当時インフルエンザでフラフラだった僕は、センター試験を終えて家でダウンしていました。
そんなある朝、揺り篭に揺られている夢をみて、その揺れが余りにリアル過ぎて目が覚めたら、本当に地震だった。
本棚が倒れ、無数の本が雪崩落ちてきて、更には隣の家の屋根瓦が無数に窓ガラスを突き破り、枕元に突き刺さる。
慌てて外に出てみたら、周辺の家やアパートが一斉に崩れる瞬間を目の当たりにし・・・
掘り起こして瓦礫に埋まった人々を、引き上げても、引き上げても・・・皆既に遺体。
警察は全く機能していない。
それが浸透した瞬間街は無法化し、白昼堂々と犯罪が行なわれる。
そのうちあちこちに無数の煙が立ち昇る。
冬の震災というものは火事という二次災害もついてくるのだ!
ようやく火事がおさまった頃、街の景色はまるで空襲を受けた後の焼け野原みたいだった。
思い出の公園、思い出の駅、思い出の店、大切な街並みが一瞬で崩れ落ち、地獄のような世界へと変わったのだ。
助け合う事の大切さも学んだ。
逆に誰も信じてはいけないという慎重さも学んだ。
人の心には常に闇が隣り合わせ。
理性より本能に従順な人々は、昨日までのイイ人を脱ぎ捨て、ここぞとばかりに欲を満たそうとする。
「ここまでめちゃくちゃになったんだ。明日から仕事も無けりゃ、収入もない。家もぐちゃぐちゃ。」
そんな心理がより大胆な行動に走らせる。
「こんな街の変わりようをみて、何に希望を持てと言うんだ?」
それは多くの人が思った事だろう。
僕も目をつむって、「目を開いたら街が元通りに直っていたらいいなぁ~。」って目を開いてはゲンナリしていたものです。
いつ崩れ落ちるか判らない建物。
道路の陥没や液状化現象も然り・・・
いつ復旧するの?電気・・・水道・・・ガス・・・鉄道・・・
ラジオで「脱出できなくなったら大変なので、家や車の扉に鍵をかけないように!」って言った奴は誰だ?お陰でどれだけ火事場泥棒が蔓延したと思っている?
他府県からの窃盗及び強姦目的の犯罪者がどれだけ紛れ込んだ?
震災義援金を横領したり、偽造証明書で何度ももらった悪党も結構いたな~。
「電気が無いから防犯ベルも鳴らなければ、防犯カメラも役に立たない!」そういって銀行の金庫を破りに入った奴ら、ショッピングセンターへ侵入して、現金や商品を持ち逃げする・・・
マンションの住民が徒党を組んで襲い込んだローソンもあったなぁ~。
僕はタンス預金が少しあったので、食料や飲料用の水の確保に奔走し、ストーブ用の灯油や、カセットコンロ用のガスボンベも確保し、夜は仲間と協力し合って自転車で町内をパトロール。
受験勉強どころじゃなかった。
っていうかインフルエンザっていつ治った?
そんな怒涛の大震災でした。
1月17日・・・神戸っ子なら誰もが忘れちゃいけない日がまたやって来ましたね。
とうとうあの大震災から20年が経ちました。
当時19歳だった僕は、もう震災以前よりも震災後の方が長く生きた事になります。
それでも当時の記憶は鮮明に覚えています。
極限の世界においては、人の本性が顕著に表れます。
テレビや本で紹介されていないってだけで、黒い歴史は多々あります。
大好きだった神戸の街・・・
しかし震災後余りに薄汚いものをたくさん目にした僕は、「こんなにも薄汚い人間が多く住んでいた街を、俺はもう愛せない!」そう思って、街の復興なんてバカみたいだ!とまで考えていたんです。
今は当時の傷跡は残れど、よくまた綺麗な街に戻ったなぁ~!って嬉しく思っています。
やはり自分が生まれ育った街なんで、嫌いになんてなれませんよね?
今東北の人たちも同じ想いなんじゃないでしょうか?
絶望感を感じた人もたくさんいると思います。
僕みたいに当時の心の傷が癒えるまで、十数年かかるかも知れません。
でも諦めない気持ちと、必ず前向きな考え方の人もたくさんいるって信じる心を持って下さい!
阪神淡路大震災の被災経験者の一人として、僕が伝えていける事はこれからも伝えていきたいと思っています。
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