2020年1月19日日曜日

2019年12月上旬の思い出・・・素晴らしい新製品 × おすすめグルメ × 新規事業の経緯と裏舞台


とうとうNESTOの自転車も扱う事になりました。

2020年モデル・・・それなりに在庫を仕入れています。

このフロイドっていうミニベロ・・・クロモリフレームでって考えたらメチャクチャ軽いし安い!

クロモリっていうと、鉄フレームの事を何でもクロモリっていう人が多いので、僕はクロモリって言葉がものすごく嫌いなんですけど・・・(笑)

安い価格帯だとハイテンが多いですし・・・

クロモリって言ってもクロムとモリブデンの配合の割合ってどうなの?って思う事もあるし・・・

時々100%クロモリなんて表記もあったりして「どういう事?」って感じる事もある。

でもこのフロイドの重量の軽さからも、フレーム素材をケチっている感じはしないので、当店でも在庫として購入するに至りました。


あと奥に見える・・・


この2台ですが、限定版のレイル700Aと2020年モデルのレイル700Aです。

2020年モデルはグリップやブレーキレバー(ラピッドファイヤー)等の仕様が随分と進化しています。

しかし限定版のセールスポイントは300台限定のモデルで、カラーリングはどこからどう見てもマジョーラ(アンドロメダ)です。

マジョーラカラーは塗装のオーダーとかをするとものすごく高価です。

それなのにこの低価格帯で実現する辺りが素晴らしい。

しかも当店の在庫は400mmサイズ(身長150~165cm向け)ですが、今回制作した300台のうち、400mmサイズは僅か15台しか用意されていません。

その限定15台のうちの1台が当店にあるとご理解頂ければ結構です。

他にもホワイトやマットブラックも在庫していますので、気になる方はサイズのご相談も含めてご来店をお待ちしています!


12月 4日の朝・・・こんなバイクを見かけました。

カブで日本一周にチャレンジしているらしい。

バイクのマナーがクソ悪い有馬街道で、無理な追い抜きとかもせず、真面目に走っていたのが好印象でした。

安全運転で無事の達成を祈っています!


そしてお客様で、コーダーブルームのレイル700と、ファーナSLに乗って頂いているY本様が、しまなみ海道を走った帰りに「お土産です!」と持って来て下さいました!

メッチャ嬉しいはっさく屋の『はっさく大福』!

本当にこれ、メッチャ美味しいんですよね!


あと以前僕とヒデさんとH川様と3人で、尾道ラーメンを食べに入った焼き肉屋さん。

Y本様にも「そこの尾道ラーメンが、他の人気店よりも断然美味しいですよ!」って教えていたのですが、その経緯を現地でお客様が話したところ・・・焼き肉屋さんがすごく喜んでくれたそうです。

で、「神戸の方にそんな風に言って頂けるなんて・・・。」と、お礼にどうぞ!ってエナジードリンクをお土産に持たせてくれたんだそうです!

ありがとうございます!

『牛ちゃん 尾道店』さんの尾道ラーメン、下手に人気店のを食べるよりも正統派で普通に美味しかった!

普通に「ああ美味しい!」って安心して食べれる味が、やっぱり一番じゃないかと思います。

次回しまなみに行った際は焼肉も食べたいと思います!(前回はかき左衛門でかき料理を食べた帰りだったので)


あと最近ハマったのがこれ!

ずっと気になっていた六甲道のチーズ専門店にようやく行ってきました。


黒トリュフを混ぜて作ったペコリーノチーズ。

ちょっとお高級なおやつですが、ワインにもコーヒーにも合うのでオススメです!

とても食べやすいので、チーズ初心者の方も安心して食べれますよ。


で、今回のグルメレポートのトリを飾るのは、若狭は千鳥苑ブランドのサバ缶!

僕もサバ缶好きで、スーパーで手に入る一般的なサバ缶は一通り食べています。

そして若狭にはお土産用のサバ缶が豊富にそろっています。

あれこれ食べ比べてみた結果・・・

このサバ缶が最強に美味いサバ缶だという結論に至りました。

もう脂の乗り方が半端ないというか・・・

もはやサバ缶のレベルのサバではございません。

千鳥苑の社長に確認したところ、通常サバ缶に使われるサバは小さくて売り物にならないサバがほとんどだそうです。

ところがこのサバ缶に使われているサバは、元々へしこにする為に仕入れたサバなのだそうです。

千鳥苑のへしこが福井県内でも美味しいと評される理由に、基本的に脂の乗ったノルウェイ産か国産、それも40cm以上のサイズでないとへしこにはしないというこだわりがある。

