以前自転車による日本縦断の世界記録を出したと、過去のブログでも紹介させて頂いた森脇さんが、先日当店に立ち寄って下さいました。
今は監督として若くて速いライダーの記録挑戦のサポートをしているそうです。
10日間で4880km!
現在、自転車による日本縦断のギネス記録保持者の落合佑介さんが、北アメリカ大陸横断にチャレンジするそうです。
素晴らしいチャレンジなので、是非成功して頂きたいと思います。
クラウドファンディングも立ち上げているので、応援してくれる人が増えると良いですね!
さて、僕も久しく失っている心ではございますが、チャレンジ精神について・・・
僕も子供の頃は「誰よりも先に誰も成し得ていない記録に挑戦したい!」ってチャレンジ精神が旺盛でした。
小中学生の頃F-1グランプリにハマって、高校卒業の頃は打倒シューマッハ!なんて夢も見ていました。
片山右京さんが高校卒業時に車の運転免許を取って、そこからレース活動をしてF3000での活躍からF-1に進んだって現実を目の当たりにして、お金が無くても努力とセンスがあれば可能性はある!
そう思っていました。
僕は以前にも書いたかも知れませんが、小学5年生になる前の春休みに継母の希望で実家を追い出され、一人暮らしをしていました。
同じマンションに住む祖母と義祖父のサポートを受けつつ、高校からは学費は自分で働いて工面していました。
不動産経営をしていた父親はバブルの崩壊で苦境に立っていましたし、祖父母に頼る事も出来ず、大学受験の費用と入学金を貯蓄する為に、高校卒業後派遣業に就職して、ホテルの配膳業をするようになる。
西元町のホテルシェレナをベースに、ヘルプでポートピアホテルや、北野クラブ、ハイアットリージェンシー、リーガロイヤル、ウェスティン、シルフィード(現コンチェルト)などで、主に結婚披露宴の配膳サービス及び、照明や音響などの演出を担当していました。
それをしながらどうせ浪人するならと、一流国立大学を目指して自宅で勉強していましたが、そんな事情もあってF-1レーサーへの道は諦める事に。
しかし刺激が無いと生きていけない体質だった事から、何か他人と競い合う競技がしたい!レースがしたい!という気持ちが高まり、自転車を本格的に始めたいと思うようになる。
同時に他人が聞いたらアッと驚くような事がしたいとずっと思っていて、子供の頃から自転車で世界一周とか、エベレストの無酸素登頂最短記録など、とにかく歴史に名前を刻みたいって事ばかり考えていました。
で小学校以来の友人と立ち上げたアウトドアサークルとは別に、新たにサイクリングチームを立ち上げる事にする。
初めての挑戦は四国を4日で一周でした。
僕の高校生の頃に計画していたヨーロッパ縦断の前哨戦として。
フィンランドのヘルシンキを出発して、スエーデン、ノルウェーを交互にスカンジナビア半島を南下し船でデンマークへ、更にドイツはメルヘン街道~ロマンチック街道を走りオーストリアへ、ザルツブルグ~ウィーンと巡ってからイタリア半島一周へ、モナコ経由でフランス入り・・・最後はスイスかイギリスか?そんなプラン。
若い頃の生島ヒロシさんの話も聞いていたので、毎日平均200kmを走って、主要な町で空手の実演とかストリートパフォーマンスをしながら食費や宿泊費を稼いで、ビザの期限内に走破できるように頑張ろう!っていう、少し思い切った計画でした。
かなり無謀な考えでしたが、「やってみないとわからない!」って話で進めていました。
ところが四国一周サイクリングで僕と友人には決定的な溝ができてしまう。
計画達成への執念や情熱が、2人の間であまりにも温度差があり過ぎた事。
友人は他人にアッと言わせるすごい事をやる!ってワードがモチベーションになっていましたが、僕はその先に『ツール・ド・フランス』で戦えるだけの選手にならないといけない!という目標が重なっていたので、パニアバック装着の30kg近くはあるMTBで、目標の平均時速は最低36km/h以上で走破するというとんでもない計画で考えていたのです。
そのくらいの走力が無ければヨーロッパのレースでは太刀打ちできないという感覚があったからなのですが、それが僕と友人を決定的に決裂させました。
最低平均時速36km/hはどこまで行っても最低目標だったので、あくまで僕の希望は平均時速42km/h以上。
高校の頃から毎月欠かさず購読していた八重洲出版の『サイクルスポーツ』で、ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアのリザルトを常に目にしていたので、各ステージの優勝者の平均時速を見ていると概ね42km/h以上である事が多いからである。
当時の僕にはまだ集団走行の恩恵など知る由もなかった為に、自力でそのスピードを維持できる持久力がないと戦えないのが、本場ヨーロッパのロードレース界だという認識でした。
どんなジャンルでもいい、日本人初!世界初!日本一!世界一!新たな発見であったりスポーツ等の記録であったり・・・何でもいいから歴史に名を刻む男になりたい!
