そういえば、アニメの方も今インターハイ出場をかけた合宿のバトルらしいですね。
前回の記事で僕がいいなと思ったシーンがそろそろTVでも観れそうです!
ところで続きですが、インターハイ1日目前半・・・平坦区間でのスプリントのシーンについて・・・
総北高校のスプリンターである田所先輩と鳴子君が、先に逃げたグループを圧倒的な速度差で抜いた辺りから面白くなってきます。
中間計測ポイントでどこのチームが何着で通過するか・・・
それがメイン集団での力関係にも反映される(本来のロードレースにおいて、厳密にはそういう理由ではないのだが・・・)こともあって、各チームのスプリンターたちがプライドを賭けてトップでの通過を狙う訳です。
しかし圧倒的な走りを見せた総北高校の2人を、更に圧倒する選手が1人追い抜く。
箱根学園の泉田君ですが・・・(僕個人的には苦手なキャラです)
ものすごい絞りきった筋肉の持ち主で・・・自分の大胸筋と広背筋に名前までつけてるようなナルシストなんですが、メチャクチャ速いんです。
そしてこの3人で計測ポイントまでの区間を争うのですが、この時の田所先輩と鳴子君の勝利にこだわる姿勢や、過去の回想シーンに親しみを感じるというか。
田所先輩が鳴子君に「お前1年生ウェルカムレースで今泉に負ける前に負けた事はあるのか?」って聞いた際、鳴子君は「答えたくない!」って頑なに拒否をするんです。
プライドが高くて負けず嫌いな鳴子君らしいといえばそれまでなんですが、要するにたくさん負けを経験してきているんですね。
敗北の味を何度も噛み締めてる男ほど、負けた事に対するコンプレックスが人一倍強いんですよ。
それって子供の頃の僕も同じで・・・
ずっと父親に褒めてもらう事がなくて、何をやっても「お前はセンスがない!」とか「それでも俺の子か?」と言われ続けていた為か、いつも「俺はセンスがないんだ。」とか、「何をやっても親父には勝てないんだ・・・」という、劣等感のようなものを抱き続けていたのです。
しかしその反面「いつかみてろよ!必ずお前をぎゃふんと言わせてやる!」そういう反骨精神も持っていたので、例えば相手が年上であろうが、倍ほど身体が大きかろうが、大勢いようが、ケンカを挑んだら勝つまで諦めなかったり、勉強もスポーツも自分より成績のいい人に圧倒的な差で勝つために頑張っていたことがあるので、このシーンにはすごく目頭が熱くなりました。
そしてそれは田所先輩も同じで、劣等感と負けた事に対する悔しさの狭間で苦悩し、それを乗り越えて力と実績をつけていった過程があり。
つまり泥水をすするような思いを、たくさん重ねてきたっていう事は、それだけ闘ってきたって事だ!という田所先輩の台詞には胸に熱く込み上げてくるものがありましたね。
僕もたくさん辛酸を舐めてきましたから。
そしてこのシーンのおまけですが、このスプリント合戦で総北高校の2人が勝つのですが、その要因のひとつに、泉田君が風で倒れてきたパイロン(三角コーン)を避けたのにも関わらず、あとの2人は避けもせずに真っ直ぐ突っ込んだというのがあるのですが・・・
これも理由は単純で、避けるのがタイムロスだからであり、また万が一落車してもその時はその時っていう考えからなんですが、それって僕の考え方と全く同じだったので笑えました。
そうですよ!
レースで勝ちを狙いに行く人間に理屈なんてないんですよ。
下らない講釈をたれてる暇があったら、ゴール目指して一直線に突っ走れ!
本来そうあることが・・・そういう人こそが勝利の美酒を味わうにふさわしいと思うのです。
読んでいて本当にワクワクしました。
僕もまたワクワクできるような走りを目指して、諦めずにトライしたいと思います。
そういえば最近テニスの全豪オープンで、錦織選手がナダル選手に負けてシャワールームで号泣したって話がありましたが・・・
これは手応えがあってそれでも負けたから全力で悔しかったんだと思うんですが・・・
僕は不完全燃焼が悔しくて、レース中にアイジャケットが涙で前が見えなくなるくらい泣いた事があります。
あれは2001年・・・いや2002年だっけかな~?
