6月のある日、コンビニで久々に見かけました!
丁度23年ぶりになりますが、久々に食べてみようと思って購入。
1996年のつがいけサイクルに参加した時のエピソードです。
僕を含めて当時のチームのメンバーのほとんどのメンバーにとって初めてのヒルクライム参戦でした。
ソロで北アメリカ大陸横断(もちろん自転車で)の経験がある、当時のチームメイトのO野氏だけは過去に出場経験があったのですが、彼はいつも適当なことを僕らに言うのです。
ある意味「楽しければ何でもいい!だから細かいことは気にしないで楽しもう!」って考え方の人だったので、それはそれで当時のチーム内の空気を張り詰めたものにしない、とてもありがたい存在の人だったのですが・・・。
僕が3連勝のロードバイク(変速はWレバー仕様)に乗り慣れてきて、52T×21Tのギアで、高羽交差点~丁字ヶ辻までの7.9kmのヒルクライムを足を着かずに34分弱で上った際、O野氏に「よくそんなギアで上って来れたよね?それだったら次回は騙されたと思ってインナーギアを使って上ってみて下さいよ!きっとタイムが大幅に更新できるはずだから!」と言われました。
それまで僕はインナーギアなんて使ったら男が廃る!みたいな考えを持っていて、絶対にどんな道もアウターで走り切る!って意地があったんですよ。
MTBで四国を4日で1周した時も、ずっとアウターギア(48T)で走破していますので、ロードだからって特別扱いしたくない気持ちで、頑なにインナーの使用を拒否していました。
今思えば滑稽な話なんですけど、元々スプリント力が強かったこともあって、瞬間に加速ができる事に快感を覚えていたというか・・・
だからアウターギアで行ける上りしか走っていなかったので、本来はいつも鶴甲の上りを六甲ケーブル下駅までしか上っていなかったんですよ。
そんな事情もあって、O野氏に無理やり誘われて初めて走った表六甲は度肝を抜かれるくらいきつかった。
当時は表六甲の料金所があって、自転車も料金を払わないと通行できなかったのですが、その料金所を含めると3か所くらいでギブアップしそうになりました。
ただその当時は自分を追い込むのが楽しいと思えていた年齢なので、身体の限界とか全然顧みずに、ただひたすらO野氏の背中を追いかけて・・・結局その日は1分近く離されて負けちゃったんですけど・・・これは四国1周から帰ってきて4日後の話で、前日までは「もう自転車なんて乗りたくない!全身ガタガタで坂道なんて絶対に走りたくない!」って思っていた矢先だったんですね。
だから満身創痍の状態で上れた・・・それもアウターで上り切った!(この日はこの後極楽茶屋まで上って帰りました。)というのは自分自身にとっても、ものすごい自信につながったのは間違いなく、今でも当時の苦しさは記憶に焼き付いています。
なので翌週、騙されたつもりでインナー(と言っても当時のインナーは42T)を使って、42T×19~21Tで表六甲を上りなおしてみたら、今度は29分30秒で上れてしまい、O野氏に2分以上のタイム差をつけて逆転しました。
そこでO野氏に「6月のつがいけサイクルに参加してみませんか?つがいけサイクルはチャンピオンクラスとかだと厳しいけど、一般クラスなら1時間を切れば表彰台は確実やし、東氏ならいきなり1時間切りの可能性はあるかと思うんやけど・・・。」と言われ、半ば騙される形で参加することになった訳です。(笑)
参加メンバーは4人。
O野氏はドイツへの出張から6月 8日(土)の朝帰ってきて、そこから新幹線と特急を乗り継いで鉄道で来るので、夜8時頃に栂池入りして、ペンションに泊まるという。
それ以外は僕と幼馴染のK合君、当時僕が尊敬していた先輩のA井さんの3人で6月 7日(金)の夜から車で出発して、翌日8日(土)は栂池第二駐車場でテント泊。
当時僕は大学に入ったばかりでレースの遠征費もギリギリ・・・K合君は当時ブラック企業勤めで給料が低かった為、予算はいつもカツカツ・・・A井先輩は我々貧乏人2人に合わせてくれた感じです。(笑)
初めてのヒルクライム会場は緊張しました。
どの人もみんな速そうに見えてくるんですよ。
でもさすがに白馬って事もあって空気は最高!
ちょっとガスっていたので景色はいまいちでしたが、ワクワクするものはありました。
栂池第二駐車場の奥の斜面を下った森の中にテントを設営して、自転車を整備して受付会場へ・・・
その後スタート地点から中間地点までウォーミングアップを兼ねて試走しよう!って話になって走る。
スタートから棚田の激坂で、序盤の2kmで脚を使ってしまいそうなコースレイアウト。
ペンション街も道がガタガタなのが加わって、地味にきつい登坂が続く。
スキー場の林道に入ってしばらくも21Tじゃ回せないくらい傾斜はきつめ。
しかしまあ試走の段階では中間地点まで余力を残して31分ジャストで上れたので、本番では後半の巻き返し次第で1時間を切ることは可能じゃないか?って確信をする。
心配だったのはこの年はチャンピオンクラスが無い年だったので、速い選手も一般クラスで走ることになった事。
僕はAクラス、A井さんはBクラス、O野氏はCクラスで、K合君はMTB男子クラスでエントリー。
みんなバラバラで余計に不安だった。
その日の夜はテントの外でカレーライス!