そんな強烈な野望があったので、当時は一度やると決めたらどんなに辛くても最後までやり抜く精神力と、忍耐力を持ち合わせていました。
友人も当初は僕の意気込みに同調していたのですが・・・
高松東港から徳島の吉野川大橋を渡り切るまで1時間50分で走った辺りで、彼は僕に同調した事を後悔したらしい。
その後小松島のマクドナルドで補給するが、彼の判断力に僕は戸惑う。
ビックマックが100円だか150円だかのキャンペーンだったと思うが、まさかの一人で5個も購入したのである。(僕はダブルチーズバーガー2個)
なので最初は気を使って僕の分も買ったのかな?と思ったのですが、どうやらそういう訳でもなく、1人で5個食べれる気で買ったら3個しか食べれなかったらしい。
そこから友人のペースはドッと遅くなる。
食べ過ぎたのと休み過ぎて身体が動かなくなったらしい。
気合と根性で何とかしろ!と言ったら「お前がペースを落としてくれたらいいんじゃないのか?」と言い返される。
初日にして友人は完全に目的や目標を見失ってグロッキー。
結局僕が折れてゆっくりペースメーカーになって走る事になる。
もっと自分の可能性を引き出したかっただけに悔しかったが致し方ない。
そもそも徳島県の南部からスタートの予定が、震災直後でフェリーの発着場が変わってしまったのと、今みたいにスマホどころか携帯電話も普及されていない時代だった事もあり、友人の立てた計画に乗っ取って神戸東港に行ったら高松行きのフェリーしかなかったというオチ。
念の為の確認をしなかった僕にも責任はあるが、僕は僕で宿泊するホテルなど予約を入れていたので、本来は初日の宿泊は足摺岬の国民休暇村を目指すはずだった。
さすがに高松出発で足摺ゴールは初日で半周するようなものなのでキャンセルはしたものの、3泊目に泊まる高松の五色台の国民休暇村には最終日を楽しむ為に、料理内容までオプションで注文していた為、これだけは四国を一周したご褒美に楽しみたいという気持ちがあって、その為には2日目の宿泊は東予の国民休暇村まではさすがに無理でも、せめて松山市内(道後温泉)までは行きたいという願望があった。
つまり4日で一周の予定が3日で一周するくらいのペースで走らないとその計画は無理となる。
初日は少しでも距離を稼ぎたくて、僕としてはせめて須崎くらいまでは走りたかったが、結局は南国市野市の旅館で1泊。
初日で300km近い距離を9時間そこそこで走破したのは、今だったら良く走ったなと思えるのですが、自分の決めた平均時速を守れなかった事が悔しくて悔しくて。
足が痛いだの明日は雨が降るしリタイアしたいだの言っている友人に、イライラする気持ちを押し殺して励ましていたのが懐かしい。
実は四国一周サイクリングについては改めてちゃんと記事に書きたいと思っています。
とりあえず言える事は2日目は雨の中、須崎から中村までの区間で最長11kmの峠越えなどで身体を冷やし、四万十川で痛恨のパンク。
土砂降りの中でパンク修理に45分もかかってしまい・・・その後の足摺サニーロードで怪奇現象が立て続いた挙句、事故で怪我をして更に大型犬に追い掛け回される。
落車のショックで左腕が曲がらないし、出血も止まらない。
そんな状態でズタボロになりながら公衆電話で空きのある民宿を探していたら、友人は自分だけスーパーで弁当を買って呑気に食べている。
夕食の準備が終わったから素泊まりしか無理だと言われたのに、ずぶ濡れの僕らを見て暖かいご飯を作ってくれた女将さんの気遣いに感動して涙が出てきた。
それなのに「俺はもうお腹いっぱいでいらんから、食べたかったら俺の分も自由に食べてくれていいで!」という友人の無神経な一言に、とうとう僕の堪忍袋の緒が切れて爆発!