特に嶺北地方の鉄道駅やドライブインで売っているような、お土産用へしこの大半は1本50円以下で仕入れたようなクズサバらしい。

千鳥苑ではそこをケチったら観光客を裏切る事になる!って考えで仕入れているので、材料に妥協はありません

少しでもサイズが小さかったら全て弾くらしい。

でも仕入れているサバは脂の乗った美味しいサバなので、他に何か使い道はないか?って考えたときに作ったのがこのサバ缶なんだそうです。

表現すると『とろけるようなジューシーサバ缶』って感じ。

1缶700円は高いか?と言われると、「いやいや!700円くらい払ってでも食べて欲しい美味しさだ!」と自信を持って言えるレベルです。


そしてまた12月 7日~ 8日と2日間、ソーシャルビジネスカレッジに参加の為、再び若狭に向かう。

本音を言うと毎回土日に店を開けるのは辛い。

ソーシャル・・・を主催している田辺氏をはじめ、素晴らしい方々ばかりで、本当に彼らと今後一緒に仕事をできる事を誇りに思っている。

「絶対に彼らと共に若狭を変えてやりたい!」って、強くそう感じている。

でももう一年半近くも若狭での新規事業について会議に通っている訳だ。

最初は神戸で若狭のアンテナショップを県とコラボして作りたいって話だったので、物件探しや競合他社の調査などをして事業計画書を作成した。

それが福井県の持つ施設を使って、まずは若狭で事業を始めてみないか?って話に変わり、またしても一から事業計画を練り直して役場に面接に行くも、タニタとのコラボで飲食中心の営業をしてもらわないと困る!として却下される。

間も無く再募集がかかり、今度は現地の観光協会や、小浜市の議員さんも協力してくれて、地元の食材を活かしたイタリアンレストラン兼で僕の事業ができるようにプランを修正して挑むも、よくわからない九州の業者に権利を奪われてしまう。

そこの施設が使えていたなら3年間で7000万円の助成金が下りる事になっていたので、助成金に頼らない事業計画で利益を出せる算段を立てていた僕は、随分と楽なスタートを切れていたと思う。

それに観光協会さんで手配をかけていたイタリアンのシェフは、国内でも屈指の有名シェフのお弟子さんだったので、決まっていたら今頃久々子湖の周辺も随分と賑やかになっていただろう。

ところがタニタさんは現地での集客は元々見込めないと踏んでいたらしく、本気度が足りていない模様で、現在その施設は稼働しているのか?していないのか?って状況らしく、7000万円欲しさの詐欺同然の運営らしい。

そんな状況になった僕は、改めて千鳥苑内の空きスペースを使う形で事業を始められるように事業計画書を作り直す。

そこで周辺の方々から、「こっちで事業を始めるならもっと地元に根付いた社長たちともつながりを持った方がいいよ!」ってアドバイスされ、通うようになったのがソーシャル・・・で、それ以外にもあちこち顔を出しては挨拶して、それなりに僕の事業を賛成してくれる味方は増やしたと思っています。

でも僕がこの活動をして以来、神戸のお店はスタッフに任せっきり。

この1年で僕を指名で来店してくれる顧客さんって何人作れただろう?

メチャクチャ少ないです。

2019年は僕が積極的に接客しなかったってだけで、年間売上が600万円は下がりました。

決して他のスタッフたちが頑張っていない訳ではありません。

でもまだ力不足ですし、良くも悪くも強烈な個性がありません。

入社から1年以上経った今でも、まだ満足できるレベルには至っていません。

できる限りの教育はしていますが、一から十まで仕事ぶりを監督している訳ではないので、僕の気付かないところでのちょっとしたミスもあったかも知れません。

1年ちょっと前にもO合様にそんな理由でお叱りを受けた事がございます。

でも僕でないと作業ができない!なんて作業はどんどん無くさないと、今後神戸と若狭を行ったり来たりするようになったら、ますます僕がすべてのお客様の自転車を管理できなくなってしまいます。

留美さんもそのことで今後を考えるとストレスだと嘆いています。

そういうスタッフの育成や増員といった悩みもさながら、更にダメージが大きいのが運転資金。

従来は複数の銀行さんとの付き合いで、毎年違う銀行で借り換えなどを行ない、金利の高いものは低いものに切り替えつつ、毎月の返済を和らげたり、余剰資金を少しでも作ったりしていたものですが、3年前(2016年12月)を最後に、一切の借り換えをしていません。

2017年の春頃には次の事業を既に意識しており、そこからアンテナショップの話などがあったりしたので、いつ新規事業を開始するか判らないので、店の運転資金の借り換えなんてできない(借用金の総額が大きいと新規の借り入れができない可能性がある)と思ったので、ずっと借り換えを我慢して今日に至りました。

しかし遠く離れた若狭の方々には、僕のそんな事情なんて知る由もないので、「いつ頃から始めるつもりなん?」って感じでまるで他人事みたいになっていたり。

そして神戸の店は売上も下がり、借り換えもせずに預貯金から返済をした結果が年間あたり1千万以上のマイナスを作り、僕もどんどん自由に動けない状況に陥ってしまう。

それでもいざとなったら若狭の社長たちも助けてくれるだろう!

