12月22日(月)19:00
僕にとってまるで親父か親方のような存在だった大叔母が急死しました。
前日までは意識も頭もしっかりしていたらしく、新しく移った病院で、僕や僕の祖母の見舞いを待っていたそうです。
病院を移転する18日に、本来は僕か祖母が付き添いで行く予定でした。
しかしクリスマスを前にして、スタッフの当日欠勤が立て続き、毎日の予定スケジュールが連日立て直しで、18日は全員揃っていてもやるべき事が残っていたので出るに出れない。
前日に祖母へお願いしていたのだが、どうやらその祖母も風邪をひき、熱を出して倒れていたらしく、親族が誰も付き添いに行けない事態になり、「姉さんは来てくれてないの?大ちゃんは?」と、大叔母はずっと寂しそうにしていたそうだ。
なので22日は必ず行きます!って看護師さんや、大叔母の地元の友人に伝えてあったのですが・・・
その22日の朝から容態が急変し、意識が戻らないこん睡状態に陥り、僕や祖母が呼びかけてもまともに反応しなくなっていたのです。
そして回復を祈って帰宅した後の急死でした。
「何があっても18日に行ってあげるべきだった。」
その想いが込み上げて泣き叫びました。
「男なら一度自分で決めた事や信念は曲げるな!」
「筋道も通せない奴は人として自己中心的な未熟者や!」
「人の恩義には何があっても感謝の気持ちを持って、絶対に裏切ったらあかん!」
「人と人とのつながりを大切にしない人間は成功せんのや!」
いつも本当に厳しい事ばかり言う大叔母でした。
僕の父親の事も良く知っていて・・・
19歳の夏、いつもマンションの前に溜まっている暴走族まで巻き込み、パトカー3台にババ単7台が出動するような、兵庫警察署ができて以来とまで言われたド派手な親子喧嘩を最後に、会う事もなくなった父親。
「お前は俺の子じゃない!」って言われ、実家を追い出されてから8年と140日後の事件でした。
北斗の拳のラオウのような父親で、実際に格闘技の達人・・・子供の頃から恐怖で逆らうことも出来なかった僕は、ボクシングや空手、テコンドーの経験をアレンジして喧嘩の腕を磨き、とうとうこの日初めて歯向かったんです。
結局勝負は引き分けに終わったものの、一矢報いる事が出来て心から開放された瞬間でした。
それから更に12年と294日後、その父親から変わり果てた声で電話がかかって来たのです。
あらゆる大病に一度にかかってしまい、声帯もやられ、歩く事もままならない。
「今歩く為のリハビリを頑張っている。お前には謝っても許されないだろうが、どうしても謝らなければ俺の気持ちが済まない。そして俺は俺でこれまで誰にも言えなかった辛い過去がある。お前にだけはそれを伝えたい。嫌じゃなかったら退院後に会って話せないだろうか?」
ずっと憎悪の対象だった父親。
しかしその言葉と変わり果てた声に、僕には断る理由が無かった。
ところがその1ヵ月後の7月10日、父親はインドで亡くなったそうです。
僕がそれを知ったのは7月17日でした。
その背景にただならぬ闇を感じてならない僕でしたが、何よりも僕は直感で父親を許す気持ちで待っていたのに・・・結局再会し、真実を聞く事ができないまま父親を失ってしまったのです。
その後代わりに父親の過去を教えてくれたのが大叔母でした。
「あの子は本当は心優しい人だったんだよ。」
生前、大叔母の事もボロクソに罵っていた父親。
でも本当は自分の辛かった時に手を差し伸べてくれた大叔母に対して、いつも頭が上らないから照れ隠ししていただけだったんだ・・・
過去の色々な記憶の点と点が繋がって、ようやく若き日の父親の苦悩と、僕に対して抱き続けた想いが解ったような気がしました。
心から父親を許せた瞬間でした。
僕は母親には恵まれていません。
本当の母親は育児放棄した挙句失踪。
2人目の母親は父親に「俺の子じゃない!」と言わせて、僕を家庭から弾き出した張本人。
3人目の母親は父親の死の真実を知っているが、多額の保険金と共に行方を眩ませている。
まったくろくなもんじゃない!
それだけに僕にとっては大叔母が父親で、祖母が母親みたいなものだったんですね。
だから1年以上続く入院生活が終わって、普通に食事が出来るまで体調が回復した暁には大叔母を旅行に連れて行き、それ以降も僕が父親にできなかった分までの親孝行がしたかったんです。
そんな未練たらたらのままお通夜だの葬式だのと、年末の忙しい時期に喪主としてあれこれ走り回った後の走行会だったんですね。
「店長!いいんですか?たまにはお休みにしたらどうですか?」
「大丈夫ですよ!むしろ思いっきり走らないとスッキリしないし、大叔母の希望は僕がこの店で成功する事ですから・・・走りますよ!」
そして12月27日(土)・・・
一年の走行会の走り納めに集まってくれたのは、H川様とI藤様、マサやんとタケやんの4名。
ただしこの写真は終了後の写真で、実際にはタケやんだけポートアイランドで合流。
もちろん僕は喪章を左腕に付けて参加。
故人に心配かけないよう、元気良く走りました!
