2023年2月25日土曜日

新たなトレンドの流れ?

 


最近自転車も旧車の良さをしみじみと味わう事が地味にトレンド化してきたように思う。


勿論当店のような業態だと基本は新車を売ってナンボの商売なのだが、古物取り扱いの免許も持っているので、今後はこういったビンテージバイクを売るようにシフトしてみるのも悪くない。

しかし当店がそもそも中古自転車を取扱いしてる事をネットでも紹介されているためか、「中古の自転車って扱っているんですか?安くて乗れたらなんでもええねんけど?」って問い合わせも実際のところ多く、対応するたびにストレスを感じる事があります。

店のポリシーには乗れたらなんでもいい!って言葉(価値観)が存在しません!

車と同じで今後何年経っても価値が落ちる事のない希少な名車か、元々のオーナーが大切に手入れしてきた新車並みに状態の良い中古車両しか僕は取り扱いしたくない。

特に名車と呼ばれる車両については、80年代と90年代の自転車をよく知っているという事が取り扱う際に真価を発揮する。

90年代後期に進化し尽くした『本物のロードバイク』が僕にとってのすべての基準になっている。

ここでいう『本物』とはどういう意味か?

メーカーによって使うパイプも違えば、ラグ(パイプ接続部の金具)も違う。

パイプを加工してみたり、装飾にこだわってみたり。

その使用するパイプの特性も含めて、ジオメトリーがフレームの性質や性格を決定付ける。

それを更にどう活かすかを味付けするのがフロントフォークである。

かつての自転車メーカーには選手目線でフレーム造りをする名工が何人もいた。

溶接や後付けの加工も必要ない非金属であるカーボンモノコックフレームでさえ、当時のメーカーはそのフレームを供給する選手の走りを研究して、ジオメトリーや剛性を考えて金型を作っていたはずだ。

ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリア、ワールドカップで活躍する選手たちと名工たちが二人三脚で自転車フレームを生み出していた時代は、僕の知る限りでは2005~2006年頃を境目に急激に減少したように思います。

そういう職人の想いが込められた作品を、僕は『本物』と呼んでいます。

それ以降は軽さが正義だったり、硬さが正義だったり、空気抵抗削減が正義の時代へと推移して、それらを自由に設計出来てすべての要素を実現できるカーボンフレームがすべてのロードバイクの頂点に立ってしまう。

だが僕の理論では・・・軽さは確かにあると嬉しい。特にヒルクライムで自転車の軽さがタイムに影響するというのは単なる都市伝説ではない。しかしそこまで軽さが必要か?と言われると、それよりは全体のバランスが重要だと強く訴えたい。なぜなら乗り手の体重や筋力によっては剛性不足だったり、筋力が無く体重の軽い人には硬過ぎる場合もあるからだ。

硬さは人によって、特に初心者で運動経験の少ない人や女性にとっては踏み出しが軽いという意味で正解だが、レースやロングライドにおいては膝や腰にダメージを蓄積させる諸刃の剣とも言えるので、長くロードバイクを楽しんでもらいたい当店のコンセプトでは基本的に勧めない要素である。

エアロロードについては、空気抵抗の事ばかり考えたフレームの落とし穴として、翼断面状のパイプ形状で元々縦剛性が高い上に、捻じれ剛性を意識し過ぎて更に硬いフレームになりがち。だからしなりが発生しにくいので巡行性能はかなり低く、最高速の伸びもいまいち。基礎体力やライディングフォームを徹底的に訓練した人じゃないと乗りこなせない。

わざわざエアロロードを選ぶ必要がないと思える根拠としては、自転車の空気抵抗の80%以上は乗っている人間が占めているからであります。つまりエアロロードの効力は40km以上の距離で競うタイムトライアルで、世界最高峰クラスの選手が僅か数秒のタイムを競い合う時に発揮するレベルだと知ってもらいたいのです。

ところで現在の自転車業界の面白くないところは、各メーカーが台湾や中国を中心にアジアでフレームの製造をしているところ。

かつてメーカーごとの良さがあった時代とは違い、現在は欧州の自動車産業と同じで自転車業界も完全にモジュール化されているのである。

例えばカーボンフレームの金型をパーツ分けして組み換えをすれば全く違う見た目や乗り味の異なるフレームにできてしまうので、実際のところ同じ工場で素材やパイプの形状など似通った製品が多く作られていて、それにメーカーごとのロゴを付けているというのが残念なポイントである。

