この日向かった甲陽園目神山町の地名の由来は、決して「女神様が降臨する山」とかではありません。
むしろそんな由来だったら、僕は迷わず目神山町に住んでいたかも知れません。
まず甲陽園という所、甲山の南側(陽のあたる場所)というところから名付けられた地名です。
その最も標高の高い、北に位置する目神山町は「甲山(神の山)と向かい合う小さい神の山」というのが、地名の由来だと云われています。
まずはその辺の事実関係だけ言い訳させて頂いてから、本題へと移らせてもらいます。
この日は僕とH川様、S本様の3名で出走!
参加予定だったM谷様とI藤様が来なくて「寂しい~!」って叫びつつも、I藤様が単に寝坊して遅れている可能性を、M谷様に至っては、山の街より自走で来る事も含めて・・・
「とりあえず北上したら遭遇する可能性はありますよね?」って、王子公園の西側を上っていく。
しかし2人とは結局合流できなかったので、諦めて海星女学院前まで上って山麓線を東へ進む。
鶴甲~表六甲なのか?
御影山手なのか?
渦森台方面なのか?
「今日はいったいどこ(激坂)を上るんだ?」と緊張感を煽りながら・・・
石屋川から山手幹線をひたすら、阪急夙川前を抜けて建石筋まで走る。
そこから阪急の高架沿いに国道171号線まで進む。
「そういえば明日、ピナイさんが来る予定ですけど・・・また西宮でやらかす気なんかなぁ?」
阪急の高架下には『鉄板焼き 一』があるのです。
「また無銭飲食とか、せんかったらええねんけど・・・。」(笑)
そして国道171号線に合流し、間も無くコンビニでこの日唯一の休憩。
「そういえば僕の走る走行会で、先日の1月3日を除いたら、ここまで来るのは初めてですよね?」
一度O様2号が落車した時に、僕は元スタッフのN君に任せて帰ったんですね。
その時は芦屋のライト坂を上る予定が、みんな揃って曲がる交差点を素通りして西宮まで来てしまい、武庫川の河川敷を走ってから帰ったって事らしいのですが・・・
S本様はその時に参加していたので、なぜ誰も気付かなかったのか、本当に謎だったという。
河川敷を走るのがそんなに好きではない僕はずっと避けているので、時間の縛り等も含めて考えると・・・必然的に武庫川までは行かない。
そういう訳で今回初めて171号線まで来ちゃいました。
そして171号線を間も無く室川町で左折。
この辺は・・・はらわたの煮えくり返るような過去があるので・・・決して好きな場所ではないのですが、広田神社の参道は西宮市民に親しまれている場所。
そして参道途中で左折すると、僕が若き頃にウォーミングアップで上っていた激坂がある。
神垣町と城山、大社町が隣り合う交差点までの登坂である。
距離は200m足らずだが、結構ハイテンションになるような激坂。
「よっしゃ!久々に上るぞ!」って意気込みつつ、フロントのギアをシフトダウンしようと思ったら・・・
「うそっ・・・インナーに落ちへん!どうしたインナー!なぜ落ちん!!」
止むを得ず「くそっ!こうなったらヤケクソや!」と、アウターのままチャレンジ。
53T×23Tで何とか上り切って振り返る。
一瞬の距離で西宮の街並みを見下ろせる高台へと上がる。
マサやんと同じくガーミンを使っているH川様が、この日は代わりに傾斜角度を確認してくれていまして。
「20%を超えていましたね。」
「えっ?そんなにあったんだここ・・・」
人間その気になったら何とかなるものですね(苦笑)
お陰でだいぶ脚を消耗しました。
甲山へ上るには広田神社を経て、御手洗川(みたらしがわ)沿いに大師道を目指すのがセオリーらしいのですが・・・
ニテコ池沿いを抜けるルートで、阪急甲陽園駅まで向かいました。
「うわっ!甲陽園駅前にラーメンたろうが出来てる!」
「ホンマですねぇ~。」
「これって景観上ええのんか?」
等とボヤキつつ、『つまがり』前を過ぎたところで左折。
曲がった瞬間の突然の激坂に、思わず全員声が出る!