いつやったレースで、何て名前の大会だったかも忘れてしまうくらい、そのくらい僕の中では記憶から消してやりたい程悔しくて、そして腹の底からむかついたレースがありました。
神戸空港開港記念って名目で、ポートアイランドの第二期地区で行われた周回コースを走るレースです。
当初は地元神戸で開かれる初めての自転車レースに、「地元最強チームとして、意地でも他府県のチームに負けるわけにはいかないな。」って意気込んでエントリーをしたのです。
地元で開催されるレースというものは特別です!
ヨーロッパのプロのレースでも、開催地出身の選手は人一倍気合を入れて走ります。
また地元の応援団もそういう選手を大切に考えるものです。
まあ僕はそんなたいそうな応援団を呼んではいませんでしたが・・・
『2時間エンデューロ』と『個人ロードレース』。
その2種目にエントリーしました。そして2冠を獲るつもりでいました。
スケジュールに関しては鈴鹿ロード同様、複数エントリーする選手も多いだろうから、どちらかが朝一で、もう片方は午後の種目になると思っていました。
ところが有り得ない事に、大会当日までスケジュールの詳細が発表されなかったのです。
そしてその当日になっても予定通りに進行されず・・・
まず昼前にエンデューロって事に驚きました。
「普通エンデューロなんて最後の締めだろ?」そう感じたのは僕らだけではなかったはず。
しかも個人ロードがその直後に予定されていて・・・
「これって有り得なくない?もちろん少し時間が空くんやろうけど・・・」
妙な不安がありました。
ちなみに周回コースの1周の距離は5.2kmだったかな?5.3kmだったかな?とりあえず5km以上はあったと思います。
というのも2時間エンデューロは1チーム3~4名でエントリーなんですが、ここで勝つためには最低でも17周走らないと無理だというのが僕の見解でした。
なので作戦としては一番重要な第1走を僕が走り、5周毎にメンバーチェンジ。
4人でエントリーしてますが、毎度の如く1人は補欠なので、3人目が走り終わったら再び僕が残り2周または3周するというオーダーを考えていました。
一応メンバーとして僕とY氏、O君の3人がいれば、全国クラスのチームにも十分戦えるっていう自信はありました。
しかし当時僕がお世話になっていたプロショップの店長が応援に来てくれていたのですが・・・
「東君!バ●バレーシングってチームには気をつけて!そこは速いよ。」
そうアドバイスをされ、スタートラインへつく。
ローカルなレースとはいえ、初開催のレースは優勝を狙いやすいって事もあって、せこく勝ちに来るハイエナみたいな連中はどこにでもいるもので、結構レース自体も荒れる傾向があります。
だからなのか、福知山や立命館のクリテリウム程ではないけど、心なしか殺気立った嫌~な空気は確かにありました。
でも僕ってそういう殺伐とした雰囲気、嫌いじゃないんですね(笑)
なんか容赦なくダーティーに戦えるじゃないですか?
理想はスポーツマンシップに則った正々堂々のバトルですが・・・
僕は全身アドレナリン体質な人間なので、汚い走りをする選手がいた方が、俄然燃えてくる性格なんです。
『やられたら20倍返し!』これが子供の頃からの僕のポリシーだったもので・・・
荒っぽいレース大好きです。
「俺のラインを邪魔するやつは全員どつきまわしたる!」
クリテリウムや平地主体のレースでは、いつもそのくらいの気迫で走っていました。
実際レース中は怒号やショルダータックルなんて当たり前。
酷い時はパンチやキックだって飛んでくる。
それがレースなんです。
みんな・・・たった一人の勝者を目指して必死なんです。
鳥肌が立つほどワクワクしてきませんか?
普段からぬる~い生活しか知らない人には、およそ知る由もない世界が自転車レースにはあります。
認められるのはたった一人の勝者のみ!
だからスタートラインに立ったその瞬間から、意地とプライドのぶつかり合いが始まるのです。
エンデューロも例外なく、スタート前のこの緊張感がたまらない。
「お前らどこから来た馬の骨どもか知らんけど、俺と俺のチームに勝てると思うなよ!」
そう自分自身にも言い聞かせて、メンタルを調整する。
どんなスポーツでもそうですが、「絶対に勝つ!」そう自分に言い聞かせる事は必要不可欠です。
エンデューロスタート!