2000年以降中国が自転車生産量と輸出量で世界一になった時から自転車は品質よりも低コストが当たり前になったのだが、それを台湾のGIANT社とMERIDA社が、ライバルの垣根を越えて手を取り合ったから、台湾製の自転車は価格競争に巻き込まれることなく高品質な自転車を生産できるようになったという点では、台湾製自転車の信頼性は間違いないのだが、単なる工業製品に成り下がった感が否めないというのはどうしても付きまとう。

つまり今の現行モデルの多くが、当時のロードバイクとは開発のコンセプトからして全くの別物であり、職人の魂も感じない無機質なものがほとんどであると言いたいのだ。

ところがそうは言っても、例えば無機質なフレームの代表みたいなカーボンモノコックフレームの中にも、レーサーの求める物が何かを解った人が設計し、作り出されたフレームであれば、間違いなく乗った瞬間に笑みがこぼれるものだって少なくはないので一方的に否定している訳ではない事をご理解頂きたい。

対するビンテージバイク。

他人によっては所詮中古かも知れないが、名車には当時の情景が焼き付いている。

フレームビルダーの情熱や匠が今も根付いている。

それとは別でロードバイクを本気でやりたいのだったら、「まずは鉄に乗れ!」って言うのは時代に関係なく常識だったりします。

スチールフレームは合金の種類によっても変わりますが、判りやすい例で言うならレイノルズの得意なマンガンモリブデン鋼のフレームなんかは、しなってその反動で推進力を増す自転車フレームが作れるので、乗り心地もよく巡行性の高さも誰にでも体感できるレベルである。

本格的なレーサー程、硬いフレームを好む傾向が強いが、例えばクロモリ鋼なら、一般の人でも程よい硬さとしなりや伸びをバランスよく感じられる。

要するにスチールフレームのロードバイクこそ、楽しく長く走る為に必要な要素を兼ね備えているという事。

乗り手を大きな故障もなく安全に成長させてくれるのもスチールの良さ。

しかも合金の違いや加工一つでレーシーな乗り味のものまで作れてしまう。

ちなみに僕は個人的にコロンバスのニバクロム鋼で作ったフレームが一番好き。

硬くて軽量化の為に肉薄化したフレームの場合、応力による金属疲労で溶接箇所が割れるなど、耐久性にはやや難ありなのだが、しなった後の反発の速さや、推進力に変わるタイミングが鋭くて、キレのある走りが楽しめたからである。

僕は今でも97年スペックのデローザ・ネオプリマートの乗り味が忘れられない。

デローザのスチールフレームはチェーンステーが菱形に潰し加工されていて、それが反応の良さを生み出している。

また97年スペックはラグ溶接タイプではなく、ユニクラウンタイプの武骨なフロントフォークだったのだが、このフォークがまた下りのコーナーリング時に時速70kmオーバーのスピードで突っ込んで行っても恐怖を感じないくらい、コントロール性と剛性のバランスが高次元で成り立っていたんですよね。

あんなにレーシーな走りに耐えられて、安心して自分の命を預けられる自転車はそうないと思う。

勿論僕は2000年以降の自転車でも名車と思える自転車には何台も出会ってきましたが、90年代に比べたら所有しても乗ってみても感動できる名車は大幅に激減したなぁ~というのが素直な感想。

幸い、うちの店は他店と被らないようにラインナップを揃えた結果、初心者に優しいコーダーブルームがあり、初心者からプロまで唸らせるエヴァディオに加え、ビクシズという唯一無二のブランドも扱いさせて頂いています。

どれも価値のある自転車を提供してくれます。

ビクシズに至っては150万円かけて完成したロードバイクが、30~50年後には1000万円以上の価値になる可能性すらある作品です。

まあそんな姿勢で自転車と向き合っているのが当店のポリシーなんですが、嬉しい事に最近は真剣に自転車の良さを知りたくて当店に通ってくれるお客様も少なくありません。


僕が初めて乗ったロードバイクが三連勝カタナだと聞いて、それが欲しくなったと購入したK様のカタナです。

スチールフレームの良さと、昔ながらのダブルレバー方式の変速フィーリングを体感してみたいという要望を叶えるべくオールドパーツで仕上げた1台。

歴史的背景として1993年にシマノがSTIレバーという現在の変速システムを発表。

同時にイタリアのカンパニョーロ社もエルゴパワーシステムを導入。

ハンドルを握りながら変速ができるようになってレースシーンは大きく変わりました。

1995年の夏、当時まだ震災後で神戸は街の復興も完全には終わっておらず、あちこち傷跡だらけの風景でしたが、そんな中で生き甲斐とか生きている実感を味わう為に新しい事に打ち込もうという気持ちもあって、春から僕が始めたのがサイクリングチームの設立であり、夏頃にはロードバイクのメンバーも増え、MTBに乗っていた僕もロードを買わざるを得ない状況になっていました。

