
きっとこの道はスタート地点直後から分岐する虹の駅までの最短ルートですね。(そのルートは訳あって現在通行止扱いになっている)
という事は・・・
やはり見えてきました!
悪魔の森の奥深く~にある『蝋人形の館』とかではありませんよ。(最近の若い人には意味が判らないかも・・・笑)
これです、僕が元々歩いてみたかったルートです。
クマか野獣でも現れたのでしょうか?
ここは神戸に現存する聖地のひとつ。
『廃墟の女王』の異名を持つ摩耶観光ホテルです。
北アルプスで言えば薬師岳や燕岳みたいな存在?(山好きにしか解らないネタです)
中から誰か見ていたりしないでしょうか?
ワクワク・・・
アキラ君はビクビク・・・(笑)
中に侵入しようと思えば、どこからでも侵入できます。
しかし現在は廃墟であっても無断で侵入した場合は不法侵入扱いで罰せられます。
摩耶観は長らく心霊スポット扱いで、肝試しや写真撮影で侵入する人が後を絶たない場所でした。
時にはホームレスさんの住居になっていた事もあるので、所々生活ゴミが散乱している箇所もあります。
また野生動物の棲んでいた形跡も過去に確認されています。
そういう場所ではございますが、長崎の軍艦島などと並んで廃墟の聖地とされている場所ですので、今では廃墟巡りツアーなどでここも大々的にクローズアップされるようになってきました。
むしろ天空の城ラピュタみたいな場所です。
恐らくここから侵入して生活していた人がいたのでしょうね。
内部から上階に上がる訳にはいきませんので、我々は建物に沿った外階段を登ります。
立ち入り禁止のフェンスさえなかったら雰囲気のある写真が撮れそうだ!
向こうにはグラウンドがあって・・・みたいな。
今にも職員室から出てきた先生が目の前を横切って行きそうな雰囲気です。
あれが職員室の出入口・・・スライド扉じゃないんですね。
いやいや・・・きっと食堂室(ダンスホール)の従業員用出入口でしょう。
で、こちらがお客様用の出入口だったんじゃないかな?
僕らの歩く右手には恐ろしい急斜面が・・・
以前はあの向こうを登って虹の駅のロープウェイ乗り場に辿り着いたんですね。
落ちたらどこまでも転がって行きそうです。
しかし・・・
摩耶観光ホテルはしばしば『美しい廃墟』と評される事があるけれど、まさにその通りだと思う。
ここのステンドグラスが生きていたなら、更に廃墟としての価値を高めていたであろう。
当然の事ですが、我々は中には入りません。
手前にこれより入るな!って意味の欄干があります。
それにしてもセコムのステッカーが違和感・・・笑。
摩耶観光ホテルは昭和4年に建設されて、昭和45年に廃業ですから・・・
恐らく不法侵入者に向けての威嚇でしょうか?
昭和49年以降で学生向けの合宿施設として利用されていた時期があったらしいのですが、僕の記憶では利用者の出入りする姿を見た覚えがありません。
虹の駅から摩耶観光ホテルまで続く回廊の下です。
ここから向こうへ抜ければ、その昔パターゴルフとか様々な遊具があった山上遊園地に続く道に繋がっているのでしょう。
僕が生まれるより昔は摩耶山も立派な山上リゾートだったに違いありません。
我々はこのまま外階段を登り回廊の入口と合流する形で摩耶ケーブル山上駅に到着。
別名『軍艦ホテル』とも呼ばれていたそうですが、船のデッキをイメージして作ったそうなので、言われてみたら解らなくもありませんね。
内装や装飾には当時解体されたばかりの『ふらんす丸』という豪華客船の内装を買い取って使用していたそうです。
山上に建つ豪華客船のようなリゾートホテル・・・
今も健在だったら神戸市のイメージにピッタリのインスタ映えスポットになっていたでしょうね。
あとセコムはただのハッタリではなく、ちゃんと設置しているみたいです。
南側へ延びる客室などがある建物でしょうか?
その下には先ほども書いた通り、山上遊園地跡へ向かうであろう小径が。
道がどうつながっているのか調査してみたい気持ちはありますが、あの緑の電柱は新しいし、その下にもブレーカーボックスみたいな物が確認できるので、下手に行かない方がいいでしょう。
もしかしたら赤外線のセキュリティがあるかも知れません。
何だかサークルレインボーでも見えそうな空だなぁ~って思っていたら・・・
「店長!あれって何ですか?」とアキラ君。
うわっ!サークルレインボーどころじゃなかった!
幻の白い虹(ホワイトレインボー)でした!