そう思っていたら、これまた思いの外皆さんギリギリの収支で頑張っているという事で、ワガママを言えなくなってしまう結果に・・・

しかもこういう時に限って投資会社から「相場が暴落してしまったので証拠金を100万円ほど追加入金して下さい。」って電話が入る。

僕の亡き大叔母は投資で毎月配当金をもらって、年金と合わせて豊かな生活をしていました。

それもあってしぶしぶ始めた投資。

民間の投資会社は顧客を飼い殺しです。

顧客は営業マンたちの給料分を賄う手数料を稼がせるための出汁に過ぎない。

こんな事を経営者の僕がブログに書いてはいけないのですが、本音で「ええ加減にせな殺すぞ!」って思った気持ちだけは理解して下さい。(苦笑)

とりあえず3月までには助成金が下りるので、そこまでは意地でもしのがないとならなくなり・・・11月から僕の心はどんより曇っています。

ああ・・・こんな事になるんだったら、借り換えをして預貯金を守っておくんだった!と後悔しかありません。

そんな悩みを隠してのソーシャル・・・参加してきました。


若狭の山々も雪をかぶっています。

それでも若狭は道路まで雪が積もって走れないなんて日は稀なので、サイクリングは年中楽しめます。


今回は地元で地場産業を営んでいる社長に、取材というスタンスで調査に伺いました。


安くて美味しい梅酒を作っている工場です。

若狭には地場産業にしろ素材にしろ良いものがたくさんあります。

それをどう活かすか?

僕の取りたい動きはそれなんです。

その為のサイクリングだったり、体験ツアーだったり・・・


翌朝・・・幻想的な朝焼けでした。

この後・・・さらに後日改めて、現地で喧嘩して嫌われても良いくらいの気持ちで、本音をぶちまけました。

どこまで理解してもらえたかは不明です。

でも4月にOPENの方向性で準備を急ぎます。


まだ全部ではありませんが、千鳥苑にレンタル用の自転車が届きました!


全てコーダーブルームとNESTOの自転車です。


勿論電動アシストなどもいずれ増やす予定ですが・・・

やはりジャイアントとかトレック、メリダとか、海外のメーカーばかりが新たなサイクリングの聖地作りに躍起になっているじゃないですか?

それに大きな企業なので資本もあって、そりゃ派手にできるでしょう?

でも僕はそんなスポンサードも今のところは受けていませんし、現状あくまで自力で少ない資本ですけど・・・

どうせなら日本人の為の日本のブランドで、安全に走れるサイクリング・・・っていうのをモットーにこの事業を進めたいと思っています。

メンテナンスの行き届いたレンタサイクルじゃないと・・・楽しく走れませんよね?

いくら景色の良いしまなみ海道であっても、メンテナンスの予算をケチるような行政とかありえないですし、あんなBBががたついていたり、チェーンの歯飛びするような自転車をお金を払って借りる意味が理解できません。

そしてインバウンド向けに頑張り過ぎなのも気になります。

やはり国内の経済は国民が動かさなきゃダメでしょ?

そして日本人が国内旅行の良さを見直す切っ掛け作りになれば幸いだと、そういう想いで僕は動いています。

そんな僕の思想を理解してくれる仲間が増えれば良いなとも思っているので、どうか同じような想いを感じている方は活躍できるステージを築いて欲しいので、是非ご来店の際には気軽にお声掛けして下さい。

雑談程度でも夢のある話ができる事を期待しています。

2019年11月の思い出残り・・・HAT神戸は暴風 × 傷心ポタリング × ルミナリエはもう要らない


11月は風と落ち葉に悩まされた月でした。


掃いても掃いても・・・


風が吹いたら落ち葉が集まってくる場所なんです。


塾や音楽教室の先生方も掃除をしてくれるともっと掃除が早く終わるのですが・・・


11月30日(土)走行会

ほぼポタリングな感じ・・・(笑)

中之島の運河入口で”えらそうなサギ”が獲物を狙っていました。


確かに肉眼でも判るくらい小魚の大群が泳いでいます。

これならたっぷりと貯えができそうですね!