ただ・・・
この日はもしも僕が走行会に参加できなかった場合の事も踏まえて、マサやんに全権を委ねてあったので・・・
「マサやんの走りたい道を走っていいよ!ルールや制限を付けてもいいから自由に決めて!」
「マジっすか?え~っ、じゃあ平地でもいいっすか?」
「いいよ!どこを走る?」
「だったら空港島でレースをしませんか?」
「ほぉ~っ。面白そうじゃない!」
「坂道無いっすけどいいんすか?」
「別に必ず坂道を走らないといけない!なんてルールは元々設けてないよ。」
「よっしゃ!」
「それに今日はタケやんが、もし店に来なかったらポーアイか六アイで走ってます!って言っていたから、もしかしたら会えるかも知れないしね!」
そして4名でポートアイランド方面へ向けて出走。
僕ら4名が神戸大橋を渡る頃、仕事の関係でクルマにて橋を渡っていたY崎様3号が、クラクションを鳴らしまくっていたらしいのですが、丁度そのタイミングは北公園で休憩中のタケやんを見つけ、渡りきる手前で橋を降りる瞬間だったので、誰も気付かなかったんです。
「もう!おはようの挨拶をしたくて手を振ってたのに!誰も気付いてくれへんかった~!」
午後にご来店頂いたY崎様3号から聞いて、「ごめんなさい!」って謝りました(笑)
そしてタケやんが合流し、5名で空港島を目指す。
橋の上から日の出の瞬間を拝み、何だか清清しい気持ちになる。
毎度のように西風は強いけど、久々にクリテリウムレースの気分で走れるって、ワクワクするなぁ。
まずは周回コースを1周半。
空港駐車場前をどこでUターンするか等を話し合う。
1周3.5kmのコースを3周走って、ゴールは『ラヴィマーナ神戸』前の停止線!
そしてラヴィマーナ前のロータリーからレーススタート!
まずはやや追い風の中を時速40km前後で、お互い様子を見ながら走る。
すると前半の直角カーブを前に早くもマサやんがアタック。
そしてすかさずI藤様がカウンターを決めて、一気に引き離す!
そう、I藤様のここ一番の加速は恐ろしく速い!
後先考えずに全力で迎え撃たないと太刀打ちできない。
そしてただでさえ爆発力があるのに、執拗なまでのブロックを得意とするマサやん。
この2人は要チェック!
折り返し地点で脚を温存する走りに切り替えたマサやんをみて、今度は僕がジワジワと加速する。
向かい風が吹き荒れる中、何とか時速33~35kmのペースで徐々にI藤様に追いつく。
ここでの僕の作戦はI藤様と協力してローテーション!
ここから一気に後方との距離を稼いで、3周目の前半でI藤様と勝負!
そこで千切ってからUターンし、距離をキープしつつ逃げよう!
そういう先行逃げ切りパターンで考えていました。
真っ向勝負のできるI藤様はまだいい!恐いのは一度前に出られたらややこしいマサやんなので、できるだけ先行逃げ切りで進めたかった。
ところが今のカウンターアタックでI藤様が既にバテ気味!
エヴァディオのバッカス01はそこまで吸血バイクだったのか?
やむを得ず僕が前に出て引っ張るが、とてもローテーションでスピードアップできそうな感じではない!
逆に後ろを見たらエンヴィのディープリムホイールを装着したタケやんが追いついてきている。
そうなんです!
決してタケやんも油断してはならないのです!彼も粘りとスピードを兼ね備えたライダーです。
そしてそのタケやんを利用して、こっそりと脚を温存しながら追い上げてくるのはマサやん。
「参ったなぁ~!簡単には逃がしてもらえないかぁ~。」
1周を終えた僕は、2周目前半の追い風ポイントで、できるだけ脚を残しつつも加速し、アドバンテージを稼ごうとする。
しかし追い風は安定していなくて、なかなか波に乗れない。
フレームとホイールの相性もあってか、トップスピードは53km前後で頭打ち!
伸びない!
Uターン地点で振り返った時に、思ったほど差を広げられなかった事を確認した僕は、後半の向かい風で無理をせず、ただ・・・追いついてくるメンバーに余計な脚を使わしておいて、3周目の前半でアタックをしかけてリズムを崩してやろう!って作戦を計画。
でも3周目に入ったところでとうとうマサやんが動き始めたのです。
ここまでタケやんに隠れて追いついてきた彼は、まだまだ余力が残っている。
ぶっちぎるつもりの前半で、まさかのマサやんとのスピード勝負。
そうなると52~53kmから伸びない速度が恨めしい。
一度は抜いたものの、結構脚を消耗してしまい、後半の向かい風を逃げ切るのはさすがに無理だと感じたのでUターン地点をわざと大きく回って、イン側に隙を作る。
イン側から抜けば、カーブの回転半径が小さくなる分減速が必要となる。
当然それによって加速にスタミナも使う。
僕は大回りしながら、いつでもトルクを活かせる回転数をキープ!
