2018年8月18日土曜日

穂高連峰日帰り縦走にチャレンジ!(第四話)山荘での思い出(前半)と心の迷い

山荘で3時間ほど死んだように寝ていました。

もしかしたらもうしばらく目覚めなかったかも知れません。

ドカッ!

誰かに何かをぶつけられた衝撃で目を覚ます。

「えっ?何?」

「あぁ、すいません。」

丁寧に荷物を上げればいいだけなのに、2段目に荷物を投げ込んで、それをぶつけて安眠妨害しておきながら「あぁ、すいません。」ってなんやねん?って話なんですが、僕もまだまだ気怠さが抜けきっていなくて怒る気にもなれません。

ムッとしたのは確かですが。

僕の隣に寝ることになった(最低な)宿泊者です。

目が覚めた僕は喉に異変を感じる。

以前疲労が溜まり過ぎて喉が腫れる症状で入院とか通院とかした事があるのですが、その時に似た症状。

後になってこれは高山病の症状の一つで、痰が絡んでいただけと判明しますが、喉を悪くして入院した経験のある僕は気が気じゃありません。

「明日にでも病院に行かないと手遅れになるんじゃないか?」

そんな思いで起き上がる。

まだ声は出せるので、床に寝ている人たちに「ちょっと外に出てきますので、前を失礼致します。」とハシゴを降りて廊下に出る。
床に寝ている6人のうち2名は親子、残り4名はパーティで歩いている方々のようで、仲良く会話を楽しんでいる。

時々六甲山の話題も出たりするので、関西の方か、関西まで登山目的で来たことのある方々なんでしょう。

会話に混ざりたいとも思いましたが、高山病になると本当に人との接触が億劫になるのです。っていうか本当にしんどい・・・

それでも部屋を出る時や戻った時に声をかけるのは、同じ部屋で宿泊する方々に対する敬意とか礼儀みたいなもので・・・

できたらそっとしといて欲しいくらいのしんどさだったんです。


山荘から出て奥穂高岳方面に登っている人がいたので撮影したら、自分の指まで写ってしまった。

それに気づかないくらい判断力とかが鈍っていたんでしょうね。

奥穂高岳方面は山荘を出ていきなりほぼ垂直の壁を登るところからスタートします。

現在15:19

時間を考慮すると、今登っている方々は山頂まで行って、またここに戻ってくるのでしょう。

これから雨が降るって聞いていたし、山荘の方も夕方以降は雨で荒れると言っているので、これから縦走なんて考えられないし、上高地へ下るルートですら危険です。


もちろん涸沢岳を登って北穂高岳へ向かうのも、この時間からはやめた方がいいでしょう。

基本的に15時以降は天候が崩れやすいので注意が必要です。

それにしても女性や子供の登山者も多くて驚きました。

そんなに安全なルートなんてあったかなぁ?

山荘の玄関横には有料の飲料水が湧いています。

宿泊者は無料らしいので、手に掬って飲んでみました。

「冷たくて美味しい!」

翌朝のスタート前にハイドレーションパックに給水するのには丁度いいです。

ハイドレーション付きのリュックサックは便利です。

この日の早朝は新平湯温泉のホテルで飛騨の湧水を入れさせてもらい、歩いている時はそれで背中が冷えるので、必要以上に汗をかかずに済みましたし・・・

何より穂高岳山荘まで登ってくるまでに、2ℓ入れたはずの水が残り100㎖足らずという状態だったので、本当に命の水だと感じました。

温くなった水がシリコン臭くなるのが玉に瑕ですが・・・



ところで山荘の中は随分と充実しています。

読書スペースがあったり、オーディオスペースがあったり・・・

僕が高山病でグロッキーじゃなかったら、CDを漁って好きな曲を流させて頂いたのでしょうが、もうここの雰囲気に馴染むので精一杯でした。(笑)