まさかのスタート直後からのハイスピードレースでした。
エンデューロは第一走者がキモなんです。
というのも、最初の走者が速いチームは精神的にも優位に立てるので、選手交代もゆとりをもってできる訳で・・・
他のチームにプレッシャーを与える・・・というより、「勝負を諦めろ!」という引導を叩きつける大事な役割があるので、ここにエース級の選手を持ってくるチームって意外と多いのです。
「参ったな・・・予想外だ。」
当時の僕の率直な印象でした。
圧倒的な力量差で勝つつもりが、思っていた以上に全国から大勢のハイエナが集まっていたみたいで・・・(笑)
1周目を終えた時点で平均時速42kmを超えていました。
更にまだ速度が上って・・・
それでも17人の猛者が縦一列のまま、まだ先頭グループを形成。
あとのチームはそんなスピードに、とてもじゃないけどついていけないって感じで、次々にちぎれていきました。
しかし2周目を終える頃には更に8人に絞られ・・・
3周目を終える頃には、バ●バレーシングのAチームとBチーム、そして僕の3人しか残っていない状態でした。
「こいつらが気をつけろって言っていたチームか。たいそうに2チーム体制で参加とは・・・そこまでして勝ちたいか?そやけど・・・そうは簡単に勝たせへんぞ~!」
改めて敵がハッキリ判ったところで僕も闘志を燃やしたのですが・・・
しかし速かった!
バ●バレーシングは確かに・・・半端なく速かったです。
4周目に入った時点での平均時速は44km超ですよ?
正直僕もついていくのが精一杯で、このままのペースを維持されたら、個人ロードでまともに戦えないって直感しました。
きっと彼らにはエンデューロを確実に勝つって目標があったんでしょうね。
エンデューロも個人ロードも、両方で優勝を狙おうとする僕とは違って、彼らは体力を温存する必要がない走りをしていました。
それだけに「こいつらとだけはローテーションしたくない・・・」そう思えるくらい不利な戦いになっていたのは確かです。
結局一人5周のノルマでしたが、急遽4周を終えて僕はY氏に交代してもらったのです。
そろそろ僕の心肺もレッドゾーンに突入していたので・・・
ただバ●バのメンバーもそろそろ限界が近かったはずなので、先に選手交代した方が優位に立てる可能性があるとも思っていました。
ところが3位のポジションで交代したY氏がいつまで経っても戻ってきません。
まさかの体調不良で13位までポジションを落として1周目を走ってきたのです。
「これは駄目だ・・・」
そう思った僕はすぐにO君に交代するように指示し、補欠のK君にウォーミングアップをさせる。
鈴鹿の悪夢の再来でした。
勝てるチームなのに結果、表彰台にも乗れない・・・
その僅か1周の間の遅れだけで、僕は確実な敗北を痛感しました。
O君も思いの他不調で、4周走って5人しか抜けず、8位の状態でK君にバトンタッチ。
僕の脚がまだ回復していないのでK君に委ねるしかないのですが、サボり癖の多いK君はスタミナが無くて・・・
3周を終えて16位までポジションを落とす。
「うわっ最低やな・・・もういい!代われ!」
勝利しか頭に無かった当時の僕には、これほど残酷なシチュエーションはなかったと思います。
そこで堪らず僕が挽回を賭けて交代。
しかしここで頑張ると、この後走る個人ロードレースをふいにしてしまうので、本当は脚を使いたくなかったのですが、これ以上チームの無様な走りを晒したくないって一心から、意地で力走しました。
結局トータル15周目でフィニッシュ。
そんな周回数じゃ勝てる訳がありませんよね?
結果的に総合順位は7位か8位だったと思います。
僕はこの日の為に調整してこなかったチームメイトに対する怒りと、他のチームに優勝をさらわれた怒りで、頭の中は真っ白になっていました。
大切な地元のレースで最高のパフォーマンスを発揮できない程バカな事はありません。
調整する事って大切なんですよ。
仮に調整できてなくても根性で何とかする。死ぬ気で走れ!
それが男やろ?
