なんていうか・・・
あんまり漫画って見ないんですよね。
まあ『ワンピース』と『HUNTER×HUNTER』だけは見てますけど・・・(笑)
僕が初めて『弱虫ペダル』の存在を知ったのは2011年のサイクルモードでした。
渡辺航先生のブースがあって、「何これ?」ってな感じで・・・
でも自転車の漫画ってそんなに読む気になれなくて、それ以降も全く興味なかったんですね。
ところが昨年N様2号が『弱虫ペダル』を1~11巻まで、当店に寄贈して下さって・・・
少しずつ時間の合間に読んで・・・
3巻くらいからだんだん面白いって思うようになって・・・
5巻を読み終わったあたりからは食い入るように読むようになってしまった。
「ヤバイ!続き買わなきゃ・・・」
最近そう思うようになりました。
お世辞にも絵がめちゃくちゃ上手いとかではないのですが、キャラクターをしっかり活かしているというか・・・
とにかく読んでいるだけで熱くなってしまいます。
そして慣れてくると、登場人物それぞれに設定されている個性的な口癖も気にならなくなり・・・
また御堂筋くんのキモさに慣れてくると、少々キモ~い(恐い)ホラー映画を観てもなんとも思わなくなってきます(笑)
僕が現在11巻まで読んで一番印象に残っているシーンは、インターハイ出場枠を賭けて争った合宿での1年生と2年生のバトル。
そしてインターハイ1日目前半の平坦区間でのスプリントバトルのシーンですね。
「とにかく誰よりも速くなりたい!」
僕も若い頃は「俺が神戸最強最速の男や~!」って啖呵を切って走っていただけに、その想いは良く解ります。
レースも知らない高校生の頃から、スピードメーターを睨みつけ、必死にもがいてました。
最高速度をどこまで伸ばせるか?
子供の頃に読んだ図鑑では、自転車は馬と同じくらいで、最高時速72kmくらいで走行できるとあり、僕の中では時速72kmが一つの基準となっていました。
「絶対に時速72kmの壁を越えてやる!」
そして5万円もしないブリヂストンのワイルドウエストをオーバーホールし、前後輪のハブのベアリングを研磨して・・・
18段変速しかないそのMTBは、トップギアが48T×13Tだったので、平地ではどんなに頑張っても時速65kmが限界でした。
そこで次に僕はXTのディレーラーとスプロケを導入し、LXのハブでホイールを組んで、フレームのリアエンドを拡げて6速から8速化し、48T×11Tのギアを手に入れました。
さすがに48T×11Tのギアは回し切れる代物ではありませんでしたが、それがむしろ「まだまだ伸び代が残っている!」って、ポジティブに感じていて・・・
で、結局は平地で時速73km以上を出せるようになったのです。
初めて72kmを超えたのは神戸高速鉄道長田駅~大開駅の区間でした。
バーエンドバーを握り締め、ハンドルに顔を擦り付けるくらい前傾してスプリント!