「さあ罠にかかれ!」
そして何も知らないマサやんがインからトップに立つ!
僕は難なくそれに追いつく。
しかしこのまま僕とマサやんのガチンコ勝負になるのか・・・と思った瞬間。
「おりゃ~!」
なんと復活して盛り返してきたI藤様の渾身のアタック!
何とか僕も反応して追うが、思った以上に脚にきていてジワジワついて行くのがやっと。
マサやんがカウンターを仕掛けるが、I藤様が更に加速!
これについて行けなきゃ勝ちなんて無い!
そう・・・
久々にレーサー魂に火が付いた僕は、故人の追悼も兼ねて絶対に勝ちを譲るつもりはなかったのです。
連続のアタックでとうとうI藤様が力尽き、マサやんが先頭に出たその時、僕はようやく封印を解きました。
この日初めてのダンシング!
この若者を本気でねじ伏せるつもりで一気に加速!
シッティングでは既に一杯一杯だった僕の脚も、全身を使う事で何とかまだ加速ができる!
向かい風の中、時速48km・・・49km・・・
「これならいける!」
幸いマサやんはI藤様が本当に力尽きたのかを警戒して、右側が隙だらけだったので・・・
「気付くなよ!横に並ぶまで絶対に気付くな!」
そう念じながらセンターライン側を追い上げていると・・・
マサやんが気配に気が付いて振り向く。
そして途端に車体を右に傾けラインをカットしてきた。
「おらぁ~っ!何邪魔しよんじゃ~!」
ヒートアップしていた僕は思わず、若かりし日の自分に戻っていました。
「邪魔じゃこらぁ!ノロマはすっこんどけや~!」って、目を血走らせながら走っていたあの頃。
「実業団?プロじゃねぇんだろ?だったらすっこんでろ!」とか、「学生チャンピオン?だからどないしてん?」っていきり立ち、恐いもの知らずで走っては、冷静さを失い、勝負どころでチャンスを失っていた血の気の多いだけのバカな若僧でした。
それでも走りのスタイルは基本的に先行逃げ切りか、真っ向勝負志向なので、言葉が汚いのとは裏腹に、卑怯な走りは大嫌いなんです。
右に寄って来るマサやんに対して、ラインをクロスして左へ・・・
抜けるフリをして、フェイントで更に右へ、センターライン一杯から抜こうとしたら更にマサやんが被せ込んで、対向車線に・・・
幸い対向車が来ていないので、今なら対向車線の一番端まで逃げながらかわせば、確実にマサやんを捲くれる!
そうは思ったものの、そこでなぜか冷静に「でもそれはさすがにやってしまったらあかんやろ?」っていう気持ちが脳裏を過ぎり・・・
ラインを左へ戻そうとして、その際マサやんの後輪に接触しそうになり、思わずブレーキ!
「クソ~ッ!」
本気で頭にきて、ハンドルをぶっ叩きながら2着でゴール。
ゴール後マサやんに、「あのブロックはあかんやろ!レースでやったら失格か降格処分や!」って3回くらい言い続けたら・・・
「今日はまた随分と店長がヒートアップしてますねぇ~。」ってH川様に嗜められました(笑)
その後ポートアイランドへ戻り、大学が並ぶ縦筋の大通りを、自動車学校前までスプリント勝負!
今度ばかりはI藤様の強烈なアタックが決まり、マサやんは早々に諦め、それをかわして僕だけI藤様を追う。
ファミリーマートに着く頃、今度は後ろでタケやんとマサやんが、猛スピードでスプリントバトル。
岡山までの往復を走った際に、タケやんがちっともコンビニに寄ってくれないとかで、ヨネやんも含む3人の中で、何かと確執ができていた訳なんですよ(笑)
その仕返しを兼ねてのスプリント勝負だったらしく、さっきまでは自分で『ダメやん』だと言っていたタケやんも、エンヴィのホイールの真価を発揮してスピードを上げましたが、最後はワルやん(マサやん)の勝利!
しかしここでマサやんが失言。
「言っときますけど店長、今のが今日一のスプリントですからね!さっきのはまだ余力残してましたから!」
「あぁ~ん?何てぇ~?だったら最初から正々堂々と勝負せんか~!」
結構カチンときました(笑)
でも・・・僕はマサやんやタケやん、ヨネやんも含め、将来有望な若いメンバーと一緒に走れる事を嬉しく思っています。
彼らが燃え尽き症候群にならないよう、ノビノビと実力を伸ばしてもらうように、これからもずっとその成長を見ながら、一緒に走り続ける未来が楽しみで仕方ありません!
例え本気でレーサを目指さなくても、人として一緒に成長していきたいじゃないですか。
そんな明るい未来を想ったら、何だか晴れ晴れとしたのでありました!
この想い・・・故人に捧げます。
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