思わず殴り殺してやろうかと思うくらい怒り狂った(実際に怒りが限界を超えて胸を刃物で刺されたような激痛で15分くらい呼吸も辛くて動けなくなった)が、宿に迷惑を掛けられないので必死に押し殺し「腹いっぱいか何か知らんけどなぁ。人の好意を無駄にする奴はぶち殺すぞ!黙って死ぬ気で感謝しながら食え!食べきれない分は俺も死ぬ気で手伝うし食べ切るから、何があっても絶対に残すなよてめぇ!」って感じでもう修羅場でしたね。
全身の血が逆流しそう、或いは沸騰してしまいそうなくらいの怒りで胸を刺されたような激痛に襲われ、うずくまって動けなくなる現象を過去に3度経験しているが、そのうちの2度がその友人の発言や態度が原因だったので・・・いや、本当に何でつるんでいたんだろう?って思いますが、彼の名誉にかけてフォローすると、普段は周りへの気遣いができるイイ男だったんですよね。
その時から亀裂が大きくなって、友人が「足が痛い!死にそうだ!」って言えば、僕は「だったら勝手に野垂れ死んどけばええねん!俺は最後まで走り切るから、お前は勝手に腐っとけ!ボケ!」と罵り、僕は僕で所々で地図を見ながら距離と速度を計算し、泊まる宿を電話帳で探して彼に計画を伝えても無視されたり・・・
とにかく今思えば二人で無事に完走できたこと自体が奇跡だったのですが、神戸に帰ってからは二度と相手の顔も見たくない!ってなってしまい、半年以上和解できなかった事などから僕らのヨーロッパ縦断サイクリングの目標は夢と消えたのでした。
いくら気心が知れている友人とであっても、根本的に育った環境や目標設定が違う以上は、譲り合いや協力し合う心のゆとりと、万が一の場合に仲間をフォローする覚悟が無いと大きなチャレンジを成功させる事は容易くない。
もっとルールの設定をしっかり作らないと、誰かのワガママでお互いの考えや関係がこじれるんだ・・・という心理システムを、身をもって学んだのです。
お陰様で僕もこんな店を経営しながら、お客様の学生君がツーリングに行くだの、友達と一緒に走る計画なんだと聞いたりすると、事前にそういう実体験を基に大失敗しないようにプランを一緒に考えてアドバイスするようにしています。
先日も僕の過去の話を聞いた子が、「今度レースに出るんです!」って報告に来てくれて。
クリテリウムレースにMTBで参加するのだと。
僕はデビュー戦のクリテリウムをMTBで走りましたが、それはロードバイクを平地で捲る為に徹底的にベアリングやギア比を改造したものであり、彼のそれはさすがにそこまでチューニングしていません。
それでもかつての僕と同じようにチャレンジしてくれる、その心意気に対して素直に嬉しいと感じました。
正直僕の時もそうでしたが、クリテリウムにMTBで参加するなんていう事はロードバイクに乗って優勝を狙っている選手から見たら「お前レースを舐めてんのか?」って話になるので、まずもってスタートラインは最前列や2列目には並ばせてもらえないよ!って話の他、クリテリウムの走り方やルールや注意点などをあれこれアドバイスし、とにかく落車に巻き込まれないように、万が一の時の裏ワザとかも教えて・・・
どんな小さな事からでもいいので、何かに向けてチャレンジしようという気持ちを、多くの若者に持ってもらいたい。
どんなに辛くても!
どんなにしんどくても!
達成した時の喜びを味わってもらいたい。
似たような経験をした人たちと分かち合ってもらいたい。
失敗に終わってもそれは決して恥じゃない!
次なるチャレンジと成功に向けての大きな一歩になる!
少なくとも何もチャレンジしていないのに「無理」とか「できない」とか言って、前に進もうとしない意気地なしと比べたら完全に勝ち組だと思います。
僕ももう一度あの頃の気持ちに戻って、何か新しい挑戦に情熱を燃やしてみたいと思っています。
チャレンジ精神を持った人にたくさん来店して頂きたいものです。
僕のモチベーションは、そんなチャレンジ精神を持った仲間が増えればきっと復活すると思うので、是非仲間が増える事を心から期待したいと思います。