当時のロードバイクは完成車がなかなか無く、完全なるレース機材として売られていた為、フレームとパーツをすべて自分の好みでアッセンブルして組み立てた場合、どんなに安いものでも30万円は下らない高級品でした。

入門者向けに各ショップでは、ショップオリジナルのロードバイクを少しでも安く販売していたりしたものだが、その場合は20万円足らずで作れるものの、レースで走るにはスペックも低く、何か物足りないものが多かった・・・

そんな中でロードバイクを新車で買う予算を持っていなかった当時の僕は、サイクルスポーツ誌の『売ります買いますコーナー』で中古の三連勝カタナを買いました。

オーダーフレームで533mmというイレギュラーなトップチューブ長で、身長174cmでこれからロードバイクを始める僕にはちょうど使いやすいサイズでした。

雑誌やロードバイクの教本みたいなものは根こそぎ購読していたので、自分にピッタリ合うサイズがどのくらいなのかは研究済みでした。

なお元のオーナーさんの計らいで使わなくなったパーツをおまけで追加してくれました。

震災被害の事も気にしてあれこれお気遣い頂いたんだと思います。

パーツは今は消滅したサンツアーというメーカーのSLというグレードで、2×7速のコンポーネントでしたが工夫すれば8速にも対応します。

ホイールは旧式のボスフリータイプでしたが、7速のスプロケ(12Tー21T)付きのアラヤ・エアロ4のチューブラーホイール前後をやはり中古で譲って頂きました。

当時はチューブラータイヤが全体の9割近いシェアを誇っていたのですが、実際にチューブラータイヤの方がレース向きの高品質なタイヤが多く、僕がチョイスしたクレメンのクリテリウムというタイヤは、しなやかさとコントロール性の高さが非常に素晴らしいタイヤでした。

当時車重9kgを割れば軽量と言われた時代です。

乗鞍に出場するようなヒルクライムマニアですら、まだ7kg台のロードバイクで超軽量を謳っていたのが懐かしい。

僕の三連勝は9.1kgとスチールバイクとしては十分軽量に仕上がっていましたが、ダブルレバーだったので、僕がレースにデビューした96年以降のレースシーンにおいては完全に負け組の装備でした。

STIレバー勢に対抗する為の僕の武器は?というと、フロントチェーンリングをシュパーブプロの54T×42Tにし、スプロケは12Tー21Tの組み合わせを駆使してスプリント力と最高速でカバーするしかないというものでした。

表彰台を狙う選手はみんなSTIレバーを使っており、そこに混ざってダブルレバーの僕が54T×12Tのギアを回し切って先頭を刺し返すために猛追。

いつも2位とか4位とかでなかなか優勝できませんでしたが、ダブルレバーでもまだまだレースで走れる事を証明したくて意地になっていたとは思います。

そんな当時の思い出も含めて、僕にとってはレーサーとして成長させてもらったロードバイクが三連勝だったもので、お客様が僕の思い出話を聞いて同じ三連勝カタナを購入してくれた時はとても嬉しい気持ちになりました。


これは以前にも掲載した96年のつがいけサイクルで初めてヒルクライムレースに出場した時のゴール後の写真です。

6月なのにまるで『雪の大谷』みたいな景色の中を走ったレースでした。

僕は元シドニーオリンピック代表の鈴木雷太さんと同じクラスで走り、彼のロケットスタートに付き合って序盤の5kmをかなりのオーバーペースで走った為、後半でペースが崩れて大幅に順位を落としてしまい、1時間13分36秒という平凡なタイムでゴールしたのですが、これが切っ掛けでヒルクライムにハマってしまうのでした。

翌年にはホイールを新調し8速化していました。(最初のホイールは下り坂を時速80km程で下っている際に轍にハマってグチャグチャに壊れる。)

アルテグラのハブにFIRのシリウスというリムで組んだのですが、この時にお世話になったのが、川西は鼓滝にあるサイクルショップカウボーイ。

そこの店長が僕にとってホイール作りの師匠にあたります。

結局98年の8月中頃まではこの三連勝カタナでダブルレバーのままレース活動をしていました。

そんな事を話していたら僕もまた、改めてスチールバイクに乗って初心に帰りたいなぁ~なんて気持ちになりまして・・・

実は博物館級のレアなスチールフレームを手に入れて、近いうちにそいつを復活させようと目論んでおります。

『エヴァディオ・ヴィーナスRS』や『ビクシズ・パトス』など、世界最高のロードバイクを所有していながら、今の僕にはそれをレースで乗りこなすだけの実力がありません。

もう一度『鉄』からやり直して、今後のロードバイクとの向き合い方を考えたいと思っています。

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