意識して空を見ないと見逃す事もあるのですが、滅多に観れない虹なのでビックリしました。
電線が邪魔ですが、神秘的な空です。
そして北側の景色。
向こうに星の駅(掬星台)が見えます。
ここを転がり落ちて行けば下山は早そう!とかは言いっこなしです。(笑)
ちなみに摩耶ケーブルは摩耶観の建設よりも、4年以上前の大正14年に開業です。
鮮やかで可愛らしかったので、撮影しようとしたらアキラ君が・・・
「えっ!店長どうしたんですか?」って・・・急に声出すんじゃねぇよ!(苦笑)
向こうの木の枝まで逃げられて、ルリビタキって判らなくなってしまった。(涙)
そして上野道と合流。
ここの廃墟や虹の駅の上に今も残る『摩耶花壇』跡なども、第二次世界大戦前後の摩耶山が一大リゾート地だった事を表す遺構だったりします。
僕の幼少の頃には摩耶山に続く(代わる)新たなリゾートとして発展した、六甲山ロープウェイが既に賑わっていたので、小学5年生の頃に初めて六甲山牧場へ行った時にようやく登った・・・っていうくらい、当時は地味なイメージしかなかったです。
当時のトレンドは阪急六甲から徒歩又はバスで六甲ケーブル下駅まで行き、山上駅でロープウェイに乗り換え、更に天狗岩駅でまた乗り換えカンツリーハウスまで行く。
現在六甲枝垂れのある所には回る展望台があって・・・
僕は六甲フィールドアスレチック全50種(現在は40種になっているらしい)を完全クリアするまで、6歳から10歳まで毎月平均3回はカンツリーハウスに通っていました。(冬はスキーの練習)
たっぷり遊んだ後は有馬温泉までロープウェイで下り、マス釣り池で釣ったマスをフライにして食べ、温泉会館(現:金の湯)やヘルスセンター(現:太閤の湯)で湯に浸かり、帰りは神戸電鉄で爆睡・・・最高の日曜日でした。
当時の物価で考えるとケーブルカー&ロープウェイのチケットだけでもかなり高価だった覚えがあるので、祖父母や父親には本当に随分と贅沢な遊びをさせてもらっていたものだと思う。
あの頃は須磨浦山上公園も今より賑やかで遊具も多かった。
須磨水族館にも遊園地があり、ボーリング場や映画館などの娯楽も多く、ポートピア81以降はポートピアランドもあり、宝塚ファミリーランドも賑わっていた当時は、今とは到底比較できない程・・・街全体がイキイキしていたと思う。
本当に目に見えるものすべてが夢と希望に満ち溢れていました。
きっと摩耶山にもそんな時代があったんじゃないかと思います。
そしてインターネットにスマートホン、ネット販売・・・これからは自動運転や自動ブレーキの自動車が一般化して・・・
便利なものが増えるのは構わないけど、味気ない・・・つまらない世の中になっていき、それに気付いて「このままではまずい!」と考えられる人は既に中高年世代。
もう気付いても行動に移せない年齢になりつつあるだろう。
そして動画や音楽コンテンツで、映画館も必要とせず、CDも買わなくて済んでしまう世代が増えてしまうこれから。
娯楽施設が賑やかだったあの頃を知らない人たちの未来って、一体どうなるんだろう?っていう一抹の不安が脳裏を過る。
全てが家から出なくても賄える時代・・・考えただけでゾッとします。
大勢の人が訪れて賑わう街っていうのは、時にアナログの良さを肯定する勇気を持つ事も必要とされるんじゃないか?と思う訳ですよ。
音楽だってデジタルもいいけど、アナログプレーヤーの方が味わい深いし、それを聴くスピーカーによっても音の深みが変わってくる。
自転車だって似たようなもので、最近スチールフレームやチタンフレームに興味を持ってくれる人、或いは原点回帰してくれる人が増えつつあり・・・
やはり『軽さこそが正義』っていう事がすべてではない!っていう事に気付き始めた人もいるってことに、自転車屋の店主としてではなく・・・自転車マニアの一人として素直に嬉しいと感じています。
そして今になって昭和の一番輝いていた時代に、この神戸で生まれ育った事を心から感謝しています。
ロードバイクも1990年代~2000年と、世界の各メーカーが輝いていた時代に競技者として接する事ができて幸せでした。
90年代はロードバイクに限らず本当に素晴らしい自転車が多くて、あれもこれも乗ってみたいし、心から欲しい!って思える自転車ばかりでした。
最近の自転車に職人の息吹も感じなければ、メーカーのコンセプトやこだわりにも深みや伝統を感じる事がない。
古き良き昭和の影を見てしまうと、ついそんな事をあれこれ考えてしまいます。
旧天上寺から降りて来る道と合流しました。
ここから先はアキラ君も過去に歩いた事があるルートです。
所々で写真撮影をしながらではありますが、軽く小走りくらいのペースで下っています。
必死に追いかけて来るアキラ君・・・既に膝が笑っているらしい。(笑)
僕はお構いなしにペースを上げて行きます。
展望が開けてきました。
もう一度観たかったけど、白い虹は消えてしまいました。
このくらいの日差しの方が暑くなくていいですね!
そして五鬼城公園まで来ると綺麗な紅葉が・・・
アキラ君がおもむろに鉄棒で懸垂を始めたのですが・・・1回で終わり。(笑)
僕は体重が増えたとはいえ、まだまだ10回以上はできるわい!(実際に最近だとアクトスでトレーニングしている時に懸垂もしていて、間違いなく10回以上できていた)・・・と思ったら、ここ最近の肩甲骨周りの痛みが原因で・・・1回も上がらない!
ショックで泣きそうでした。
これでも20代の頃は勢いをつけずに懸垂は100回以上できて、腕立て伏せも3分で300回とか・・・オフシーズンのトレーニングで実践していたので、当時は『筋肉番付』に出たら余裕で優勝できると周りの友人からも出場を勧められる程だったのですが・・・
もう本当に情けない!としか言いようがないですね。(苦笑)
とりあえず早く寝具を買い替えて、次の日の身体に疲れの残らない環境づくりをしたい。
もう随分と落葉しちゃってますが、ギリギリ秋の終わりを楽しめたって感じでしょうか。
それにしても何がしんどいって、ここから車を停めている灘丸山公園まで歩くのが地味にしんどいという・・・笑。
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