オーディオスペースに座っていたら、みんな僕に声を掛けたそうにしているのですが、同じテンションで返せる自信がないので、携帯をいじりながら気付かぬふり・・・。

つまんない。

本当は色んな人にどこを登ってきたの?とか聞いてみたいし、参考にしたい。

ここに来ている登山者は基本的にベテランが多いはずなので、僕としては学びたい事の方が多いくらいです。

ただ時々聞こえてくる会話は・・・

「今日も滑落した人がいたらしいよ!」

「えっ?今日も滑落?昨日も一人滑落して死んだらしいじゃない!」

「さっきヘリが飛んでたでしょ?」

「そういえば飛んでたよね?」

そんな物騒な内容の会話ばかり。

そう・・・ここってそういう場所なんですよね。

どんなベテランであろうが油断したら死と隣り合わせの登山ルート。

今更ながらとんでもない場所に来てしまったなぁ~って思うのでした。


山荘の2階廊下から、僕の登ってきた岐阜県側の景色を見ましたが、完全に雲に覆われてガスっています。

部屋に戻って17時からの夕食までもうひと眠りする事に・・・

で16時40分頃、周りが慌ただしくなったところで、僕もすぐに起き上がって食堂へ向かう。

既に食事待ちの行列ができ始めていたけど、僕はすぐに列に加わっていたので最初のグループで食事の席に着けた。

一度に食べれるのは100名くらいまでで、夕食は1グループ40分で4回に分けて行われていました。

そう考えると少なくとも300名くらいは宿泊しているのでしょうか?

とりあえず僕は『お一人様』グループへ入れられる。

お一人様で穂高連峰を歩くなんて、命知らずな死にたがり屋のする事だと思っていたけれど、これが意外にも多くて驚きました。

ただ・・・何ていうか、僕の座ったテーブルのお一人様たちは・・・何だかなぁ~。

すご~く辛気臭い連中で、このテーブルで食事をするのが凄く辛かったなぁ。

目の前の人は、同じ部屋の隣のおっさん。

つまり・・・寝ている僕に投げ込んだ荷物をぶつけて、それほど悪いとも思っていなかったあれ。

他には手洗い場で見かけた男性がいて・・・

この人は何を考えているのか判らない表情で、何度もトイレと手洗いの往復をしていた変な人。

手洗いに入る扉は錘が付いていて、開けっ放しにしても自動的に閉まるシステムになっている。

ところが女の人が開けた場合は比較的ゆっくり閉まるのだけど、男の人がバ~ン!と雑に開けた場合は毎回「バタン!」と激しく閉まるのである。

僕の寝ている部屋は、まさにこの手洗い場の真上!

だからって訳じゃないけど、僕は廊下を横切る人や、後に続く人がいるかも知れないって考えも無く、無神経に扉をバ~ン!って開けるような人は本質的に相性が悪い。

見ているだけで殴り飛ばしたくなってしまう。

山男だから仕方がないのか?

いやいや、そんなはずはない!

本物のアルピニストは他人にも自然にも気遣いができるはずだ。

という訳で、こんな辛気臭いテーブルで夕食を頂くのは不本意と言うしかない。

ただエネルギーが枯渇しているはずなのに食欲がないという高山病の症状を、少しでも早く回復させないとならない。

例え80%でも70%でもいいから、明日には歩ける身体に戻したい。

その一心で夕食を詰め込む。

ありがたい事に山荘の夕食は、不足がちの塩分を優しく摂取できる内容で・・・

なんで写真を撮らなかったんだろう?

食欲のない僕でも完食できるくらい美味しかったです!

でもここでまたイラっとする事が・・・

目の前のおっさん・・・

ご飯をおかわりするのはいいけど、お櫃に残った最後のご飯をすべて自分の茶碗に入れた後、そのお櫃を邪魔だからって自分の後ろの空いた席に置いて終わり。

「はあ?自分だけおかわりが出来たらそれでいいんかい!」

もう「その面に熱いお茶でもぶっかけてやろうか!」という怒りが込み上げてくる。

なぜならご飯とお味噌汁はおかわりが可能で、お櫃のご飯がなくなったら追加を注文できるのだ。

なので本来なら「すみません!お櫃のご飯がなくなりますけど、他におかわりの欲しい方はいらっしゃいますか?いらっしゃったら追加をお願いしますけど?」って同じテーブルのメンバーに聞くのがエチケットである。

回復の為に少しでも食べておこうと思ったけど、けったくそ悪くなってしまい、お味噌汁もおかわりせずに僕は席を立つ。

僕も相当自分勝手に生きている人間だと自覚はしていますが、こんなのは種類が違う!

自分さえ良かったらいい!なんて言うのは絶対にあってはならない!

誰にでも平等に権利がある。

周りに気遣いが出来ない大人ほど見苦しいものはない!