そんな経験からか・・・登場人物の鳴子章吉君は紛れも無く、若い頃の僕とタイプが同じ様な気がします(笑)
同じくスプリンターから自転車競技に入り、ヒルクライムもそこそこ走れるようになって、オールラウンダーに目覚めた僕には鏡のようなキャラクターです。
合宿の1年生vs2年生について・・・
僕は基本追われるより追う立場が多かったので、基本的には1年生のトリオが、1999年~2001年の当時紛れも無く、神戸どころか兵庫県最強最速のホビーレーサーチームに仕上げていた、前『TEAM EURO』の僕を含むTOP3にシンクロして見える事があり・・・
でもこのシーンではそれ以上に、2年生2人の努力と先輩をリスペクトする熱い想いが最高に良くて、最後5人が横並びでゴールラインに飛び込むシーンはドキドキしました。
結果的に負けた2年生2人は無理をし過ぎて合宿最終日をリタイアしましたが、その時に「そこで無理せず走っていれば、まだ1年生との差は1周あったし、逃げ切れていた・・・でもそんな勝ち方を求められていない!あそこは勝負をするところだったんだ!だから後悔はしていない」的な、もの思いにふけるシーンがあって、そこはジーンとしちゃいました。
僕が99年の『鈴鹿ロード』で、初日の午前にチームTT、そしてその午後に個人ロードに出場した時のこと・・・
チームTTは1チーム3~4人のメンバーで走り、ゴール時に最低3人が揃ってゴールしないと失格になるというルールがありました。
選手の揃っているチームは4人体制で、1人が完全に列車役で途中離脱OK!みたいな・・・
うちはTOPの3人以外のメンバーだと一気に平地のレベルが落ちるので、引くも何も足手まといになるから4人目はいらないって感じでした。
それだけに他の有力チームよりは断然不利でしたね。
自転車競技は風の抵抗との闘いなので・・・
当時の鈴鹿サーキットは1周5.864kmあり、97年にゴール前の大クラッシュがあった関係で、自転車レースは逆走ルートになっていた。(ホームストレートが約3%の下り傾斜の為)
そのコースを3周するのですが・・・
当時の鈴鹿サーキットでメイン集団で走り切って、更にゴールスプリントで勝負を仕掛けるならば、最低でも1周あたり8分で走る事が絶対条件と言われてました。
そのくらいの走力が無ければ歯が立たないのが鈴鹿ロードです。
F-1グランプリや鈴鹿8耐を観てるだけでは判らないでしょうが、鈴鹿サーキットはかなり起伏に富んでいる上、路面の摩擦係数が高い事でも知られています。
その上風や天候の影響に左右されやすいのも、ここの名物であります。
僕の見立てと過去のリザルトから想定できる予想では、チームTTの場合3周で24分というタイムが、表彰台への最低条件だと考えていました。
なので僕は1周目と2周目を死ぬ気で引いて、ラストの3周目を残った2人に頑張ってもらう。そして僕は残った力を振り絞って2人に食らいついていく・・・
そんなオーダーを考えていました。
3周24分なら僕一人でもキープできる自信はありましたが、24分がボーダーなら23分以内を目標にするのが僕のポリシーです。
なので最初の2周で僕は出し切って、1秒でも多くタイムを貯金し、ラストの1周で残った2人のうちどちらかが先頭を引き、もう一人が僕をアシストする。
それぞれの役割は決まっていました。
1周目は7分58秒。
2周目は7分40秒。
もう僕にはこのスピードを維持する足が残っていません。
「3周目は8分でいい!それなら何とかついていける!だから8分は必ず死守してくれ!!」
そういって先頭を交代し、ホームストレートからシケインまでの上りを走行中・・・
僕の目の前で先頭を代わったO君が、横からの突風に前輪をすくわれ、時速56kmのスピードのまま頭から地面に叩きつけられたのである。
そんな落車のしかたある?
見たこともないような恐ろしい落車の瞬間を見てしまった。
鈴鹿サーキットには魔物がいるのか?
その余りにも酷い落車を目にした僕は、もう絶体絶命だと感じました。
タイム云々どころか、リタイアは確実だと・・・
「大丈夫か!?意識はあるか?」
ところがO君は1分程動けずに倒れていたが、ふと思い出したように立ち上がると、不屈の闘志で自転車にまたがった。
「すまん!まだ走れるから最後まで走らせてくれ!」
「わかった!無理はするなよ!Yさん!もう一度僕が引くからOを頼みます!」
そう言って僕は残りの力を振り絞って引く。
バックストレッチを上りスプーンカーブを曲がる頃、僕はもう意識が飛びそうなくらい疲労困憊に陥っていた。
すると次の瞬間O君が先頭を代わって前に出てくれた。
「不死鳥かお前!」
嬉しくなった僕は、すぐにでも自転車を投げ出して倒れたい程、疲れきった身体に鞭を打って・・・
「よっしゃ!いけ~!挽回せぇ~!!」って叫びながら、離されないよう必死についていった。
そして特に風の酷い立体交差やデグナーカーブ付近でO君が力尽きた頃、Y氏が先頭を代わって最後まで引いてくれた。
タイムは25分36秒。
200チーム以上参加した中の54位だった。
その時の優勝チームは23分を切るか切らないかってくらいのタイムで、2位のチームでさえ23分台前半だった。
そして忘れもしない・・・3位に入ったSANYOのレーシングチームが24分08秒だった事を。
O君の落車のせいにはしたくなかったので、口には出せなかったが、あのまま走っていれば3位は確実だったのだ。
僕の気持ちを悟ってか、O君が「すまん東。俺が足を引っ張ってしまった。」と謝ってきたので、僕は「気にするな。俺には午後の個人ロードがあるから、そこで優勝を狙えばいいさ!」と返しました。
午後の個人ロードはチームTTで疲れ切った同日に行われるため、とてもじゃないがプロや実業団と同じオープンロードで10周も戦う余裕は無くて・・・
3周で争う個人ロードAにした訳です。
それもO君以外のメンバーY氏と河合君、K君の3人が参加するので、チームの2軍メンバーの河合君とK君は1周目で引っ張り、2周目からはY氏が引いて、3週目のどこかでタイミングを見計らって僕が飛び出す・・・そして目指すは優勝の2文字!