下町ポタリング・・・

長田区の鉄工所街など・・・パンクに気を付けて走ります。


大日ヶ丘方面のバス道を途中から外れて自動車の一方通行箇所を逆走。

勿論自転車は逆走可能の道ですよ。

実は初めて走る道路だったのですが、まるでモンテカルロラリーか?っていうくらいのスピードで、絶え間なく車が走って来るので想像以上に怖い道路でした。

場所によっては崖にべったり張り付くように待機しないと、車に引っかけられてしまいそうなくらい狭かったです。

ここは地元スペシャルの抜け道なので、走る車は抜け道で時間を短縮するのが目的の場合が大半ですから、まあラリーみたいな状況になるのも致し方ないのですが・・・

自転車で走るのは勇気がいると感じました。(笑)

一部まあまあの上り区間もあるので・・・


その道を抜けると丸山の中心地に入ります。


丁度丸山駅から鈴蘭台方面へ神戸電鉄が出発したところです。

ろくな思い出のない場所ですが、3歳になる直前まで暮らしていた街なので、時々無性に来たくなってしまいます。

当時の僕の家は丸山駅の改札を出た真正面にあったのですが、現在は更地になっています。


その横にこんな細い下り坂があります。

この先通り抜けのできない道なのですが、2歳の頃ここを足を離したまま3輪車で下って行き、その先の階段を転げ落ちて行った事がある、そんな思い出深い坂道です。

この狭い道をコントロールしていった事もそうですが、最後階段を三輪車ごと吹っ飛んで転げ落ちたのに奇跡的に無傷だったのと・・・そのあと三輪車を担いでここまで登ってきた事を思うと、当時からクレイジーな子供だったんだなぁ~としみじみ感じてしまう。

母親は育児放棄していたので、僕はいつも朝から夜まで独りぼっち。

毎日空腹に耐えながら生きていました。

親たちの出入りする姿をずっと観察していたのでリビングの椅子を玄関まで運び、その上に乗って玄関を開ける方法を思いついて、よく勝手に外を徘徊していました。
近くの滝谷西公園で近所の小学生たちにドッジボールをぶつけられたり、殴る蹴るのリンチに遭っている所を隣に住んでいたおばちゃんに助けられて以来、僕の徘徊癖を気にかけてくれる人が増えて・・・

近くの居酒屋の大将にも何度か助けて頂いて・・・夜にじいちゃんが迎えに来てくれる・・・そんな毎日でした。

だから母親の記憶はそれっきり。

ずっと死んだと教えられて育ってきました。

ある意味ここでの濃い3年間が、僕を強い反骨精神と、誰にも縛られない自由な性格に育ててしまったのじゃないかと思う事があります。


それもあって、時々ここの景色が懐かしく思えるんです。

色々と記憶を辿って行った時に、「あの時は本当にあれで良かったのだろうか?」って反省をしたり懺悔をする事もあるのですが・・・

実は8年ほど前に実の母親が生きているって事を知ったんです。

兵庫県内のある都市の市役所から僕宛てに電話があって、生活保護を受けて生活していた母親を引き取って欲しいって。

2歳の頃の僕は知っていました。

母親の育児放棄の理由も、なぜ帰りが遅いのかも。

ある時必死で追いかけたんです。

自分を置いて出ていく母親がどこへ行こうとしているのか。

母親が家を出て鍵をかけた後に僕は椅子を運んで鍵を開け・・・

その後必死で走って追いかけました。

でも隣には父親とは違う男の人がいて、2人が肩と腰に手を回して歩いて行くのが見えました。

当時はそれがどういうことなのか、はっきりとは解っていませんでしたが、でも直感でそれがとてつもなく嫌な気分だったことは記憶に刻まれています。

それが脳裏に焼き付いているので、その市役所には「分別のある大人が、一度自分の信じる道へ進むために家族を捨てて出て行ったんでしょ?だったら最後まで責任を全うして自分の力で生きて下さい。」と書いた手紙を託してこの件は終わったのですが・・・

気にならないと言ったら嘘にはなりますよね。

人は色々と背負って生きる生き物なので・・・

大切なことはこれからをどう生きるか、自分の納得のいく生き方ができるのか?だと解ってはいるのですが、時々過去を振り返って今の自分を見つめ直す時間も必要かな?って、時々こうやって自分の記憶を辿っています。


この日の仕事帰りに居留地の銀行に寄ったのですが・・・

ルミナリエの準備もできていました。

しかしこれこそ心に何も焼き付かないし、続ける意味あるのか?ってレベルの話です。

神戸の観光客が減少している根本的な理由が他にあるんだって事を、もっと真剣に考えた方が良いんじゃないか?と毎回思ってしまう。

何が震災の犠牲者への鎮魂だよ。

ただの観光イベントの一つじゃないか?

当時を知っている人はみんなルミナリエなんて期待していないし、早く無くなっちまえ!って思っている事をいい加減神戸市に解ってもらいたい。

大義名分と本音のギャップが大き過ぎて苛立ちしか湧いてこない。

僕の知っている昭和~平成初期の神戸は、もっと人がイキイキとしていて、何もかにも希望に満ち溢れていたよ。