本当にイライラして、もう一度外で深呼吸・・・って思ったら、雨が降り始めてきた。


時間は17:13

写真は穂高岳山荘の長野県側にある涸沢カール。

僕は以前、穂高連峰の事を何も知らなかった頃は、上高地の河童橋から見えるあのカールが涸沢カールだと勘違いしていました。

あれは岳沢カールで、涸沢カールはその裏側にあります。

この涸沢カールは日本最大のカールとも言われており、周りを3000m級の山々に囲まれたダイナミックな景色が人気です。

ここからも涸沢小屋や涸沢ヒュッテ、その中央に立ち並ぶ無数のカラフルなテントが確認できます。

ここの雪渓の雪解け水が梓川の源流となっています。


右に奥穂高岳の壁、その向こうに一瞬雲の切れ間ができて、前穂高岳の一部とその北尾根の姿が確認できました。

方角的に言うと、ここから見て前穂高岳の右に岳沢カールがあり、前穂高岳の向こうに明神岳がある感じです。


まだ奥穂高岳から下山してくる人がいます。

こんな時間までよくご無事で。


このまま高山病が治らなかったとして、新穂高に車を駐車している事を考えると、またこのガレ場を歩かないとならない・・・かも知れない。

少なくともこの時点で僕は、「こんな道、二度と歩きたくはない!」と思っている。


夕食を食べて幾分か楽になった今だから、冷静に登ってきた道のりを確認出来る。

こうやって改めて印のある岩を見れば、九十九折の階段状に道が整備されているのが、何となく見えるでしょ?

冷静になって見ても、歩きたくない道に変わりはないのだけど・・・。


こんな道を再び歩くくらいなら、明日は滑落して死んでもいいから西穂高岳を目指して進む?

随分と悩むところだ。

僅かに奥穂高岳山頂のシルエットが見えてきて・・・

「まさかここまで来ておいて、山頂に登らないつもりか?」と言われているような気分になる。

この後部屋に戻って再び寝る。

しかし何度も飛び起こされる。

廊下をドンドン歩く奴が多過ぎる!

ただでさえ軋む廊下なので、僕なんかは出来るだけ静かに歩こうとしているのに、何でここに宿泊している人の中には、ゴジラのように地響きを立てて歩く輩が存在するのか?

いささか人間性を疑ってしまいそうになる。

そして手洗いの扉の開閉音!

やはり真上の部屋であるここには壁伝いに音だけではなく振動までダイレクトに伝わってくる。

熟睡が出来ない。

そうでなくても高山病になった影響で、寝付くまでが時間がかかる。

一度は1階の手洗い場まで行って、「すみません。ここの扉、もう少し優しく開け閉めしてくれませんか?上に寝てると響いて困るんです。」って、注意しに行って、その場は良かったのですが、結局宿泊客の人数を考えると、全てに行き渡る話でもなく・・・

そして留美さんから高山病の問診票がメールで送られてきた。

回答して判断できたのは、高地肺水腫になる恐れがあるという結果。

死亡のリスクがまた増えてしまった。

でその後留美さんから「そこ(穂高岳山荘)って診療所があるんじゃない?」ってメールが来て、「そんなの知っているなら早く教えてよ!」とばかりに1階へ降りて行ったのですが、同時に消灯時間になってしまい・・・

診療所のお世話になる事は出来ませんでした。

山荘はソーラーパネルやプロペラを使って発電しているようなのですが、やはり電気も貴重なので早めの消灯です。

それから間もなく・・・

ドカ~ン!という衝撃と振動、ゴロゴロ・・・という雷の音がほぼ同時に何度も・・・

標高3000m・・・ひとたび嵐になると外は地獄です。

落雷の衝撃と音が同時なんて初めての経験です。

風のうねる音も暴力的で、雨の勢いも恐ろしく強い。

「これって明日はどの道を選んでも危険なんじゃないの?」って不安しか頭に浮かびません。

しばらくすると嵐は去って行きましたが、明日は雨が続くとも言われています。

正直怖くて怖くて不安でした。

滑落、高山病、落雷・・・

いったいどれだけのリスクが待ち受けているんだろう?

僕は一度やるって決めた事はやらないと気が済まない性格なので、本来なら意地でも縦走してやるぞ!ってなるはずなんですが、今回ばかりは死ぬ確率が高いって本能的によく判るので、ずっと自問自答ばかりしていました。

命を顧みずに意地を通しきるのか?

限りなくリスクの低い道を選択して、無事に生きて帰る事を優先するのか?

ものすごく迷いました。

次回はいよいよ決断が迫られます・・・ではまた!

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