当時の僕はそんな感じでしたので、このレースがきっかけで、当時のチームメイトとの亀裂が大きくなってしまったと思います。
そして更に問題が・・・
僕がピットに戻ったら、体調不良で倒れているY氏以外のメンバーがいないのです。
「あれ?みんなは?」
「個人ロードの受付をしに行きましたよ!」
「えっ?マジで?それってやばいやん!」
慌てて受付まで走って行ったら・・・
「もう出走受付は終了しました。」
「はあ?どういう事?じゃあ僕はどうなるの?」
「そうですね未出走という事で失格ですね。」
「何言うてんねん!たった今エンデューロを走っとったんやないか!そのくらい判らんのか!だったらなんでこんなメチャクチャなスケジュールを組むくせに、複数エントリーを可能にしてんねん!」
「そう言われましても・・・」
「アホか!お前じゃ話にならん!本部はどこじゃ!」
余りにも杜撰な大会運営に怒り爆発の僕は、早速大会本部に怒鳴り込み・・・
「お前ら参加選手を何やと思うとんねん!訳の判らんスケジュールを組んでおきながら、それすらもまともに時間通り遂行できず、挙句の果てに受付時間だけは厳守かい!こっちは受付時間の最中も走っとったんじゃ!それでもあかんて言うんやったら金返せ!こらぁ!さっさとエントリー料返さんかい!!」
そして10分後。
「わかりました。何とかスタート管理の方に出走のOKを出しましたので大丈夫ですが、あと3分でレースがスタートするので、急いでスタート地点まで移動して頂けますか?」
何がわかりましたやねん?っちゅう話ですわ。
すみませんの一言くらいあってもいいくらい・・・それよりあと3分って・・・(汗)
慌ててスタート地点についた頃には最後尾につくしかない状態で・・・
しかも1分もしないうちにピストルが。
エンデューロで7周走って脚の疲れが抜け切らないうちに、受付と大会本部まで走って抗議して・・・
そこからまたスタート地点まで走って、息も切れ切れの満身創痍の状態でレースをスタート。
とりあえず3周あるレースなので、2周目までは、無理せず脚を回復する事に専念して、何とかスプリントだけでも戦えるようにするしかない。
そう思って徐々に順位を上げながら走りました。
しかし先頭集団のスピードは速く・・・
最後尾からスタートした僕は、脱落組に行く手を阻まれ、なかなか先頭集団まで追いつけない。
ようやく先頭集団を射程内に捕らえたのが2周目の終盤。
だが追いついたと思ったら更にスピードアップ。
それこそ先頭集団に追いつくために時速60km以上のスピードで走った僕には、もうアタックをしかける脚も残っていなくて・・・
それでも必死に集団の先頭から8番手くらいのポジションをキープしながら走る。
もちろんローテーションにも加わってましたよ。エチケットですから・・・
脚はそろそろ限界でしたが、まだゴールでのスプリント勝負を諦めていませんでした。
8番手・・・これは僕にとって必勝のポジションなんです。
先頭からマークされずに飛び出せる最高のポジション・・・
ところがゴール2km前からまた更にスピードが上り、時速は68kmを指している。
満身創痍の僕に、このスピードから更にかぶせ込むようなスプリントをかける余力はなく・・・
60km・・・56km・・・もうその程度のスピードを維持するのが精一杯で。
「くそっ!動けよ俺の脚!何でもっと強く踏めないんだよ!地元のレースやねんぞ!」
次々に後続に抜かれながら・・・
涙が溢れて前が見えないままゴール。
「ちくしょ~っ!なんでやねん!」
勝負が一切できなかった。
レースを走っているのに何一つ勝負を仕掛けられなかった。
最後のゴールスプリントまで脚を残せなかった。
これほど悔しい事は他にない。
あの時の屈辱と心の傷を、僕は生涯忘れる事はないと思う。
それだけに記憶から消し去りたいくらいの嫌なレースだったわけですが・・・
そんな思いをした事もあって『弱虫ペダル』を読むと、素晴らしいチームにうらやましいと感じたり、完全燃焼できる勝負がしたい!って思えてしまうんですよね。
だから僕はこれからもっと『弱虫ペダル』の読者が増えるといいな・・・って思っています。
そして勝ち負けだけではなく、一緒に走れる事に充実感を共有できる仲間を、もっともっと増やしていきたい・・・
そう思いました。
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