そんなチームオーダーを組んでいました。
ところが個人ロードAの参加者は700人以上にも及び・・・
あろう事か3組に振り分けられ、見事全員がバラバラになったのである。
10人以上がエントリーしているチームならともかく、少数メンバーの弱みですわ。
「チームオーダーもくそもあったもんじゃねぇ!」
簡単に勝たせてもらえるレースなんてありませんね。
僕は第2組目にスタートする事になり、チームメイトはゼロ。
200人以上の選手全てが敵!
アタックの応酬になるのか、はたまたゴールスプリントまで勝負が決まらないハイスピードレースになるのか・・・
どこで仕掛けていいかも判らないレースだったので、ドキドキしながらも、午前の屈辱は晴らす気で挑みました。
1周目を走って感じたこと。
200人以上いるうちのほとんどは集団走行もままならない素人ばかりで、ペースやライン取りがメチャクチャ。
シケインでは砂時計のように道が狭くなるので、一気にスローダウンし、先に抜けた選手がスピードを上げれば、後方は完全に遅れを取るので、追いつくのに消耗してしまう。
ヘアピンでは皆が皆イン側に突っ込むので、イン側は選手で詰まるし、そんな中で落車に巻き込まれたら最後。
仕掛けるとしたらシケインかヘアピンしかないと感じました。
しかしシケインで仕掛けると、残り5.5kmを逃げなければならず、逃げのグループが数人いれば何とかなるが、一人では逃げ切れない可能性が高い。
ヘアピンからであれば、何とか足を使い切る前にゴールラインには届きそう・・・
だがインからは抜けられないから、必然的にアウトラインからのアタックになる。
そうすると回転半径が違う分だけ、余分に加速しないと、すぐに集団に捕らえられるような『小便アタック』に終わる可能性が高くなる。
つまり簡単に説明すると、集団のスピードが時速45kmなら、通常60km以上でアタックを仕掛けるところを、70km以上のスピードまで一瞬で加速しないと、集団が追うのを諦めるくらいのアタックを決められないのである。
ヘアピンで一度は時速35kmくらいまで減速した状態から、たった50m足らずの距離で倍以上のスピードまで加速?
それは完璧な進入角度で目一杯減速を抑えつつ、クリップポイントを手前に持ってこなければ絶対無理な課題で、周りの選手にラインを塞がれたら一巻の終わりである。
しかし他に決定的なポイントが見つからないまま2周目へ・・・
勇気を出してシケインで仕掛けるか、運とタイミングに期待してヘアピンで仕掛けるか・・・
それともゴールまで温存して、最終コーナーの立ち上がりから一気に刺すか・・・
しかし2周目のヘアピンでは・・・ヘアピン出口でコーナーを抜けた選手たちが道一杯に散開するので、抜け出すラインを見つけるのが困難だという見解となり、動きが出る3周目では、きっと同じ考えの選手が縦横無尽にラインを取るだろうから、それよりも先に仕掛けないと無理だという結論に至った。
そして3周目に入るホームストレート・・・集団のスピードが緩まった。
「えっ?何故?」
誰かが飛び出すのを伺っているのか?