っていっても飯盒が1つしかなかったのでインスタントのご飯とレトルトのカレー。
そのレトルトのカレーに選んだのが件のLEE30倍!(笑)
今思えばレース前に食べるものじゃないですよね?(笑)
そして飯盒の中にサトウのインスタントご飯を入れて温めるものの、まずは飯盒の蓋が閉められない時点で、圧力が上がらない・・・
1回目のご飯・・・20分温めたものの、まるで固形燃料のようなご飯の硬さ。
僕とA井さんはその硬過ぎるご飯でLEE30倍カレーを食べる。
K合君のご飯は30分以上温めて程よくなった。
その成功をみて僕はもう一杯おかわりを作る。
A井さんはLEE30倍が想像以上に辛過ぎて、もう食べられないという。
ちなみにK合君用にLEE10倍があったのだが、それすらも食べられないと・・・
6月とはいえ北アルプスはまだ積雪が残っている訳で、テント内とはいえシュラフだけでは夜は冷えます。
一応断熱シートと毛布も持って行ってたけれど・・・
翌朝5時に目を覚ました僕は朝食の支度。
朝はスパゲティを茹でました。
5時半には盛り付けも終わったので、ペットボトルを叩いて2人を起こす。
K合君は食欲旺盛でしたが、A井さんは昨夜の固形燃料ご飯&LEE30倍という最強組み合わせに加えて、朝の冷え込みで完全にグロッキー。
お腹の調子が悪くてスパゲティーは少しだけしか食べられず・・・。
スタート地点まで下山後、白馬大池駅のトイレに駆け込んでいたような・・・(汗)
僕はそういう意味では問題なかったのだけれど・・・
身体が冷えたのは間違いなくて、スタート直後の動きは良くなかったと覚えています。
しかも僕のクラスには後のシドニー五輪代表(MTB-XC)の鈴木雷太選手が参加していて・・・当時鈴木雷太氏はまだブリヂストンアンカーに入団する前でアマチュアだったのですが、スタート前の観客の応援からしても只者ではないのが伝わってきました。
事実スタートしてからの先頭グループのペースは、棚田の10~15%の坂道を上るようなペースではなくて、かなりのハイペース。
2列目からスタートした僕は20人くらいの先頭グループの中でポジション争いを展開していた。
棚田のヘアピンカーブは進入角度などで傾斜が大きく変わる為、ラインをカットされるだけでもダメージは大きくなる。
何とか10番手のポジションを勝ち取った僕は、縦一列になってばらけた先頭グループの中で徐々にポジションを上げて、栂池高原に入る頃には5番手争いをする位置で走っていました。
まだトップの鈴木雷太氏を視界に捉えていましたが、気を抜くと差が広がるので、必死にペースを上げようと無我夢中に走っていました。
しかしオーバーペースが祟って、栂池第二駐車場を過ぎてからの上りでペースが上がらなくなり、鈴木雷太氏を見失う。
そこから徐々にポジションを落とし、スキー場の林道に入る頃には8番手になっていました。
とりあえず呼吸を整えて疲労を和らげようと努力はしましたが、林道の序盤で更に脚を使い切って、中間地点を32分で通過。
しかも栂の森の手前の激坂で時速10~12kmで喘ぎながら上っていたら・・・
後方からディスクホイールをゴロゴロと轟かせながら、「退け退け~っ!」と時速30km以上の猛スピードでぶち抜いて行った選手に圧倒される。
それが村山利男氏との初めての出会い。
人間とは思えないスピードだったので当時のインパクトは半端なかった。
ラスト5kmは積雪の中、まるで『雪の大谷』のような風景の中ゴールまで気持ちよく走れたものの、序盤で脚が売り切れになった代償は大きく、1時間13分35秒の17着でゴール。
Cクラスで走ったO野氏は1時間13分57秒と僅差でした。
お腹を壊したA井さんは1時間24分と、鶴甲を8分10秒で上るスピードを考えたらかなり不本意な成績でした。
K合君はMTBで1時間47分台だったかな?
ちなみにこの時の女性の優勝者が唐見実世子選手で、1時間13分06秒だったかな?
そう思うと23年経った今でも第一線で活躍している唐見選手の凄さに感服する。
また僕のクラスで優勝したのは当然の如く鈴木雷太氏で、タイムは55分台。
ダントツの優勝だった訳ですが、それを村山氏は更に速い53分台で総合優勝・・・。
1時間を切ることの難しさも思い知りましたが、それ以上に世の中にはとんでもない怪物がいるんだと思い知らされた初ヒルクライム。
帰りは糸魚川経由で帰ったのですが、当時の国道148号線はトンネルまみれで・・・しかも狭くて暗く、大型バスとのすれ違いなどは冷や汗ものでした。
神戸に帰った頃には心身ともに疲れ切っていたのを覚えています。
それがLEE30倍カレーにまつわる僕の思い出ですね。
久々に食べてみたら辛いというよりも当時の思い出の方が強くて、感慨深い気持ちになりました。
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