ここも最大20%超の坂道。
そして突き当りを右へ、西山町~山王町を経て目神山町に突き当たる・・・
ここまでの上りもなかなかハードである。
この辺に住むのなら、毎日この激坂を自転車で走れて、さぞかし楽しいだろう・・・と思っていたのは若き日の僕。
過去に何度も西山町や目神山町の土地を見に来ては、大阪湾の眺望が楽しめるマイホームの建設を考えていましたが、祖母と大叔母が一緒に暮らすって話だったのに、祖母が約束を反故してしまい、計画は一旦白紙に・・・
そして狙っていた土地は他の方に買われてしまいました。
塔の部屋と螺旋階段、展望風呂とテラスのある家・・・理想の建物を建てれる絶好の土地だったので悔しかったなぁ~。
しかし今思えば、そこでマイホームなんて建てていたら、僕は独立どころか・・・きっと永遠に会社の奴隷になっていましたね(汗)
まあその辺も含めて・・・先読みをした大叔母から、「半人前が焦るな!あんた将来独立する事を考えているんやろ?だったら今やない!」等と窘められた事も、今となってはありがたい事でした。
それに高齢者が目神山町なんかに住んだら、一気に老衰するか・・・100歳まで足腰ピンピンか・・・ってなくらいに強烈な坂道と階段まみれですよ。
目神山町の眺望が取れるエリアの最も高台にその土地があって、甲陽園駅からスーツと革靴でアタッシュケースを持って上ったら、全力疾走でも14分かかったのを覚えています。
そして今よりも断然スタミナがあったその当時でさえ、酸欠で死にそうになりました(笑)
逆に下りは8分かからないという・・・。
「行きはよいよい帰りは恐い・・・」まあそんな感じの土地でしたね。
今でも目神山町は住みたい場所候補の一つですが、交通の便は著しく損なわれます。
逆光で判りにくいですが、眺望は最高なんですけどね。
ここから北へ行くと目神山町の奥地へと入ります。
眺望は見れなくなりますが、北山貯水池から流れ、御手洗川へと続くせせらぎ沿いに佇む豪邸たち。
珍しくH川様が「なかなか素晴らしい所ですね。」と感銘を受けていました。
それほど目神山町の奥まったエリアは閑静で、優雅な時間の流れが存在する風流な住宅街なのである。
坂道が延々と続くこと以外は、非常に素晴らしい地域だと思えます。
道で行き交う人々は、我々がよそ者であろうが関係無しに挨拶をしてくれる。
普通なら不審者だと思われたっておかしくない高級住宅街においてだ。
子犬を散歩させていたお嬢さんの挨拶する笑顔が、まるで女神様の様に見えて・・・
改めて感動してしまいました。
例え眺望が見えなくたって、ここの住人たちは神聖な甲山の見守る、緑豊かな目神山町を愛してるんでしょうね。
「何ていうか、ここらの人は心が豊かだから、生活も豊かなのかも知れませんね。」
3人で納得しつつ、北山貯水池を目指す!
一旦大師道へ出て、神呪寺(かんのうじ)前を抜けて上るのがセオリーだが、目神山町から直接北山貯水池へ抜ける道も知っておきたくて・・・
ここから自転車を担いで上りました!
そうすると甲山を拝めるポイントに出てくる訳ですね。
ちなみにこれはよそで拝借した写真で、実際には当日・・・かなり水位が下がっていて。
ここまで底が露になっていました。
向こうに見えるのは東六甲の方面です。
山の方は雲が多いです。
帰りは鷲林寺南町から剣谷町~柏堂西町~苦楽園~六麓荘と、やはり高級住宅街を抜けて帰ってきました。
その道中で246GT(Dino)に乗った紳士と出会う。
オールドスポーツカーに目が無いS本様が大興奮!
ここでこの紳士と5分程語らう。
206や246はV6エンジンである事から、創始者のエンツォ・フェラーリからもフェラーリとして認めてもらえなかった車ですが、意外にも運動性能は高く、恐らく歴代フェラーリの中でも運転の楽しさはトップクラスと云われるだけあって、だから愛息子ディーノの名前を冠したとも言われています。
40年以上前に新車で購入したとかで、最近は部品が無いから維持費が大変だとの事ですが・・・
いや、大切に乗り続けて下さい!
自転車も車も同じ。
名車に出会う喜びと、所有欲。
走らせる楽しみは万国共通です!!
僕もGITANE・・・死ぬまで大切に乗ろう。
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