それともゴールスプリントに向けて、嵐の前の静けさなのか?
200人以上の選手が見ている前で単独アタックを決める勇気は起きない・・・
しかしそこで2人組の選手が抜け出した。
「あっ!そうだ。これを利用して逃げを追えば、集団が縦一列に伸びるから、道幅に対する人口密度は少なくなる。そうすればヘアピンで刺し返して一気に逃げればそれでいい!」
そんな作戦が閃いた僕は大声で・・・
「追え!追え~っ!」って号令をかけたんです。
ポイントのかかったクリテリウムでは、こんな掛け声は当たり前なんですけど・・・
し~ん・・・。
「はあ?なんで誰も追わへんの?お前らレースしに来とんやろ?やる気あんのかボケ~!」
次の瞬間には僕は2人を追って集団から飛び出していました。
積極的な動きのないレースほどつまらないものはありません!
「どいつもこいつもヘタレばかりかい!」って大声で吐き捨て、シケインまでの上りを加速していました。
面白くないレースに対する怒りのアタックです。
そしてシケインまで上り詰めたところで逃げた2人に合流。
「3人でならここからでも逃げ切れる!一緒に逃げよう!」
そう声をかけたのですが・・・
「えっ?行くんやったら行ってくれていいよ。俺らちょっと前に出てみたかっただけやから・・・」
「はあ?何寝言いうてんねん!だったらしょうもない小便アタック決めんなや!くそっ、もうええわ!」
僕の怒りはMAXでした。
後ろを振り向いたら集団にはまだ動きがなくて・・・
「これは行くしかない!」
そして単独逃げを決めたんです。
130Rを抜けた時に振り向いたら案の定、集団はシケインで詰まっていました。
そこからはがむしゃらにペダルを回し、バックストレッチの上りもずっと時速55kmをキープして・・・
その際1組目で出走していた河合君と合流しました。
集団のスピードについていけない選手たちがどんどん遅れてきていたのです。
ここで僕が抜けば彼らは失格となり、完走しても記録が残りません。
「どうや?俺を引く元気は残ってるか?」
「いや!もう駄目や。使い切ったわ!」
「そうか。じゃあ悪いけど行かせてもらうな!」
そうしてスプーンカーブに差し掛かった時、僕の組の集団はまだバックストレッチの上りに差し掛かるところで・・・
「いけるかもしれへん。この逃げ決めて勝てたら最高やん?」
そう意識し始めました。
しかしスプーンカーブを抜けてからが苦しいのです。
向かい風の洗礼が待っています。
それまで50kmオーバーのスピードで逃げていた僕が、今度はどんなに踏ん張っても42km程度のスピードしか出せない・・・
そうなると集団は強いのです。
少しでもロスを削って、1mでも2mでも追い詰められる距離を抑えないと、一度勢いのついた集団は津波のように押し寄せてきます。
ヘアピンに差し掛かったあたりで向かい風にスタミナを吸い尽くされた僕は、危機を感じ始める。
それでもまだ逃げ切る事を諦めていない。
しかしS字カーブに入った頃、もう射程圏内に捉えられたっていう感覚になりました。
迫ってくる音で判るんです。
もう振り返ってる暇はない。
力の限り逃げるしかない!
でも残り1kmの看板を過ぎた頃には、僕は集団の先頭グループに並ばれました。
そして押し寄せる波に飲まれながら最終コーナー(第1コーナー)を曲がり、ゴールスプリントをする余力がないまま同着ゴール。
センタースタンドに木霊するくらいの大声で「ちくしょ~!」って叫び、ハンドルを何度も叩きながらのゴールでした。
もう少し冷静にペース配分をして走っていたら逃げ切れていたかも知れない。
それ以上に最後まで温存してゴールスプリントに持ち込んでいたら、勝てていたかも知れない。
でもあそこで逃げたお陰で集団は縦一列に割れて、ようやくレースらしい形になった。
勝負には負けたけど完全燃焼できた。
その時の僕の想いが負けた2年生とシンクロしていて・・・
それでジ~ンとしてしまった訳です。
あっ!
いつも文章が長いというクレームを頂くので、一度ここで切ります(笑)
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